2 先輩だけなの?


 私が綾里の「わんこちゃん」になってからすぐ、時間も時間だからということで帰路についた。

 学校から少し遠ざかって、それまで押し黙っていた綾里が口を開いた。


「わーんこ、私の手を握りなさい。手を繋いで帰るの」


 ご主人様の命令は絶対ですので!

 私は「は、はい……」と戸惑い気味に返事をして、そっと綾里の手をとった。

 この子は一体何を考えているんだ。


 態度を豹変させて脅してきたかと思えば、命令は「ぎゅってして」だとか「手を握って」だとか、よく分からない。

 さてはそうやってガチの百合の園出身の私をからかっているんだな、この小悪魔め!


 ニコニコする綾里を横目に、心の中でこっそり悪態をつく。


 しかし、からかうだけだったらこんな嬉しそうな顔をするだろうか。

 まさか綾里はガチのSの国出身なのだろうか。からかって喜んでいるだけ、とか?

 くそ、一体何がしたいんだ。


「あの……綾里、ひとつ聞いてもいいですか?」


 私の問いかけに、綾里が横を向いて眉間にしわを寄せた。


「ねえ、ずっと思ってたんだけど、ことりってどうして敬語で話すの?」

「えっ、これはその……小さい時からのクセです」


 はい、嘘です。これはまあ、一種の中二病的なアレな感じなわけです、はい。


 すると、綾里が「ふーん」と言って、繋いだ手を握り締めた。


「誰にでも敬語だよね?」

「うん、そうですね。年下にも、親にも敬語ですよ」


 ああ、私ってばなんてイタい子……。


「だったら、私に敬語はやめなさい」

「えっ、でも……」


 私が口ごもると、綾里は握る力をさらに強めた。

 いてて、綾里ってば意外と握力強いのね。園芸部だから? それは関係ない?


「敬語やめるくらい簡単でしょ。嫌なの?」

「滅相もないです! やめます、今すぐやめます!」


 綾里の湿っぽい目が私を責め立てる。


「やめてないじゃん」

「やめますとも! や、やめるヨ!」

「ぎこちない」

「うう……なんだか今更タメ口は逆に恥ずかしいなあ」


 というか、普通の友人同士だった時なら分かるが、どうしてこのよく分からない主従関係になってからタメ口を要求してくるのか。

 綾里の考えていることがますます分からなくなる。


「恥ずかしくてもやめるの。あっ、私だけだからね、他の人には敬語のままでいいから」

「は、はあ……承知いたした」

「しゃべり方変だよ」

「誰のせいか!」

「わんこが下手なだけだよ」


 うぐ、それは否定できない。

 綾里がぷいとそっぽを向く。おや、ご機嫌ななめかな?

 

 なんとなく、握っていた手を恋人繋ぎにしてみた。

 指をゆっくりと絡めると、綾里がビクッとして歩みを止めてしまった。丸くした目で私を見つめてくる。


「あ……勝手なことしてごめん」


 元に戻そうとしたが、綾里の指に力が入ってそれを許してはくれなかった。

 綾里は頬をほんのりと赤らめて目を逸らした。


「いいよ、ことりがしたいんならそのままで」


 そう言って、再び歩き始める。


 ふむ……この小悪魔、腹が真っ黒で恐ろしいがやっぱり可愛いな。


「それで、さっき何を聞こうとしたの?」


 おっと、そうだった、ナイス小悪魔。いや、綾里様。いや、ご主人様。


「あの……ノートを……」

「返すわけないでしょ」


 ですよねー、知ってました。


「でも、綾里がアレを持ってなくても知ってることには変わりないから別に……」

「わんこのばか。現物がないと証拠にならないじゃん。それに、ことりがあんなの持ってるの絶対に嫌だから」


 綾里がむすっとして、不機嫌そうに言う。


 そ、それは私が気持ち悪いからということでいいのでしょうか……私、泣いてもいいですか?


「でもことり、どうせ家に帰ったら別のノートにまた書くんでしょ?」

「えっ……と……うん、書くかも」


 正直に答える。

 もはや日課になってますからねー、あはは、なんて。


 すると、綾里がまた手を強く握り締めてきた。

 いててて、骨がくいこんでかなり痛いのですが!


「あんなこと毎日考えて……信じられない」


 百合とか関係なく気持ち悪くてごめんなさい、いや本当に。自覚はしてるんですけどね、もうこじらせちゃってどうにもなりません。


「古水先輩だけなの?」


 その問いに、思わず「えっ」と声が漏れた。

 綾里がどこか力のない瞳をして見つめてくる。


「書いてるのは、妄想してるのは、古水先輩とのことだけなの? 他にはいないの?」

「うん……好きなのは先輩だから」


 一瞬、綾里の指の力が抜けて、締め付けられていた感覚から解放された。

 かと思うと、また思い切り握ってきた。


「ねえ、毎日、夜電話して。その日考えた先輩とのこと私に話して」


 何その羞恥プレイ! やっぱりこの小悪魔愉しんでやがるな!


「そのほうが、わんこの罪悪感も少しくらい薄れるんじゃない?」


 なるほど、確かにそうかもしれない。

 ……いや、そうか? 危うく納得してしまうところだった。


「いい? 命令だよ」

「うん、わかった」


 まあ、これに逆らうことはできないんですけどね。


「もう一つ訊きたい事があるんだけど、訊いてもいい?」


 綾里が「なに」と言って私に顔を向ける。

 これを聞いたら、この子はどう返答するのだろうか。


「あのさ、どうして勝手に私のカバン漁ったの?」


 すると、綾里は顔を俯けてシュンとしてしまった。

 

「ことりの様子がおかしかったから。朝、カバン気にしてそわそわしてたし、何かあったのかなって」


 うーん……? それが理由?


「それで勝手に他人のカバン開けちゃうのは、いけないでしょ」


 綾里が縮こまって、どこか不安そうに目を泳がせる。

 しだいに、目の淵が濡れ始めた。

 俯いたまま、綾里が唇を震わせる。


「ごめんなさい、もしかしてって思って気になって……もうしないから、嫌いにならないで」


 ええええ、情緒不安定か!

 予想外の反応に、思わず足を止めてしまった。


「いや、嫌いにはならないから。大丈夫大丈夫」


 綾里が顔をあげて、上目遣いに私の目を見つめ、「ほんと?」と訊いてくる。


 くそ、可愛いなチクショウめ!

 あ、犬畜生は私だった。

 

 しょうもないことを考えつつ、綾里の空いた右手をとって、両手を繋いだ。


「ほら、本当に嫌いにならないから、ね?」


 綾里が頷いて、グスンと鼻を鳴らした。

 そして、ほっと息をつき、小首をかしげて口辺に悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「わんこが単純でよかった」


 こっ、こいつ……さてはガチの小悪魔の国出身者だな! 私の心をもてあそびやがって!


「や、やっぱり嫌いになる!」

「嫌いになったらノートのコピーばら撒くから」

「ば、ばら撒いたら嫌いになるから!」

「なんで! 嫌いになったらもっとばら撒くから!」

「もー! 先輩の迷惑になるでしょ!」

「ことりが変な妄想書いてるのが悪いんでしょ!」


 はっ……それもそうだ。

 思わず閉口してしまった。

 綾里が邪気ましましにニヤリとする。


「嫌いにならないでね。命令だよ」


 うわ、言葉の最後にハートマークがついてる系の口調だよ。

 やっぱりこいつは小悪魔だ! めちゃくちゃ可愛いのがまた腹立つ! 


「わかった? 私の可愛いわんこちゃん」

「は、はい……」

「敬語やめてって言ったじゃん、違うでしょ」

「あっ……うん、わかった」


 綾里が「よろしい」と言って、手を繋いだまま再び歩き始めた。

 

 大変なことになったなあ……これからどうなるんだろう。


 そんなことを考えて、仲良く(?)手を繋いで帰ったのだった。

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