第2話 円満破局、成功…?

「どうしたの? そんなに暗い顔をして」


 部長と付き合っていることを、もちろん会社の人たちには秘密にしている。それのせいで仕事や同僚の態度に支障や変化が訪れるのは嫌だし、なんとなく気恥ずかしさもある。

 なので、会うのはいつも会社の外での待ち合わせだ。いつも通り会社の最寄駅の裏側に停められた車に乗り込んで、何をどう言おうかぐるぐる考えていると、運転席に座った部長が怪訝そうに覗き込んできた。


「あ、の」

「うん」


 いざ言おうとすると、何も言葉が出てこない。部長と、これ以上この関係を続けることはできません、とすっきりと言えればいいのに。百八本の、重量的にも込められた意味合い的にも重たいバラたちが、わたしの部屋のキッチンで帰りを待っていることを思うと、気がふさぐ。


「あの、調べたんです」

「何を? ……ああ、バラの本数の意味?」

「はい」

「何て書いてあったの?」


 自分の口から言うのを思い悩んでいると、部長が何かを察したようにため息をついた。


「……!」


 きっと、プロポーズをわたしが受け入れないことを分かったのだ。どうしよう、そのことを当然話す気でいたのに、いざ伝わってしまうとどうしていいのか全然分からない。

 ハンドルから手を離し、エンジンも切った部長が、とんとんと人差し指で助手席のダッシュボードを叩いた。


「……?」

「開けてごらん」

「……」


 グローブボックスのふたを開ける。中に入っていたのは、小さなホワイトベージュのテディベアだった。


「あの……?」

「困らせたかったつもりじゃなかったんだ」

「……」

「ちょっとした洒落だよ、せっかく泊まったホテルも百八号室だったし」


 なんだそれ、真面目に考えたわたしが馬鹿みたいじゃないか。

 いや、待て。それでも、あの百八本のバラが冗談だったとしても、わたしには言わなきゃならないことがある。


「違うんです」

「え?」

「あの、……部長とは、お付き合いできません……」


 テディベアを引きずり出すと、首にメッセージカードがついているのに気がついた。けれどそれには目をやらず、わたしは部長のほうを見た。部長は、腕を組んでシートにもたれてわたしをじっと見ている。


「……いろいろ考えたんですけど、部長とじゃ、やっぱり、わたしの人生設計はうまくいかないという結論になりまして……」

「君はほんとうにはっきりとものを言うね」

「す、すみません!」

「いや、褒めている」


 ふふ、と笑って、それから部長は少しだけ黙した。その、一分にも一時間にも感じられるような沈黙に耐えきれずテディベアを抱いて俯くと、彼はおもむろに車のエンジンをかけた。


「送っていこう」

「……え?」

「君がそう言うんなら仕方がない。僕では君の人生設計図を書き換えられなかったということだ」

「……」

「まあ、悪いおじさんに引っかかった君も君だけど」


 部長は悪いおじさんなんかじゃない。そう言いたかったけれど、言葉は出なかった。車が発進する。

 無言の無音で、車はわたしのアパートの前に着いた。重苦しい空気に、車が停まってもわたしはなかなか助手席のドアを開けることができなかった。テディベアを抱いたままじっと俯いていると、部長が動いた。運転席のドアから外に出て、助手席のドアを外から開ける。


「さあ、降りて」

「……」


 鞄とテディベアを胸に抱いて、そわそわと足を地面につける。アパートの、わたしの部屋のドアの前まで部長は黙ってわたしをエスコートしてくれた。鍵を出すように促され、鞄を探る。


「……あの」

「では、また明日」

「…………」


 ドアを開けてわたしがきちんと中に入るのを確認し、部長はそっと笑みを顔に乗せて緩く手を振った。ばたん、と閉めてわたしが鍵をかけたあとで、靴音がようやく去っていくのを確認して力が抜けて玄関に座り込んだ。

 これは、別れ話に成功したのか……? もつれることなく円満に別れることができたのか?

 それを認識するにつれ、徐々に力が戻ってくる。ああ、よかった、これでわたしはまた人生設計図を作り直せるのだ、まだ遅くないのだ。

 電気をつけて、キッチンのバラは見ないふりをして荷物を床に下ろす。そのとき、テディベアを抱いたままだったことに気がついて、わたしはふとそれを見た。首についているメッセージカードの内容をしっかりと認識して、はっとする。


『HAPPY BIRTHDAY AYANO』


 鈍いわたしでも気づいた。これが、部長が渡そうとしていた「ほんとうの誕生日プレゼント」であることに。

 プレゼントはバラの花束がいいです、そんなリクエストをわたしがするとうの前にこれをきっと用意していたことに、気づいた。ほんとうに、百八本なんて部長の洒落に過ぎなかったのだ。

 さっき車の中でこの事実に気づいていれば、何か変わっていただろうか。


「や、変わんないか……」


 結局、交際の果てには結婚が待っている可能性は捨てきれないし、もし待っていなかったとしたらそれはわたしにとって無益な付き合いだし、部長となんか、諸々釣り合うわけがなかったのだ。

 洒落だと告げられたときにその事実を受け入れていたとしても、わたしは結局部長に別れを切り出したし、部長はそれを受け入れた。

 自分勝手だと思うけれど、わがままだなって感じるけれど、そもそも狡かったのは部長だ。そんな、典型的な責任転嫁をして、わたしはテディベアをどうしようか悩んだ。バラは、枯れたら捨てればいいけれど、ぬいぐるみって怨念こもっていそうで捨てづらい。

 メッセージカードをとりあえず取り外し、それだけ、ゴミ箱に捨てた。


 ◆

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