第5話 それはいつか終わるだろう、と予感のある付き合いだった。

 出会ったのは高校時代だった。ただ学校は違った。受験勉強のために、三年の夏、図書館の閲覧室をよく利用していたのだが、その時の場所取りの列で退屈だったので話をしたのがきっかけだった。

 私と彼は話も合った。合ったからこそ、「付き合って」いたのだ。読む本とか、聞く音楽とか、映画とか、そんな話をとりとめなくしていた様な気がする。正直、私はそれだけで良かった。楽しかったのだ。

 短大のクラスメートに対して、何処か壁を作っていたように、私は高校のクラスメートとも、何処か一線を置いていた。「友人」はだいたい他のクラスに居た。その方が気楽だった。クラスが違う子達は、だいたい話が合うから続くのである。

 彼にはそんな友人達と同じような気楽さがあった。だから私の意識の中では、彼は長いこと、「男友達」だった。その位置を壊したのは彼だった。

 その位置が壊れてからも、私達の付き合いは続いていた。ただ、私の中では彼の存在は分裂していた。

 どうして昼間の楽しい「友達」が、夜、面倒くさい「恋人」というものにならなくてはならないのか、いまいち理解できなかった。


 いや、理解したくなかった。

 「友達」を無くすのが嫌だったから、「恋人」ともずるずると付き合っていた。

 だけどそれはいつか終わるだろう、と予感のある付き合いだった。


 そしてその読みは当たっていた。いや、読みというよりは、私自身が終わらせた、と言った方が正しいのだろう。

 私は地元の大学に進んだ彼が、そのまま地元の企業に就職したいタイプであることを知っていた。わざわざ口にしたことは無かったが、彼がそういうタイプであることは知っていた。兄貴とは逆だった。

 大学でも単位を一つも落としてなかった。追試も受けなかった。もしその授業を一度も受けたことが無かったなら、ノートを借りまくり、コピーを取りまくり、絶対落とさないタイプだった。

 兄貴だったら、本当に好きな科目だったら、自分の力だけでやって、たぶん落ちる。―――いや、別に兄貴がどうということではないのだが、彼はそういうタイプだった、ということだ。

 それはそれで、要領がいいということなのだろう。

 実際にはちゃんと授業には出ていた。ただ、そういうこともできただろう、と私は思うのだ。


 何だろう。

 だから、実際には「どの部分」が嫌だ、ということではないのだ。

 ただぼんやりと、「何か違う」ということが、自分の胸の中にたまってきた。

 ただ私も私だったので、それを口にはしていなかった。言っても判らないだろう、と何となく感じていた。何だろう。言葉が通じない、という気持ちが私の中には確実にあったのだ。それはあきらめに近い。



 一番決定的だったのが、別れた時だった。

 短大の二年の夏、就職先が決まった、ということを彼に言ったら、彼は露骨に嫌な顔をした。

 何でそんな顔をするの、と私は訊ねた。

 リクルートスーツの私は、カフェで向かい側に座る彼に、首を傾げた。私にとってはめでたいことだった。

 めでたいに決まっている。いくら外面のいい私としても、それなりに努力というものをしたのだ。資料を集め、きちんとした恰好で、勉強も重ね、何社も何社も訪ねた。確たる目的もない「就職」というか「就社」は、不況のこの時代、短大卒はハンデだ。

 そう、私は就職に何の目的も持っていなかった。職が無いと食っていけない。だから職につく。それだけだった。

 この歳になって親に食わせてもらおうとは思っていなかった。それに、食わせてもらいたくもなかった。家を出たかった。だったら、いっそのこと。

 だからそれでも彼におめでとうの一つも言ってもらいたかったのかもしれない。少しは期待していたのだろう。

 だが彼の表情は期待通りにはならなかった。

 問いただすと、彼の表情の理由は二つあった。

 一つは、彼に就職活動のことを言わなかったこと。もう一つは、その場所が東京だったこと。

 東京だったら、反対していた、と彼は言った。

 私は何故、と訊ねた。お前俺ともう会わない気か、と彼は言った。

 私は答えに詰まった。

 どうしてそういう問いが来るのか、さっぱり判らなかったのだ。どう答えていいのか判らなかったので、黙っていた。彼が次に言う言葉で、対応を決めようと思った。そうしたら彼はこう言った。


「もういいよ」


 私はもっと困ってしまった。何を彼が言いたいのか、ますます判らなくなってしまったのだ。

 だから仕方なく、それがどういう意味なのか、彼に訊ねた。

 別に会わない気はない。だけど会える時間が少なくなるのは確かだろう、と付け加えて。事実だった。

 彼は悲しそうに首を横に振った。そして言った。


「無理して俺に付き合わなくてもいいよ」


 無理は。

 していた。

 それは知っていた。

 自分のことだ。


 だけど彼が私のことを好きなのも知っていたから、その手を振り解くことをしなかった。振り解く理由もなかった。

 私はそうなの、と答えて、席を立った。そうする以外、私には浮かばなかった。

 それで終わりだった。あっけない程、簡単に。



 後になって、電話が来た彼の友達から話を聞いた。彼はどうやらずっと私に地元に残って欲しかったらしい。

 戻ってくる気はないのか、と友達は訊ねた。

 私は無理だ、とその友達に言った。

 そうだろう、と友達は言った。そしてこう付け加えた。

 奴はあんたのこと、まだ好きなようだ、と。私は仕方ない、という意味のことを言った。友達は低い声で言った。


 あんたは冷たい女だね。


 そう言われても、困る。困るのだ。

 確かに私が彼の前で見せていた私の姿は、彼が望むものに近かったかもしれないが、私が実際にそういう人間であるか、というのは別なのだ。

 見せていた私が悪いと言ってしまえばそれまでだが、普通誰だって、相手によって対応は変わるものではないのか?

 そこで文句を付けられても困るのだ。

 そしてそういうのが恋愛というものに含まれるのが普通、だというのなら、私にとってそれは面倒なものだ。無くて済むのなら、無くてもいい。

 だいたい毎日、それどころではなく忙しいのだ。仕事もだが、それ以外にしても。

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