第2話 列狂国の宴

『過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。』 ​───────フリードリヒ・ニーチェ




 ─1918年 3月24日 フランブル地方 西部方面軍 第13旅団司令部



 連邦国防軍・第13旅団のミコ・カウリバルス少尉は大きく伸びをした。ようやくに帰ってきたのだから。

 彼女はこの2週間、旅団司令部という本来の勤務先から離れ、幾つもの部隊を転々としていた。勿論旅団長からの公式な命令書は携えている。理由は新人に最前線を見せておくこと、あるいは彼女が魔法使いであるからかもしれない。


 内戦以降、国防軍上層部は魔法使いを過剰なまでに評価した。連邦軍学校に進学する魔法使いには通常の士官以上の教育を施した。いくら内戦時のかの大魔法使いが使ったような爆破呪文が使えなかろうと、戦場での魔法使いの存在は確実にアドバンテージとなると踏んだのだ。小隊単位での戦闘から軍団レベルでの采配が出来るよう、時には外交官としての能力が発揮出来るよう訓練した。無論海軍士官でも同様だ。


「旅団長閣下。ミコ・カウリバルス少尉、ただいま帰りました~」

 砂塵のついた短い黒髪を揺らし、敬礼する。

「おおう、お疲れ様。ははっ貴様もようやく卒業だな。」

 ピカピカ組とは新人士官の磨かれた靴や帽子のツバが新品故にしていることから言われている。


「ええもちろん閣下のお陰でですねっ」

 ミコは頬を膨らませた。

「ところで、電報でも報告したのですが──」

「──国境の人民帝国軍に動きがある、か。」

 ふたりは軍人の顔に戻っていた。第13旅団長のベリヤ・オフロスキは国防軍きっての柔軟な思考を持っていた。部下から親父殿と慕われ、安酒を水のように水筒に入れて飲んでいる。


「はい。第501大隊所属の小隊に居たとき、カンブルグ付近の前線から偵察に出ましたが人民帝国軍の陣地では人馬や糧秣が普段以上に活発に運ばれ、まるで──」

「まるで森が動いているようでした。既に具体的な報告はされているでしょうが我々の正面にはおよそ6万程度の兵がいると考えられます…そこから考えられるに──。」

 ミコは、普段の様子からは見られない程の弱気でいた。

 しばらく掃除されてないだろう司令部のガラスから埃っぽい光が差した。いやな沈黙が、場を支配していた。


「そうか。ご苦労。戻ってよし。」

 いつものように水筒の蓋に酒を注ぎながらベリヤは言った。

 失礼します、と一礼しミコは去った。会話の始終を聞いていた副官がベリヤに尋ねた。

「これは…いくさになるでしょうか。」

「さあな。方面軍司令部にも第三軍司令部にも報告済みだ。この戦線最左翼にどこまで兵を割いてくれるか分からんが──」

 ベリヤはぐいっと酒を飲みほした。

「貴様はかわらず酒の補充と煙草の掃除をしてくれりゃあいいさ。」


 こうは言ったベリヤだが下がり気味の眉をしかめた。

 間違いなく戦争になる。本国の官僚おえらいさんどもは人民帝国を過小評価しすぎだ。皇帝の甥が数ヶ月前にクーデターを起こしたからと戦争なんかする余裕がないなんて見方はあまりに楽天的だ。そもそもクーデター以前から軍拡はしていた。クーデターはただのブラフだろう。

 ベリヤは手元の地図を見返した。偵察にでたカウリバルス少尉の手によって以前の地図より人民帝国の新戦力を示す赤インキが大きく染められていた。うーん、どの程度耐えられるかな。消極的な上の連中の増援を含めても…まあ3万、いや4万までなら耐えられるだろう。


(無謀だ。耐えられるわけがない。)

 ベリヤのまき散らした煙草の吸殻を掃除をしながら、ブツブツと聞こえる旅団長の呟きを聞いていた副官は震えた。親父殿もついにアルコールが脳を支配したか。


 国防軍は毎年春から9か月の間、新設された部隊、あるいは任期の終えて新人が多く入った部隊に対してこのフランブル地方で西部方面軍として最初の任務に就かせるのが恒例である。国防軍の野戦軍の常備兵力は24万だ。戦時特例として任期の終えた兵を招集する後備師団の兵は12万。


 西部方面軍の戦力は総ざらいしてもばかりの9万でしかない。


 そしてこの戦線最左翼の第13旅団は、7000でしかない。


 ベリヤの旅団は「西部方面軍第三軍」に属しており、第三軍は歩兵2個師団を中核としそこに第13旅団が付属する。西から第三軍、第二軍、第一軍と展開し、第二軍第一軍も歩兵3個師団を中核としている。第二軍の後方には1個大隊が予備として控えているが各軍の休養のために各軍からその都度引き抜かれて入れ替えているものだ。


 生ぬるい春風が、立て付けのわるい司令部のドアをカタカタと揺らした。




 ──1918年 3月25日 フランブル地方 西部方面軍 第13旅団司令部



 人民帝国軍と国防軍の海軍がした翌日、ベリヤは各拠点の大隊長級の人間を旅団司令部に招集した。

「こっこれだけですか?!」

 ミコは目をまん丸にした。

戦時中じゃないぜ。カウリバルス君。」

 ミコとは知り合いの第501大隊のコーディ少佐が皮肉を込めて注意した。

 司令部に静かな笑いが広がった。ベリヤも声を上げて笑った。


「コーディの言う通りだ。十分だろう。」

 ベリヤは面白そうに言ってみせた。

 ミコは信じられないという顔をした。

「しかしっ!少将殿!この数はお粗末だと言わざるを得ません!」


 方面軍司令部は旅団からの要求に対しを送ると言ってきた。その内訳はピカピカ組の歩兵第437大隊、野砲兵連隊1個、工兵中隊1個というものであった。方面軍司令部の判断は「人は出せないけど土嚢積んで頑張ってね」と言っているようなものだった。

 方面軍司令部も状況は痛いほどわかってはいたが、軍上層部か、あるいは官僚たちに漂う楽観的空気とが原因で増援要請は黙殺された。


「ミコ。君は内戦の時は生まれていたかな?──そうか。」

 ベリヤは諭すように問いかけた。ミコは首を振った。

「俺は18年前、あの内戦で大隊長として戦った。君の故郷で、君の親御さんとも戦ったかもしれない。」

 ベリヤは一度言葉を切った。全員がそれを聞いていた。

「ウォブル地方でだ。俺はある拠点を奪うために大隊に突撃命令を下した。だが失敗した。なぜだ、敵は我々より少なく、我々より貧弱な武装であるのに。」


「いつの間にか我々は包囲されていたのだ。砂塵を起こし、箒に乗り、壕を掘り、茂みに隠れ、側面から微少な攻撃を受けた。我々は気にせず突撃した。罠だった。足を取られ藻掻く我々に銃火の雨が注いだんだ。」

「そして見たんだ。悪魔をな。箒に乗った三角帽子のレディ、内戦の英雄、空を舞うデラクールの唱えた爆破の閃光を。」


 窓から見える天気は曇天となっていた。

「目を覚ました時はベッドの上だった。なぜ生きていたかは分からん。だが我々は負けたことは明らかだった。いいかミコ、どんなに数的に不利だろうと勝機はあるのだ。ここを使えばな。」

 ベリヤは自分の頭を指さした。

「しかし…でも…」

 ミコはまだ不安げだ。ベリヤは立ち上がって酒を注いだ。

「あの魔法使いはもう生きてはいません!代わりになる人も──」

「はははっそうか。だが総司令部もバカじゃない。俺みたいに内戦を生き残った連中もいる。いくさになったら動き出すさ。それに──」


 ベリヤはゆっくり振り返った。

「──貴様がいるだろう?カウリバルス少尉。」


 窓からは、いつのまにか朝の日差しが差していた。


 ─1918年 3月24日 ナキヤ海海上 FNS[荒波]


 続く

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