間話 裏切り者の末路

そこは城下にある屋敷の中でも、小さな部類の屋敷だ。それでも庶民たちからすれば、豪奢な屋敷は大きくは見えるだろう。

だがその屋敷の主人は、それで五体満足はしてはいなかった。


男はどこにでもいるような男だった。

くすんだ茶色の髪に、土色の瞳。

一度見ただけではなかなか覚えられないその特徴のない顔は、今は恐怖に彩られ窓際に追いやられている。


男は頭が少しばかり良かった。

一代で築き上げた商家でたくさんお金が入って来ると、お金で子爵位を買った。

男は出世欲も強かったのだ。

けれど同時に他の貴族から、成金貴族となじられるようになる。

有り余るほどある金があるのに、なぜ馬鹿にされるのか理解出来なかった。

では馬鹿にされないためにはどうすれば良いのか、考えたとき一つの答えにたどり着く。


ーーバームバッハの国王陛下に気に入られれば良いのだ。


そうすれば貴族たちからなじられることなく、むしろ高位の貴族さえ平伏すことになるかもしれない。


思い立ってから行動は早かった、城で開催される催しにはすべて参加したし、陛下に謁見も申し込んだ。

謁見できたときには、しっかりと自分の商家の営業をして取り立ててもらうつもりいた。

けれどいくら申し込んでも、陛下とまみえることはなく、陛下まで自分を馬鹿にするのかと、憤った。


そんな時だ。

英雄の孫で聖女の娘がやってきたのは。

英雄も聖女も、この国ではまだ新しい話である。けれど、この大陸にいて知らない者はきっといないだろう。


ーー偉業を成し遂げた英傑たちの孫で、ひいては娘だと?


何も為していないただの小娘がなぜ、陛下に守られ大事にされようとしたいるのか。

自分にはひとかけらも目を向けず、いきなり出てきた小娘に言いようのない怒りを向けるには十分であった。


平民時代に良く通っていた酒場で、ヤケ酒とばかりに度の高い酒を煽っていたところに、最近顧客になったその男が近づいてきたのだ。

思えばこれが破滅の始まりだったのだろう。


『こんばんは。エルベス子爵』


その頃には、呂律も思考もあまり廻らないほど酔いが廻っていた。

焦点の合わない視点で、それでも彼が新しい顧客だとわかったのは、その美しい顔の造形だろう。

柔らかな色合いの紫色の髪に、ダークグレーの瞳をした男は一度見たら忘れられない、美丈夫だった。

少しくたびれた服を着ているように見せて、なかなか上等な服を着ているその男は、この大陸ではない、隣の大陸の出身だと話していた。それなりに商家をしていれば、彼がただの一般人ではないことがわかる。

だから、いい客を捕まえたと思っていた。

これでエルベス家は、隣の大陸にまで進出できる良い踏み台ができたと。


ーーなのに、なんだこれは。


「すまないね。エルベス子爵」


申し訳なさそうに眉を寄せる美丈夫は、確かにエルベスが知った顔ではあった。

けれど、昨日まで同じ人間であったその男は、アメジストの瞳でエルベスを見下ろしていた。髪色はダークグレーになり、肌は褐色。

それはまるで。

いや、間違いなく彼は魔人である。


「ーー…っ!な、何故だっ⁉︎」


思わず叫びながら後ずさった。

何故、彼は魔人の姿をしているのか。

否。最初から彼は魔人だったのだ。


ブルリと背筋が凍る。

エルベスの顔色は雪よりも白く、ガタガタと噛み合わない歯がだらしなく鳴り響いた。


「最初は計画通りするつもりだったんだけれど、思わぬ収穫でそう言うわけにもいかなくなってしまったんですよ」


何かを思い出したのか、魔人は恍惚とした笑みを浮かべた。

計画通りと言うように、その酒場の席で魔人はエルベスにこう囁いた。


『ありもしない噂をたくさん流してしまいなさい。そうすれば、彼女は孤立して警備が手薄になるはずです。その後誘拐して、エルベス子爵が助け出せば、万事うまくいくでしょう。もしかしたらその功績で姪孫であっても王族の彼女を妻に迎えることもできるやしれませんねぇ。それが姫を救い出すの特権と相場は決まっているのですから。もちろん、私も微力ながらお手伝いしましょう』


人好きのする柔和な微笑を浮かべた青年にまんまとエルベスは乗せられた。

そして言われた通り、たくさん噂を流してやった。

その噂を流しながら、最後はそんな傷心の小娘を自分が優しく介抱してやるのだと、心の中でほくそ笑んだものだ。


それがどうだ。

噂を流し始めてから2週間あまり。ついに計画の決行を決めたその日、いくら経っても姪孫姫の誘拐の一報は入ってこない。

そのかわりに誘拐をうけおってくれた彼が現れた。

だがその姿は人間ではなく、魔人の姿になっていだが。


「…ふっ、ふ、ざけるなっ…!」


魔人相手に何とか怒鳴り返したエルベスに、魔人はその微笑を崩さない。

それがさらに恐怖を増幅させた。


「だから言ったではないですか。『すまないね』と」


エルベスからすれば、すまないなんて言葉で済まされては困るのだ。

噂を流すにも、たくさんの賄賂が支払われたている。賄賂の渡った相手は、金だけではなく見返りも求めて協力していたものも多い。

それなのにこの計画がなかったことになれば、彼らはエルベスを告発するだろう。自分たちは無理やり協力させられたと言って、主犯のエルベスに全てなすりつけることになる。

そうすれば実行までは移していないことで、命までは取られずも良くて無期懲役。

これから駆け上がるはずだった『英雄』としての輝かしい未来が刈り取られてしまう。


「わたっ、私を良くも良くも騙したなっ!」

「騙したなんて人聞きが悪いですね。私はただ少し助言して差し上げただけですよ?」

「う、うるさいうるさいうるさいっ!いいかっ!魔人っ!今すぐにでも小娘を連れ去って来いっ!」


今更魔人だとわかったところで、どうしようもない。

もうエルベスは後には引けない。これが上手く行かなければ、後は破滅するしかないのだ。

魔人はその危機にも迫る形相に、何が面白いのか笑い声を立て始めた。


「くくっははっあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ‼︎」


驚いてエルベスは目を丸くした。

それはお世辞にも上品な笑い声ではない。

どこまでも下品で嘲笑う声だった。

そしてどこまでも続きそうだった笑い声は、ピタリと止まる。

止まらない笑いに苦しそうに閉じられていた瞳が、ギロリと開く。

そのアメジストに映るのは、嘲笑う色ではなかった。

そうそれは汚いモノを見る、軽蔑の色だった。


「ああっ!たかだか人間風情が、この私に命令をするとは……。エルベス子爵、貴方は何を勘違いしているのかわかりませんが、貴方が私を扱えるのではなく、私が貴方を使っていたのですよっ!っっっ貴様はどこまで行っても愚かしいことだっ‼︎」

「っっな、⁉︎」


豹変した魔人は、そのままエルベスの襟首を掴んで窓際へと吊り上げられた。

苦しくて、魔人の手首を掻き毟るがびくともしない。


ーーどうして、どうして、こうなった!


遠のく意識の中頭の中で繰り返される自問自答。

けれどそれも長くは続かなかった。


やっと静かになったただだらりと頭をもたげる人形を見上げながら、魔人は面倒臭そうにため息をついた。


「やはり人間とは汚くて脆くて、扱うには少々欠落が多いようですね」


そのままドサリと放り投げると、魔人はその場かから一瞬で居なくなった。


残されたのは、今はぴくりともしないエルベスの亡骸と。


「エルベス様?エルベス様?どうかされましたか?ーーー……っ失礼します!…っ⁉︎」


何かの落ちた鈍く響く音に、異変を感じた使用人が慌てたように部屋へと入り、窓際にぐたりと倒れ込んだ主人を見つると慌てて駆け寄る姿だけだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る