第1章 第1話

- 第1章 -


あの日、事故にあうまでは順風満帆な生活だった。

中高生の頃は文武両道を目指しスポーツに勉学に明け暮れた。

大学で学びたい事に出会い、やりたい事が仕事になった。


やりたいから頑張れる。運よく成果が出て認められる。

学生時代からの研究成果も後押しし、その分野では世界で名前が売れ始めていた。

忙しい時期とのんびり過ごせる時期の落差は激しかったが、

モチベーションの維持にもいい環境だった。


そして恋人が婚約者になり、結婚も間近という頃。

その日も仕事で遅くなり、会社を出るとまさに日付が変わろうとしていた。

10月の寒くなってきた風に、コートの襟を立てる。

信号が青になるのを待ちながら、スマートフォンを取り出し、

いつもの操作で婚約者へリダイヤル。

信号が青に変わり、歩き出しながら会話を始めた瞬間


ドンッ


激しい衝撃と共に意識を失った。


目覚めればベッドの上、薄緑の天井を見上げていた。

よく映画や小説で見かけるシチュエーションだな。

そんな事を考えながら、身を起こした。

ッッッッ!?

いや、起こそうとしたが起こせなかったという方が正しい。

激痛が走り、思わず呻いた。


「大丈夫!?」

気づけばベッドの傍らには婚約者の姿が。

「起きようとしちゃダメよ。待ってて、先生呼ぶね。」

ナースコールで医師を呼んでくれたのだろう。

「全身の骨折で、今は動ける状態じゃ無いんですって。」

『小夜香…一体何が起こってるのか、まったく分からない…

 何があったのか教えてくれないかな…』

「交通事故よ。車に轢かれたの。

 無灯火の電気自動車が突っこんできたんですって。」

『真っ暗な上に走行音も無しか…まるで走る凶器だな。』

「実際凶器のつもりで走らせてたみたいよ…

 そのまま数人巻き込んで、最後は壁に…。

 誰でもいいから巻き込んで死にたかった

 なんて言って別の病院で死んだって。

 一人で海にでも突っこんで死んでくれればいいのに…

 あなたが無事で本当に良かったわ。」

そういって泣き始めた小夜香に、痛みをこらえてゆっくり手を伸ばす。

そっと頭に手を乗せると、医師がやってきた。


「彼女さん、落ち着いたらゆっくりと彼の手を

 戻してあげて下さいね。

 彼氏さん、気持ちは分かりますが今は無茶しちゃダメですよ。

 相当痛いでしょうに。」

「あ、先生。すみません、お恥ずかしいところを…」

「いいえ、彼の意識が戻って本当に良かった。

 彼女さんの献身的な看病のおかげですね。

 初めまして、主治医の高山と言います。」

そして俺は自分の現状と、待ち構える憂鬱な未来を知るのだった。



肋骨、腰椎、大腿骨の骨折。太ももには鉄筋による貫通創。

病院に運び込まれた時、たまたま臨時のERの医師が居てくれたおかげで一命はとりとめたものの、

骨折で当然身動きは取れず、太ももの傷周りには大きな血腫が。

時間と共に血腫が溶けてくれれば良いが、そうでない場合は足を失うらしい。

足を失わなかったとしても、骨折の回復状況によっては歩けなくなる可能性もあるそうだ。

ベッドに半年、リハビリに1年。完治するかは分からない。


『まいったな。

 本当に命があるだけ儲けものという状態なんですね。』

「そうですね。一時は命も危ないような状態でした。

 あの時、杉田先生が居てくれてよかった。」

「杉田先生?あの時、手術をしてくれた先生のお名前かしら。」

小夜香が高山医師に問いかける。


「ええ、そうです。ERの指導のために全国を回っているとかで、

 丁度この病院に来てくれていました。

私は脳が専門なもので外科手術は門外漢なのですが、

本来の当直医では危なかったかもしれないと聞いています。」

『そうだったんですか。今度お礼を言わなきゃな…』

「残念ながら、もう居らっしゃらないんですよね。

 予定通りの研修を終えて、次の病院に行ってしまいました。」

神妙な顔つきな高山医師。


『そうか、残念ですね。

 ところで高山先生は脳が専門ということですけど、

 なぜ主治医に?』

「杉田先生からのことづてです。

 身体の回復は、後は通常の外科で経過をみれば大丈夫だが、

 派手に事故をした後の脳の経過は、

 専門医がしっかりと診た方がいいだろうと。

 ですので、主治医と言いつつ医師数名の体制です。

 治療方針も話し合いをしながら考えることになります。」

『わかりました。ありがとうございます。』

「とはいえ、今のあなたは満場一致で絶対安静です。

 脳波はモニタしますが、まずは身体の回復に努めましょう。」



それから退院するまで、経過は順調だった。

折れた骨も大きな血腫も順調に回復し、足は失わずに済み、歩けるようにもなった。

半年はベッドの上と言われていたが、4ヶ月でリハビリを始められるようになった。

リハビリを始めて3ヶ月で通院によるリハビリに切り替えて良くなった。


会社は1年の休職を認めてくれていて、あと半年はしっかりとリハビリができる状況だ。

小夜香とも話しあい、結婚は仕事に復帰出来てからにしようということになった。


久しぶりの自宅というだけで心が弾むものだ。

一瞬冷蔵庫の中身が不安になったが、小夜香が片付けてくれていた。

冷蔵庫の整理どころか、松葉杖のまま歩きやすいように、家具まで移動してくれていた。

「さすがに料理は無理だと思うから、作り置きしていくわね。

 私が居ないときは出前でもコンビニ弁当でもいいから、

 ちゃんと食べてね。ずっとそればっかりじゃ困るけど、

 何も食べない方が体に毒だからね。」

そう言って、冷蔵庫と冷凍庫に1週間は食いつなげそうな程の料理を仕込み、

「また明日来るわね。リハビリ頑張ろうね。」

とキスをして帰っていった。



そして通院の日。予約に間に合うようにと、かなり余裕をもって家を出た。

普段なら大通りを通って行く場所だが、人通りの多さが今は辛い。

少し遠回りだが、遊歩道を通って病院に向かった。


日差しも良く、薄手の上着を撫でる風も気持ち良い。

リハビリ日和なんてのはポジティブすぎるな、なんて事を考えながら

広がる青空を見上げた。


…はずだった。

遊歩道の地面が目の前に近づき…

気が付けば真っ白なだだっ広い空間にいた。

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