第26話 もう一つの我が家

「んん……うんうん……」


 家に入り最初に感じたことは、その匂いだ。どんな家にも独特の匂いというものがあるが、自分の家の匂いは気づきにくい。

 でもこんなに久しぶり、七年も家に来ていないとならば話は別だ。そしてそれは視覚によるものよりも強く、僕の心と記憶を刺激した。


「おじゃましま~す。レンちゃん、どう? 七年ぶりのもうひとつの我が家は?」

「はい……こんなに時間が空いてても、忘れないものなんですね」


 だけど家の中はすべてが同じというわけではない。

 例えばテーブルなど家具の場所が変わっていたり、テレビが新しくなっていたり、そういった記憶の中とはいくつか違うところがある。


 あとちょっと違和感を感じるが……これはきっと背が低くなったからか。

 よく久しぶりに帰った実家が小さく感じるなんて話があるが、その逆は僕ぐらいのものだろう。


「母さん、結構模様替えとかした?」

「そうだね……やっぱりあの後いろいろね……」


 僕が死んでから……やっぱりどうにかして切り替えていこうとしたんだろうな。その気持ちは痛いほどわかる。

 僕自身も母さんや父さんがどう思っていたのか、ずっと考えてきたから……


「そういえばレン……」

「ん? 何かあるの、母さん?」

「あなた達ってどんな家に住んでるの?」

「あ~それはね……ちょっと言いにくいけど~ここよりはだいぶ大きい家。あとはその前に住んでた家も……」

「そうなんだ……いいわね」


 やや答えにくい質問にセシルさんと一瞬目を合わせてから答えた。

 ちょっとだけ元気なくしちゃったかな。でもセシルさんは実質的に国を動かしているような立場にもいた人だからな。

 今は違うが、それでもまだ僕たちがお金持ちなのは間違いない。ごく一般のサラリーマンの父さんとはちょっと比べられないよなあ。


「じゃあレン、こっちに来て」

「えっと、これは……」


 リビングの端の方に置いてあったのは、僕の……男だったときの写真だ。つまりは遺影だが……


「やっぱり七年ぶりだと自分の顔も忘れちゃうでしょ。それともやっぱり昔の自分より、今の可愛い女の子の方がいい? 気に入ってるんだよね」

「ん~そうかも……でも」


 こうやって今自分を見ると、案外……


「結構男前じゃない。昔のレンちゃん」

「そうですか、セシルさん……どーもです」


 僕も大体同じような感想だ。割と……普通くらいの顔立ちだと思う。

 今でこそ、容姿については自信があるが、昔はコンプレックスとまで言わないものの、自分でそんなに良い評価をしたことは無かった。そこまで卑下することもなかったな。

 まっ、それでも今の自分が大好きってことには変わりないけどね。


「さて……私はこれから忙しいから、とりあえずゆっくりしていて」


 僕が写真を見ている間に、母さんはエプロンをして、台所に立っていた。さっきお昼は軽く済ませたので、きっと夕飯の支度だろう。


「せっかくもう一度家に帰ってきたんだから、今日はあなたの好物たくさん作るから。セシルさんも召し上がっていってください」

「あっ、じゃあ僕も手伝うよ」


 立ち上がり、持ってきたバックの中のケースから自前のエプロンと包丁を取り出す。こっちの世界では料理することはあまり考えてはおらず、果物剥くときにでも使おうぐらいの気持ちで持ち込んだ物だ。

 だけど今日の朝、こんな展開になるであろうことを予想して持ってきた。そしてそれは正解だった。


「えっ……いいよ。それにあなた料理なんてしたことなかったよね?」

「ふ~ん、じゃあ見ててよ」


 髪をまとめ、僕は料理の下ごしらえをする母さんに並んで台所に立つ。疑いの目を向ける母さんに対して、僕は玉ねぎを一つ取りそれを刻んだ。

 何気ないことだが、今の技術を見せるには十分だろう。


「ええっ、早っ!」

「ふふん、どう?」


 トトトンという包丁とまな板の当たる軽快な音と共に、ものの数秒で刻み終えた僕はちょっとにやけながら母さんの方を向き直る。いつも交代で料理してるし、包丁のような動作はもっと繊細な魔術の鍛錬もありお手のものだ。

 飾り切りとかだってある程度ならできる。


「レン……凄いね。私よりずっと上手だし……」

「セシルさんから教えてもらって、いろいろやってるからね」

「女子力高いわね……」

「女子力……かあ」


 母さんが驚いているのも無理はない。以前は本当に料理とは縁が無く、こうして並んで料理するなんて考えもしなかった。


「あとこの包丁も一応魔術かけてあるしね。これ自体で完成してるものだから母さんにも使えるよ、ちょっと試してみる?」

「えっ、私でも使えるの!? 貸して貸して!」


 包丁が特別なものと聞き、半ば強引ぎみに僕から包丁を取る母さん。

 気持ちはわかるけどさあ、もうちょい落ち着こうよ。


「どう?」

「凄い……手に吸い付くみたいだし……この切れ味も……やっぱすごいのね、あなたたち」


 僕たちが普段使っている調理器具は向こうの世界には本来ない、別世界から持ち込んだものも含めいろいろ細工が施してある。

 その内容はこんな機能あったらいいなと思うようなものもあるが、包丁については純粋にその機能を高め、より使いやすく、より切りやすく、より安全にを突き詰めたもの。

 これ自体が調理技術を上げるものではない。


 しかし単純な強化だけにその腕の差が出てしまう。確かに母さんに言ったようにこれの出来栄えは実際に包丁にやってくれるかはもちろん別にして、こういうことを生業としている職人みたいな人たちでさえ遥かに及ばないものだと自負している。セシルさんのはもっと上だけどね……

 

「レン、ありがとね。包丁置いとくよ」

「あっ、わかった」

「じゃあ、追加の買い出し行ってくるから、残りの野菜切ってもらっててもいい?」

「お安いご用だよ」


 今作っているのは母さんの得意料理であり、僕の好物だったビーフシチュー。僕も向こうで味を思い出しながら何度か作ってみたけど、どうにもしっくりこなかった。

 今日はようやくそれが食べられる。楽しみだ……


「それ終わったらこっちもやっといてくれる?」

「はいはいっと」


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