イベリスの箱庭

リマリア

序 -炎に消えた少女の祈り-

西暦 1035年

 眼前に広がる赤い景色。夕暮れでもなく、朝焼けでもない。尽きゆく自らの命に許された僅かな時間を使い思い出を辿る。

 いつか、あの人と見た空の景色は美しいものだった。太陽に照らされる世界は眩しく、月明かりが満たす世界はとても幻想的だった。その日常が永遠に続くものだと信じていた。

 目を閉じるだけで思い出す。あの丘で頬を撫でる海風の心地よさに浸りながら、日が暮れ赤く変わりゆく空の色を一緒に眺め、辺りが暗くなるまで他愛のない話をした。夜風は冷えるからと繋いでくれた手は温かかった。

 月灯りが照らす夜道を歩きながら二人の将来を話し合ったこともある。こうして思い出す記憶は何もかもが眩しくて優しいものだった。


 そして今、力無く横たわる事しか出来なくなった自分を囲い込むおぞましい赤い揺らめき。生きようとする意志を拒絶するかのようにその壁は広がり続ける。


 見渡す限りを埋め尽くす炎に何もかもが消えていく。私が生まれた場所も、私が愛した場所も、私を愛してくれた人々も、私自身もこの中で消えようとしている。すぐそこまで、赤黒い焔が迫っている。

 付近に漂うのはあの日の海風の香りや心地よさではなく、建物や家具、そして愛した人々や私を支えてくれた人々が焼ける臭いと、呼吸を奪い息苦しさを感じさせる熱気。

 思い出と記憶を溶かしていく地獄と呼ぶにふさわしいこの場所で、もはや指一つ動かすことも出来ない。流すべき涙も枯れ果て、声を出すことすら叶わない。遠くで微かに聞こえていた呻き声も、もはや聞こえなくなった。迫る炎にこの身が飲み込まれるのをただ待つだけ。これが私という人間に与えられた定めであり、私という ”人間” の世界の終わりなのだ。

 何を間違えたのだろう。何が間違っていたのだろう。それとも、この世界が間違っているのだろうか。

 その答えを知る事も無く、その答えとは関係なく、私の存在は間もなくこの世界から消える。けれどもこの祈りだけは、きっと消える事は無いだろうと思った。


 取り決め通り、彼らは無事に逃げ延びる事が出来ただろうか。この国の民を導き、一人でも多くの命を助ける事が出来たのだろうか。もしそれが叶ったのであれば充分過ぎる結末と言えるだろう。多くの人々が助かったのならば、私がここで息絶えて焼かれて尽きることにも意味があったのだ。

そして私はただ願う。


 怒りでも、恨みでも、憎しみでも、嘆きでも後悔でもない。私の願いはただ一つ。


彼女は狭まる視界が閉ざされる瞬間に祈った。


“もう一度、あの人に会いたい”


 それが彼女の祈りの始まり。果たす事が出来なかった約束を思い少女は願う。


この祈りに、どうか星々の光の加護があらんことを。


 祈りを最後に少女は安らかな眠りについた。その直後、灼熱の炎が少女を焼いた。

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