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 王都であるヴェルリエへ向かう道中、リディアは馬車の中から窓枠に頬杖をつきながら外を眺めていた。いつもの王都へ向かう時のウキウキ感は微塵もなく、むしろその反対だ。できるものなら今すぐにでもとってかえしたい。そう思うのももう両手の数では足りなくなってきた。


 ――陛下からのご命令で、今度の舞踏会に相手を連れてくるように言われたらしいんだ。彼の御父上には昔とてもお世話になったから、ここで恩返しができたら最高じゃないか。


 恩返し。リディアはその言葉に滅法弱い自覚があった。

 元々ジョエルが言ったようにお人好しすぎるきらいがあるリディアは人に頼られれば基本的に断ることはしない。今回が特別なだけだ。


 父である伯爵にそう言われ、一応は嫌だ行きたくないとごねてみたものの、結果として今、リディアは王都へ向かう馬車の中で揺られている。



「それで、あんた、なんでそんなことをあの陛下から言われるようなことになったのよ」



 この国のいただきに立つ国王陛下に“あの”と前置詞がつくのは決して悪い意味ではない。

 フロランス王国を治めて五代目であるアルフォンス・ド・カスペールは当年二十四歳という若年でありながら、国内外で極めて賢君であると知れ渡っている。王都に視察に出かける際もその夜を連想させる漆黒の艶やかな髪、神秘さを秘める黒曜の双眸そうぼう、まるで精工に作られた人形のような顔立ちで柔和に微笑む姿は国民の多くに慕われている。

 そんな彼が臣下のプライベートに関して無理強いをするようなことは聞いたことがない。いつだって彼は国民にとって敬愛する心優しき君主なのである。


 リディアとてそれが我らが国王陛下であると信じて疑わない。だからこその疑問だ。


 ジョエルは読んでいた本から顔を上げてジッとリディアの方を見つめた。



「……なによ。言いたいことがあるならちゃんと口で言いなさいよ」

「どうして君はそんなに僕に対しての評価が悪いんだろう? こんなに優秀な幼馴染は他にはいないっていうのに」

「あんたの優秀さはその口のせいでマイナス評価になってんのよ!」



 リディアは今日何度目か分からない大声を張り上げた。馬車の中で二人っきりだから周りの目を気にすることもない。これで喉を傷めないというのだからリディアの声量は凄まじいものだ。

 一方、ジョエルはというと、なぜそんなことを言われるのか分からないとばかりに首を傾げている。当然だ。彼の中ではそれは真実であり、覆す必要のないものだからだ。本当のことなのに、口に出して何が悪いんだろうとさえ思っている節がある。


 リディアはさすがに幼い頃からの慣れがあるとはいえ、相も変わらず馬鹿正直なジョエルに頭を抱えた。しかし、これでは全く事態が進まないと気を取り直すことにした。そうでもないとやってられない。



「陛下と何があったの?」



 再び同じことをジョエルに繰り返し尋ねた。



「別に。いつものあの男の悪い発作だ」

「ちょっ! あの男だなんて!」



 リディアは国王陛下をあの男呼ばわりするジョエルの口元をさっと塞いだ。

 馬車の中は二人っきりだし、この馬車を操っている御者もリディアの実家の者だから変な話誰にも聞かれないことではある。だが、人の口に戸は立てられないというのも事実。現にジョエルがそうだ。彼ほどその言葉を体現している人間もいないだろうが。


 急に口をふさがれたジョエルは別段振り払おうともせず、リディアの好きにさせた。



「もごご」

「あの男なんて言っちゃダメよ! 絶対に! 分かった?」

「もご」



 なんといっているのか分からないけれど、頷いたのを見てリディアはようやくジョエルを開放した。


 彼女が知らないことではあるが、ジョエルは正面切ってアルフォンスのことを“あんた”呼ばわりしている。だからあの男呼ばわりなんて幾分か可愛いものだ。知らぬが仏。言わぬが花。もっともだ。



「まったく。それで?」

「なにが?」

「だ・か・ら! どうして陛下があんたにそんなことを言い出したのかって言ってるの!」

「それでとしか言わなかったじゃないか。それにリディア、ちゃんと座っていないと危ないよ」

「話をはぐらかさない! さぁ、白状しなさい!」



 椅子から身を乗り出してくるリディアにジョエルは手を引き、隣に座らせた。リディアは僅かにムッとしたが、それでも話すまでは隣に座らされたことに関しては口を出さないことにしたらしい。大人しく顔を向けるだけに留めた。



「先日のスパーニュ皇国への遠征の時に軍法会議にかけられそうになったんだ」

「ぐんぽうかいぎ……えっ!? 軍法会議ってあの軍法会議!?」

「他に軍法会議がなければその軍法会議だね」



 リディアは握り拳を作るまででグッとこらえた。偉い、と自画自賛しておく。



「大丈夫だったの?」

「大丈夫だったからここにいるんだよ。だけど、その時に我らが国王陛下に目をつけられたんだ。遊べるオモチャとしてね。遠征が成功に終わって幾分か暇ができた陛下は新しい暇つぶしを思いついた。それが僕の婚約話と関係があるらしい」

「……何かの間違いじゃないの? そんな腹黒そうなことをするのが陛下だなんて。……なによ」



 目を見張るジョエルにリディアは眉をひそめた。



「あのリディアが一人でほぼ正解を導きだすなんて驚きだ。そうなんだ。ただ一つ違うのは、我らが国王陛下は“そんな腹黒そうな”ではなく事実腹黒いんだよ」

「ジョエル!」



 あの男呼ばわりの次は腹黒いと来た。何をしでかしたかは知らないが、十中八九口のせいで軍法会議にまでかけられただろうというのに全く懲りていないらしい。


 リディアは途中の町で宿に泊まるまで懇々と言って聞かせた。主に陛下への言動について。よくもまぁ今まで不敬罪でとっ捕まらなかったものだ。そこが陛下のお優しさが発揮されているのだろうと思う。


 ジョエルは不服そうにしていたが、口を挟もうとするとすかさずリディアが睨むので肩をすくめ、大人しく聞き役に徹していた。




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