第6章 魔女になった、あの日

第22話

 何故かむっつりと不機嫌そうなクロエから兄に宛てた手紙を預かり、ユーグはアドリエンヌの館を出た。冬の短い日はもう暮れ始めている。影のように歩み寄った従者が、確認の口調で尋ねた。

「ヴュイヤール家ですね。馬車を回します」

「ああ」

 上の空で頷くと、ラファエルは不審そうに眉をひそめた。

「どうかなさいましたか」

「なんか引っかかるんだよなぁ……」

「何がです?」

「マントノン夫人は大王がベアトリス嬢に紫の宝石を贈ったことは覚えていたが、〈すみれの王冠〉には聞き覚えがないと言っていた。ましてや紫ダイヤなんて聞いたこともないとさ」

「ではやはり、別の宝石のことなのかもしれませんね」

「しかし大王がベアトリス嬢に贈った宝石はひとつだけのはず。──どうもよくわからない。何かこう、ボタンをかけ違えたみたいにしっくりこないんだ」

 しばらく考え込んでいたユーグは、肩をすくめて嘆息した。

「まぁいい。とにかく手紙を渡してオーレリアンを安心させてやろう。それはそうと、ダリエの行方は掴めたか?」

「消えたままですね。店にはあなたの兄上の指揮で捜索が入りましたが、すでにもぬけのからだったそうです。どうやらアジトが複数あるらしい」

「ヴュイヤール家の指輪は?」

「見つからなかったそうです。金目のものはいっさい残ってなかったとか」

 ユーグは黙然と顎を撫でた。

 クロエがダリエらによって拉致されたことに気付いたのは、かなり偶然の成り行きだった。いつまでたっても出て来ないクロエを心配したジルベールが店に押し入ろうとして騒ぎになっているところに、たまたま通りかかったのだ。

 店の用心棒に手荒く小突き回されて街路に倒れたジルベールを助け起こし、話を聞いてユーグは仰天した。クロエが男装して賭博場に潜り込むとは、さすがに想定外だ。

 先日フロンサック公爵に絡まれたおり、念入りにクギをさしておいたから、家でおとなしくしているだろうとすっかり思い込んでいた。

 店の近くで張り込み、夜中になって裏口から出発した馬車のあとを騎馬でこっそりつけた。やかましい車輪の音のお蔭で尾行に気付かれずにすんだのだが、まさか走っている馬車から飛び下りるとは、つくづく予想外の行動ばかりしてくれる。おとなしく馬車に乗っていてくれれば、アジトを突き止めることができたかもしれないのに。

 ひどい舗装のせいで速度が落ちていたとはいえ、下手をすればケガどころか車輪に巻き込まれて死ぬ可能性だってあったのだ。軽い打ち身で済んだのはただの幸運にすぎない。

「……まったく、突飛なことをしてくれるよ。おかげで調子が狂いっぱなしだ。着飾っておとなしく座っていればけっこう可愛いのに」

 馬車に揺られながらぼやくと、向かいの席でラファエルが含み笑いをした。ユーグは黒眼鏡の従者をじろりと見た。

「面白がってるな、おまえ」

「堪能してます」

 くっくと男は笑いをかみ殺す。ユーグは窓の外を憮然と睨んだ。


 今朝方、ユーグは初めてヴュイヤール家を訪問した。玄関の扉を叩いてもいっこうに応答がない。貴族は朝寝があたりまえなのでまだ起床前なのかもしれないが、使用人はとっくに起きているはず。

 ユーグは後ろに控えているジルベールを見やった。用心棒に突き飛ばされたときに舗石にぶつけて額を切ってしまい、手当てをして一晩自宅で休ませたのだ。

「ジルベール。この家にはおまえ以外に使用人はいないのか?」

「いえ、姉のジゼルと料理人のマドレーヌがいるはずです」

 すっかり血色のよくなった顔で、はきはきとジルベールは答えた。少年はユーグが摂政公から押しつけられて持て余していた珍料理の数々を、心底美味そうに平らげたのだった。それはもう、ユーグが感心する勢いで。

 扉に耳を押し当ててみると、奥から若い男の怒鳴り声としわがれた女の金切り声が聞こえて来た。どうやら修羅場の真っ最中に来あわせてしまったらしい。

「──っと!」

 いきなり扉が開いてユーグは飛び退いた。

「とにかく警視の家に行ってきますっ」

 背後に怒鳴りながら飛び出してきた男が、ユーグにぶつかりそうになってたたらを踏む。

 ド・ヴュイヤール侯爵は、ぎょっと目を見開いて叫んだ。

銀のユーグユーグ・ダルジャン! ──いや失礼。ムッシュウ・アスラン。なんの御用でしょうか……」

 ユーグはにっこりと極上の愛想笑いを浮かべた。

「朝早くから大変申し訳ありません。少々お話ししたいことがありまして」

「それは光栄です! あなたとは一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていたのです。ですが、今はたいへん申し訳ないが取り込み中でして。実は、妹が昨夜から行方不明なのです! 今から地区担当の警視の家に行って、もしまだ寝ていたら叩き起こして、すぐに妹を探し出してもらわねばっ。というわけで失礼!」

 せかせかと脇をすり抜けようとするオーレリアンの肩を、ユーグはそっと押しとどめた。

「そのことで来たのです。立ち話もなんですから、入ってもよろしいでしょうか」

「い、妹がどこにいるかご存じなのですか!? どこ、どこですっ」

 目をつり上げ、血相変えてユーグに掴みかかるオーレリアンを、ジルベールが慌てて制した。

「旦那様、お嬢様はご無事です。どうかこちらのムッシュウのお話を聞いてください」

「ジル、無事だったのか! ──おぉい、ジゼル。ジルが戻ってきたぞー!」

 ようやく自分の従者に気付いたオーレリアンが大声を上げると、奥から少女が飛び出してきてひしとジルベールを抱きしめた。

「ああ、ジル! よかった、神様! もうてっきり死んだと思ってたぁ」

「勝手に殺すなよ、姉ちゃん……」

 かくしてドタバタがようやく収まり、ユーグは氷のように冷えきった屋敷内へ招かれた。

 廊下の奥で、白髪の老婦人がエプロンをつけた恰幅のよい中年女性に支えられるようにして立っていた。侯爵夫人だろうと見当をつけ、三角帽トリコルヌを胸に当ててお辞儀をする。

 自分が化粧前の部屋着姿であることに思い当たったか、老婦人はうわずった声で侍女の名を呼びながらよろよろと階段を上がって行った。

 サロンに入ってからもまたひとしきり暖炉に火をつけたり薪を放り込んだりの騒ぎがあり、ようやく勢いのついた火に当たりながら、話を始めることができた。ユーグからかいつまんで事情を聞き、オーレリアンはホッと胸を撫で下ろした。

「あなたには何とお礼を言えばいいか……。さぞ情けない男だと思われるでしょうね。元はと言えば自分の失態が招いたことなのに、危険な尻拭いを年若い未婚の妹にさせるなんて」

 オーレリアンは眉を下げ、自嘲の笑みを弱々しく浮かべた。

「自分で行くべきだということくらい、わかっているんです。でも、僕が自力で何とかしようとすると、何故かいつも目も当てられないような惨憺たる結果になる。擦り傷ですむはずがひどく挫いたり、借りた金の額がどういうわけか三倍に増えてしまったり。落ちた棚板を戻そうとすると棚自体が崩壊して重い本が足の真上に落ちてくる。きっと僕は呪われている、いや、疫病神なんです……!」

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