涙は血のためにとっておけ(中)

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二号月十八日 赤曜日スタンジリヤク

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 再会したカズスムクとタミーラクは、僕のやつれぶりに、ひどく驚いたらしかった。そんな状態で旅行なんて大丈夫かと聞かれたが、是と答える。

 僕がどうしても行けないとなれば、ソムスキッラは仕方なく二人に同行するかもしれない。三人のためには、その方が良い気もした。


 当時のザデュイラルは春学期で、六月に卒業式を行って夏期休暇に入り、夏至祭礼となる。今を逃すと、長旅に出る機会はもうない。

 けれど、僕は僕で二人についていく理由が出来てしまったのだ。


  旅行が終わったら、しばらくはザデュイラル暮らしだ。

 そうなったら今年の夏至祭礼も、冬至祭礼も見ることが出来る。その他の祭りや、今年逃したものだってまた来年に、

 なにげない時制の言葉を手記にしたためた時、僕はふいにおののいた。来年の楽しみ、それはタミーラクにもあるだろう。けれど、その一年という時間の進みはあまりにも重い。分かっていたはずなのに、僕は血の気が引く気分だった。

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二号月二十二日 黒曜日カズゼルヤク

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 旅先は南アポリュダード大陸の半島国家・ヴィラルスカ〔Vilalska〕共和国中部の都市、フロレンサ〔Floransa〕だった。暖かく、風光明媚な観光地だ。

 歴史ある数々の教会建築、宮殿、美術館、博物館が壮麗な眺めを作り、刺繍にジュエリー、香水など、みやげに良さそうな工芸品にも事欠かない。


 ヴィラルスカは魔族国家圏なので、僕は付け角タギュクをつけて過ごす。フロレンサを目指す洋上で、僕はカズスムクとタミーラクに打ち明けた。


「実はですね、旅に出る前に大トルバシド卿に呼び出されまして。あなた方を監視して、定期的に行動を報告しろ。終わったらコガトラーサ家の蔵書を一年、自由に閲覧することを許す、と。そう取り引きを持ちかけられて、引き受けたんですね」

「待て待て待て」


 一等船室のベッドに腰かけたタミーラクは、呆れたように手を振った。カズスムクは彼の隣に座っているが、澄ました無表情。


「お前、それを今バラすか?」

「いや、だって。僕が報告しようがしまいが、別に何も変わらないでしょう?」


 コガトラーサはただの侯爵家ではない。

 遡れば祖先はキリヤガン地方の王族に連なり、ザデュイラル帝室譜代ふだいの臣として、高い家格かかくを持つ。

 更には、稀代の天才と謳われる宮廷料理長の現当主。そんな彼らが、大事に育てた子供スタンザに万一が起きないよう、手を打つのは当然のことだ。


 それを僕らはみんな、口に出さないまま分かっていた。擦りむいた肌に海の水が染みるような痛さで、そう理解していた。

 たとえ仮初めの時間でも、口にしてしまえば自由ではなくなってしまう。だから、二人は最後まで黙っているつもりだったはずだ。


「旅の楽しみを台無しにして申し訳ありませんが、僕はどうしてもあの蔵書を読みたい。何しろ貴重な歴史資料が山ほど……」

「んなこと聞いてねえよ!」


 タミーラクは虎が牙を剥くように吠えた。


「……そしてあなたたちに、大トルバシド卿との取り引きを黙っておくこともできない。だから、こうして正直にお話ししました」


 ベッドから立ち上がり、距離を詰める彼から逃げる間もない。タミーラクは僕の両脇を抱え上げると、猫か幼児に「高い高い」でもするように持ち上げてしまった。

 いくら僕がやせっぽちでも、大の男をよくそんな楽々扱えるものである。


「よしカズー、こいつ海に捨てちまおう。完全犯罪ってやつ試そうぜ」

「いいね。殺して食べるには、場所も時間もないし」

「煮るなり焼くなり好きにしてください、って言うべきなんですかねえ」


 この言い方は魔族的には、下手したら求愛表現になるのだろうか? 僕がつい余計な思考に逸れていると、タミーラクはしみじみ言った。


「正直、お前の脳みそだけは本当に食いたい」

「じゃあ首を落とす方法を探さなきゃね」

「いや、その前に殺さないで下さいよ」


 話している間も、タミーラクは呆れたり怒ったりしているが、カズスムクだけは無色無面の有り様で、どこまで本気か分からないのが怖かった。


「よし学者バカのメガネザル野郎、お前を殺さない理由を述べやがれ」

「計画があります」


 僕は何も考えず、取り引きのことを話したのではない。彼らがこの旅を楽しむために、できる限りのことをしたい。全てはその前振りに過ぎなかった。

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抜粋(二号月二十四日から二十九日まで)

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「すげーなヴィラルスカは! ザデュイラルは一番寒い季節だってのに、ここは十号月なみの暖かさだ」

「この国の冬は、いくら寒くても氷点下まで冷えこんだことがないって言うよ」

「それ冬って言うのか? ヴィラル人が寒いって言ったら、はったおしてやる」


 ヴィラルスカ到着一日目。

 タミーラクはザデュイラルの外に出て、生まれて初めてのように自由を満喫していた。父からも兄からも遠く離れて、贄という身の上なんて忘れたように。


 二人からは旅の間、色々な話を聞かされた。

 トナカイ狩りの夜、冬の寒さに凍えながら、星空を眺めたこと。

 湖面の氷を割って水に飛びこむ、寒中水泳のこと。

 ザミアラガンに無理やり連れて行かれた、不本意なピクニックのこと。

 妹のウィトヤウィカが「推理小説を書いた」とカズスムクに持ってきたので、遠慮無く欠点を指摘したら、真の作者がソムスキッラだった事件のこと。

 それに触発されたタミーラクも一本執筆したが、全員が苦い顔をする出来だったこと。


 笑い話に武勇伝、単なる愚痴、ありとあらゆる話が出てきて、どうやら二人はお互いの間にある想い出を、この旅で総ざらいするつもりらしかった。


 その中には、こんな気の重い話題もある。汽車で移動中のことだ。四人がけの席の内、車窓を眺めていたタミーラクが、ぽつりと言った。


「そういえば、俺の甥っこのユコ坊……ユコンリウシ〔Veqonlius多芸多才〕って子がいてさ。ザミア兄上の長男なんだけれど、もうすぐニマーハーガンが近いんだ」

「すると、またあなたはウェロウを調理するわけですか」何気なく相づちする。

「そ。んで、父上はお祝いが済んだら、ユコ坊を控えの贄にするんだと」


 タミーラクの隣、え、とカズスムクが息を呑んだ。


「どういうことです?」


 僕が訊ねると、答えるカズスムクの口調はいつになく苦い。


「贄候補の予備に指定された控えの者は、役目としてはごく軽いものです。たいていは傍系の者から選びますが……直系から選ぶことは珍しいですね」

「まあ、俺がおとなしく召し上げられりゃ、何も変わらないんだよ。ユコ坊はお役目を解かれて、改めてザミア兄上の嫡男になる。次の次のトルバシド侯爵だぜ」


 タミーラクは快活に笑う。車窓から差し込む陽を浴びる顔は、何の憂いもない少年のように、穏やかな光が波打っていた。

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