001 リトル・グラフィ

 今日もヒトエリのライブは盛況だった。

 ヒトエリこと、ひとえリミテーション・ガールズの裏方を務めることになったあおいにも、達成感がある。

 興味を持ってライブに訪れてくれた人たちの一定層が、ガールズたちのファンとなってくれている。ファンたちからのライブパフォーマンスへの投げ銭も増加を続けている。

 

 ガールズといいつつも、ヒトエリのメンバーに性別はない。バーチャルな活動体のグラフィであるメンバーの共通要素は、いわゆる夏着物である単衣ひとえを身につけていることのみ。ヒトエリのグラフィは、小妖精エルフ、猫人、餓狼人、そして、バックダンサーのアマゾネスたちで構成されている。和装のパフォーマンスグループ。ヒトのものとは当然に異なるグラフィのその所作モーションには、所作モーションを類型別に集積するリポジトリ、通称、ポンドが活用されている。

 

 ヒトエリのグラフィックを担当しているゲーム開発会社のゼータスペックは、グラフィがポンドから適切な所作モーションを選ぶ多軸入力型のアルゴリズム・エンジンの提供をあおいに依頼している。

 これまでのバーチャル・アイドル系のプロジェクトでは、メンバーの動作は、クリエイターやエンジニアが泥臭くコンピュータグラフィックスを駆使して作り上げてきた。

 対して、ポンドを全面活用するヒトエリでは、各メンバーの所作モーションに、いわゆる中の人がいる。ただし、いわゆるモーションキャプチャではない。亜人であるヒトエリのメンバーそれぞれに即した所作モーションを生み出し続ける「亜人の運動神経」となるアルゴリズム・エンジンを介し、ヒトエリのメンバーの中の人とつながっている。

 

 開発者としてのあおいは、大脳の活動状況と手足のモーションとを入力に、それぞれの亜人の種族らしさを出力とする介在エンジンのアルゴリズム実装が担当となる。

 ハードウェア的な工夫は、ゼータスペック社の協力会社である深センのメイカーが行ってくれている。大脳の活動状況を捉える小型の核磁気共鳴装置から、エンドユーザーからのフィードバックを「肌感覚」として伝えるシルクトロン装置といった隠し味を導入し、概ねの設定するあたりまで。

 あおいが注力したのは、人が大脳にリアルに運動の行う際に介在する小脳に相当する機能の作成である。あおいはその介在機能を微小の脳の意を込めて「リトル」と呼ぶことにした。

 試行錯誤の末に、中の人は、「リトル」を介し、ポンドの所作モーションのリポジトリと違和感なく接続することができるようになった。レッスンを通じ、ひとたび映像や肌感覚から、両手両足と体軸をなめらかに多軸入力し、より亜人らしい所作モーションを感じ取れるようになった使い手は、ヒトエリのメンバーとして、それぞれのキャラクターを見事に演じ切れるようになっていった。「リトル」はバーチャル世界で活動する人々の小脳となる可能性が実証されたといえる。

 

 ヒトエリの活動に協力をしたポンドの運営サイドにとっても、満足できる流れである。コンピュータグラフィックを作成する際の物理演算やレンダリングの負荷を軽減し、環境貢献をするという趣旨をポンドは掲げている。ヒトエリのような活動が広がれば、趣旨に賛同しポンドにコンテンツを提供してくれている制作会社やクリエイターへの成果還元も本格化できることだろう。

 

 万事順調と思われる中、秘かな懸念をあおいは抱えていた。

 いまだ試験段階にある「リトル」の稼働試験も兼ね、あおいは、ヒトエリのバックダンサーのアマゾネスの1人を演じていた。クリエイターとレッスンダンサーのアドバイスの下、「リトル」を介しアマゾネスらしい所作しょさができるようになったあおいは、ライブからアフターの投げ銭イベントまで、そつなくこなせるようになっていた。

 深センのメイカーが持ち込んだ肌着型装置のシルクトロンからのフィードバックとなる電気刺激にも慣れたあおいだったが、バックダンサーたちの中で、投げ銭額で一番人気となっているのが自分であることに当惑していた。

 フロントの三人の亜人のグラフィは、プロのダンサーが中の人である。対して、バックダンサーのアマゾネスの中の人は、今の所、運営は明らかにしていないが、かつての人気セクシィ女優たちが主力である。その中に、ひとり異性との接触経験が皆無のあおいが加わっていた。

 「リトル」の使い方のレクチャー担当を兼ねて加わっているに過ぎない、ダンスの素人である自分に、なせ観客たちから多くの投げ銭が集まっているのか。

 研究者として、いくつもの仮説を立てることはできる。第1に、リトルの研究開発者として、あおいのみが本来的な接続先であるリアリテスからリトルに接続していること。第2に、グラフィの中の人としての素質はさておき、メンバーの中であおい最年少者であるあおいの動きを観客たちが何らかの形でポジティブに受け入れていること、など。

 

 ただ、開発過程で、「リトル」を連用するうちに、いつしか聞こえるようになっていた幻聴との関係もあおいは意識せざるを得ない。

 口々に求愛してくる幻の声が、葵の脳裏に頻繁に響いていたのだ。脈絡なく聞こえるこの幻聴が何を意味するのか全く察しがついていなかったあおいだが、ヒトエリのライブでの突如巻き起こった人気に、まさか、と不安を募らせたのだった。

 あおいは、「リトル」の本来的な応用先である作業療法分野での研究協力者として知り合った精神科医の斎藤に、幻聴のことを相談してみることにした。

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