第11話


絵美の不安定な心に呼応したように、胸の前に美しか輝く黄金の林檎が姿を表した。


(……また、突然ね……)


柔らかく輝く光が、なぜか絵美を慰めているように優しい。


(…あなたも知ってるんでしょう?)


精霊神シヴァート。

絵美の知らない全てをこの輝く林檎は知っているのだろう。

凛音に癒着したのは、紛れもなく精霊神の意思である。なんらかの意図がなければ、そんなことありえないだろう。

ましてそれが別世界の、人間であるのだから。


〈ーー…護るならば、何故いつまで経っても元の姿に戻ろうとしない〉


それは先程よりも幾分も冷たさを込めた、声だった。

絵美はその声音にびくりとして、サッと林檎から再び精霊王を見る。

そして息を呑んだ。

確かに氷のように冷たい瞳はそのままである。けれど、その瞳が冷たさとは別に、悲しみが見え隠れしていた。


〈お前たちが中途半端に護るから、見ろ。何も知らず、この世界へ来てしまったではないか〉


それがすでに絵美に向けられた言葉でないことはわかった。


〈どうせなら何も伝えず、この世界の事を断ち切ってしまえば良かったのだ。そうすれば、というのに〉


黄金の林檎は、何度か点滅した。

それがまるで絵美には、すまない、そう言っているように見えてならなかった。

それを知って知らずか、オベリオンは忌々しそうに大きな息を吐き出した。


〈どうせ、何を言っても私の話など聞かないのだろう。……それならばきちんとしろ。中途半端に護るな。こちら側へ来たのだ。巻き込まない、巻き込みたくないという選択肢はどこにもないのだから〉


絵美は、その精霊王の姿に驚いて瞬いた。

先ほどまでの冷たさと違い、どことなく面倒くささを孕んだ物言いは、まるで心配しているようだったからだ。

まるで黄金の林檎もそれを面白がっているように何度か点滅した。

目を丸くしていた絵美に、黄金の瞳がギョロリとこちらを見る。


〈いいか小娘。これからは知らないでは話にならん。だが一から十まで我らが教えるのも癪だ。自分自身で己を探して、答えを導き出すんだな〉


そう言うと、精霊王はパチンと指を鳴らした。

あっという間に景色は、見慣れた洋館に塗り変わった。

青々とした空と、美しく整えられた庭。


本当なんなのだろう。

突き放して突き放して、嫌いだとその態度で示してくるのに、何故最後に飴を寄越すのだろう。

右手の中に握りしめられている、を絵美は空へと持ち上げた。


夕陽のような表面に、金と銀が蔦のように絡まりながら不思議な模様を作り出すそれは、右手にしっくりくる。


ーー餞別だ。


頭の中だけに響いた声に苦笑した。


「綺麗、ね」


それが誰が使用していたものだったのか、なんとなくわかった。

細身のシルエットのその美しい筆は、きっと祖父アルフォンスの遺したものに違いなかった。


「そう。おじいちゃんはこれで絵を描いていたのね」


まだ側にいた黄金の林檎が点滅しながらくるりと回った。

絵美に相槌でもうったのだろう。


いろいろなことがあり過ぎたこの2週間は絵美の苦痛でしかなかった。


けれど、側には黄金の林檎。

右手には美しい筆。

目の前には白亜の洋館。


ふっ、と絵美は不敵に笑った。


「ここがあたしのスタート地点よ」


そう、絵美の始まりはいつでもここだ。


「見てなさい。精霊王!」


けしかけたのはオベリオンだ。


「しっかり答え見つけて見せてやるわ!」


堂々宣言しながら絵美は心の底からの笑顔を見せた。




ーーーー




美しく磨か抜かれた黒の大理石の上、複雑に描かれた魔法陣が白く光る。

そして、先程まで誰もいなかった場所へこつりと着地音が響いて、1人の男が姿を表した。


「ーーおかえりなさいませ。ルシフェル様」


頭を垂れた男に、ルシフェルと呼ばれた男はアメジストの瞳を細めてにこやかに笑った。


「私の留守中何か大事はありませんでしたか」


柔らかな口調で語りかけながら、羽織っていた外套を脱ぎ棄てる。落ちるより早く、蒼白い焔に包まれて、跡形もなく燃え尽きた。

あの卑しい男を触りすぎたせいで、臭いが移っていたのだ。


「…いえ、とくには……」


どこかはっきりしない物言いに、ダークグレーの髪をかき上げて胸元にしまっていた片眼鏡モノクルを左目へとかけなが、たずねた。


「陛下にでもバレましたか」


肯定も否定もしないと言うことは、そういうことだ。

別にこれもルシフェルからすれば、想定内のことである。


「現状、思わしくないないと」


それには男もすかさず「はい」と返した。


(なるほど)


これも想定内ではあるが、早めに手は打つべきだろう。

なんせ相手はその力で大陸一つ海に沈めることができる魔帝陛下その人だ。


「どこかの国が戦火に包まれる前に、参りましょうか」

「はっ」


まあ、それも一興ではあるが。

今はまだ静観が好ましい。


ただ、自分が顔を見せてさらに機嫌を損ねるのは間違いないだろう。

あの自分たちと同じ色なのに、他とは違う輝きを放つアメジストを思い出しながら、ルシフェルは楽しそうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る