15

 早速ぼくと隆司は軽音の部室に向かった。プレハブをさらに仕切った、3畳くらいの広さの部屋。ほとんど楽器倉庫のようなものだった。


 その壊れたキーボードはキャビネットの上に無造作に置かれていた。隆司が背伸びして、それをなんとか取り出す。カシオ CTK-541。確かに見た感じ、かなり古そうだ。だけど外見は特に何か凹んだり傷ついたりひび割れしてたりスイッチやつまみが取れたりはしてない。しかも鍵盤は高科さんの望み通りの61鍵。これが使えれば問題は一気に解決する。


 しかし。


「これ、どこが壊れてるの?」


ぼくが隆司に問いかけると、彼はあっさりと応える。


「電源が入らない」


 ……。


 それ、何気に難易度高いヤツだよ……


 ぼくの顔があからさまに歪んだのを見た隆司も、しかめっ面になる。


「やっぱ、難しいか?」


「……多分ね。ちょっと、ぼくの手には負えないかも……」


「いや、でもさ、ひょっとしたら電源部分がダメになってるだけなのかもしれないんだぜ」


「え、そうなの?」


「ああ。これ、乾電池とアダプターどちらも使えるんだけどさ、乾電池の方は……ほら」


 そう言って、隆司はキーボードをひっくり返す。


 あ……


 電池ケースのふたから、明らかに液漏れの跡が……


 ふたを外して電池ボックスを見てみると、これまたひどいものだった。


 電池の端子が錆びまくってる。確かにこれじゃ、電池で動かすのは厳しいだろう。


「アダプターは?」


「これ。だけど、つないでも全然ダメだぜ」


 ぼくはアダプターを部屋のコンセントにつなぎ、ケーブルのプラグをキーボードの電源ジャックに差し込む。


 POWER/MODEスイッチを「NORMAL」に。


 何も起こらない。


 スイッチを「CASIO CHORD」「FINGERED」の位置にずらしても同じだった。


 やれやれ。


 これはかなり手強そうだ。内部の回路の故障だとすると、ぼくの手に負えるかどうか微妙なところだ。父さんなら直せるかな? いや、父さんは楽器には全然興味がないから、キーボードも直したことなんかないはず。だから……父さんでも時間がかかるかも。


 隆司の言うとおり電源が壊れているだけなんだったら、それでもまだ直しようがあるんだが……ちょっとチェックしてみるか?


 そう思ったぼくが、電源ケーブルを触った、その時だった。


「!」


 一瞬、電源ランプが点いたのだ。


 だけど、またすぐに消えてしまう。


 もう一度触ってみる。やっぱり、電源が入った。ぼくは指先でケーブルを動かし、電源が入ったままの状態が続く場所を見つける。


 液晶のバックライトが点灯する。


「おおっ!? 電源が入ったじゃねえか!」


 隆司が歓声を上げた。


「隆司、ぼく、こうやってケーブル押さえてるから、鍵盤押してみてよ」


「わかった」


 隆司はグリッサンドの要領で、白鍵も黒鍵も端から端まで左右に撫で返す。


 問題ない。全部の鍵盤で、ピアノっぽい音がちゃんと出た!


 ってことは、たぶん、隆司の予想通り内部の回路には問題なくて、電源の接触不良なのは間違いなさそうだ。だけど、本体の電源ジャックの接触不良だとすると、かなり分解しなくちゃならないからしんどいし、アダプタ側のケーブルの接触不良だとしても、ケーブルのどの部分でそうなっているのかを探し出すのは時間がかかるだろう。ということは、やはり電池ボックスの機能を復活させるのが、一番手っ取り早そうだな。


「アダプタのケーブルか、本体のジャックが接触不良なだけみたいだね。でも、ということは、電池ボックスの端子もちゃんと磨いて電池を入れれば、電源入るかもしれないよ」


 ぼくは隆司に向かって言う。


「マジか!」隆司の目が丸くなる。「こんなに錆びてても、磨けば直るもんなのか?」


「たぶんね」ぼくはあっさりと応える。「ぼくの家でも、ずっと使ってなかったビデオのリモコンが、やっぱり液漏れ起こしてさ。でも父さんが汚れをふき取って端子を磨いたら、動くようになったんだ」


「なんだよ……それが分かってりゃ、俺でも十分直せたのにな。まあいいや。それじゃ俺、電池買ってくるよ。何をいくつ買ってくればいい?」


「単1、6本……あ、でも、これ学校行事だから、先生に言えば学校で買ってくれるんじゃない?」


「そりゃそうだな」


「ぼくは技術室で、端子を磨いてみるよ。ついでにテスターでアダプターも調べてみる」


「OK。じゃ、俺は中田先生に言って電池を用意してもらうよ!」


 言うが早いか、隆司は駆けだしてあっという間に見えなくなってしまった。


 全くもう……あいつは少しでも先生が絡むと、これだもんな……


---


 ぼくは技術室で、サンドペーパーを使って電池ボックスの端子を丁寧に磨いた。電池ボックスは単1の電池が6本直列に並べて入れるようになっている。マイナス側の円すいバネになっている端子はかなり磨きづらかったが、それでもぼくは根気よく磨き続けた。


 そしてぼくは、端子の先端と奥の配線につながってる部分にそれぞれテスタのプラスとマイナスのリードを当てる。導通を示すブザー音。大丈夫そうだ。ついでにテスタを電圧計測モードにして、アダプターの出力も計ってみた。数値は0Vのままだったが、ケーブルを動かすと、とたんに9Vちょいまで跳ね上がる。


 ビンゴ。やっぱ、アダプターの問題だ。本体じゃなくて助かった……これなら直しようがある。電池もどれくらい持つか分からないし、アダプターで動かせればそれに越したことはないからな。といっても、今は直している時間がないから、後で家にアダプターを持ち帰ってじっくり直すことにしよう。


 最後にぼくは、玄関にあった消毒用のアルコールをペーパータオルに含ませて、電池ボックスとふたに染みついた、電池の液漏れの跡を拭いていく。

 上面のパネルや鍵盤にも結構ホコリがたまっていたので、ウェットティッシュで綺麗に拭き取る。高科さんが使うんだものな。汚れたままにはしておけない。


 よし。かなり綺麗になった。教室に戻ることにしよう。


---


 教室では、既に中田先生が単1の電池を6個用意してくれていた。早速ぼくはそれを一つ一つ正しい方向に入れていく。そしてふたを閉めてひっくり返し……電源、オン!


 ……やった! 電源ランプが点いて、液晶画面も表示された! しかし、よく見るとちょっとバックライト暗いな……ま、実用上は問題はないだろう。トーンはデフォルトの番号00の状態で、ピアノの音が出る。と言っても、ピアノ「みたいな」音、って感じだ。本物のピアノとは全然違う。それでも練習だったら十分だろう。


 ぼくが音を鳴らした瞬間、おお……というどよめきに教室が包まれる。


「翔太、やったな! お前やっぱ、修理の天才だな!」隆司がぼくの肩をつかまえて、乱暴に揺さぶる。


「お、おい……やめてくれよ。ぼくは端子を磨いただけなんだから……」


「それでも、そうすれば直るって分かるんだから、すげえよ!」


 そうかなぁ……そんなこと言ったら、父さんの方がよっぽどすごいと思うけど。ぼくなんか、全然かなわないもの……


「よかったわね。それじゃ高科さん、弾いてみてくれる?」中田先生だった。


 そうだよ。天才と言えば、高科さんの方がよっぽど天才だ。


 早速高科さんが、キーボードが置かれた机の後ろの椅子に座る。そして弾き始めた。"Singing in the rain" ……


 そう言えば、彼女が弾くこの曲を聴くのはこれが初めてだ。1番のメロディは原曲に忠実な演奏。やっぱり名曲だ。だけど……


 高科さんはやってくれた。2番のメロディーに入った瞬間、いきなり雰囲気がまるっきり変わった。まるで全然違う曲のように……


 いや、違う曲ではない。確かにメロディーは"Singing in the rain"なんだけど……テンポが一気に早くなって装飾音も付きまくり。1番の時はそんなに難しそうじゃなかったのに、いきなり超絶難易度の曲になったみたいだ。だけど、彼女は全く気負った様子もなく、それどころかどことなく楽しげに弾いている。


 そして最後。イントロと同じフレーズを静かに繰り返して、彼女は演奏を締めくくる。中田先生の拍手が合図になって、あっけにとられていたみんなが正気に戻り、教室が凄まじいスタンディングオベーションの渦に包まれた。


 すごい……やっぱり高科さんこそ、本物のピアノの天才だよ……


「見事な演奏だったけど、それ、本番では演らないでね。その伴奏じゃ大樹君が歌えなくなっちゃうから」


 中田先生にそう釘を刺されて、高科さんは照れたように


「すみません」


 と言いながら、ちらっと舌を出して見せた。「てへぺろ」だ……今時、リアルで「てへぺろ」やったよこの子……ああもう、かわいいなあ、ちくしょう……


「ようし、それじゃ、明日から、演奏入りで通し稽古やるわよ。いいわねみんな!」


 中田先生が檄を飛ばす。


「はい!!!」


 みんなの声が揃った。


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