5



 お腹を空かせて行き倒れていた男をなんとか連れて帰り、食卓の椅子へつかせた。


 母親も仔空も最初はおっかなびっくりといった感じで迎え入れたが、母親はもう我が子と同じくらい何くれとなく世話を焼いている。一方の仔空はというと、母親や凛莉の背に隠れ、ジィッと男の表情をうかがっていた。



「……」

「さぁ、遠慮なく召し上がれ」

「……」



 卓の上に乗せられたのは、薄くスライスされたパンに、いくつかの皿にそれぞれ一種類ずつ載せられた具材。父親がいないから開けるに開けられない店の料理の材料だ。


 定番のスクランブルエッグからレタス、トマト、とうもろこしにツナなんかもある。あとはホイップクリームにフルーツなんかも数種類。なかなかの量になったのは食べ盛りそうな男のためと、ここが一応料理店であるという矜持きょうじのためだ。


 ただ皿を凝視するだけでうんともすんとも言わない男に、凛莉はしびれを切らした。



「なぁに? 毒なんか入ってないわよ」

「凛莉、食べ方が分からないんじゃないかしら?」

「あ、そっか」



 それもそうだ。大事なことを失念していた。ここではこれは一般的ではない。


 パンを二枚と適当な具材を取って挟んでいく。



「これ、サンドイッチって言ってね。自分の好きな具をはさんで食べるの」

「……」

「ねぇね、しあ、まよねじゅ」

「はいはい。ちょっと待ってて」



 丁度ツナを入れていたから、そのままマヨネーズと絡めてやり、仔空に渡した。仔空は定番のサンドイッチの中ではこれが一番好きらしく、よくねだっては食べている。



「お母さんは?」

「私は大丈夫。貴方達だけお食べなさい」

「ダメよ。そんなこと言って、今朝だって食べてないでしょ」



 そう反論すると、母親は苦笑いして手近にあったレタスとトマトとマヨネーズを挟み始めた。


 それをちゃんと確認した後に自分の分を作る。凛莉が好きなのはフルーツサンドで、みかんにいちごを適当な大きさに切ってホイップクリームと一緒に挟んだ。



「こうやってパンとパンの間に好きな具を挟んで。はい、できあがり。さ、貴方は? 大抵のものならできるけど」

「……」

「もしかして、この中のもの全部好きじゃなかった?」



 男はわずかばかり押し黙った後、静かにコクリと頷いた。



「そう。なら仕方ないわね。また別のもの出してくるから」



 奥の厨房に行き、消費期限が切れそうなものをあさってみる。するとまぁ、良さげなものもあることにはある。


 戸棚から出した皿に盛り、皆のところへ持って行った。



「こんなのもあったけど」

「……これは?」

「あぁ、ハンバーグ? 少し食べてみる?」



 少しだけ端の方を切り取り、小皿とはしを渡した。


 男は手を出しては引っ込めていたが、意を決して小皿を受け取り、すぐに口の中に流し込んだ。


 モグモグと咀嚼そしゃくする男を見つめる親子三人。男は見られることに慣れているのか、臆面おくめんもなく最後の一飲みまで見られ続けた。



「どう? これにする?」

「……いいの?」

「もちろん。好みだったんでしょ?」



 料理人のさがか、元編集者としての性か。男の表情が変わったのを凛莉は見過ごさなかった。


 どうせならとハンバーガーもどきを作ってあげた。さすがにピクルスはないので、ピクルス抜きで。トマトケチャップも作っておいて正解だった。こんな風にグルメ誌の編集の旅で出会った色んな料理店の店主から聞きかじったレシピが使えるとは思っていなかったけれど。



「……美味しい」

「それは良かった。あ、でも、ここでこの料理食べたことは内緒よ? 今、宮廷の人が料理人狩りしてるから」

「料理人狩り?」

「そう。異国の料理を作る人を片っ端からね。皇子様にご飯を食べてもらわなきゃいけないんだって。すっごい偏食らしいのよね、その人」

「しあはなんでもたべるよ!」

「うん、偉い偉い」



 母親が席を立ったのを見計らって小声で話したというのに、耳のいい仔空には聞こえていたらしい。手を挙げて主張してきた弟の頭を優しく撫でてやる。仔空も満足したのか、また反対側から出そうになっているツナと格闘し始めた。



「ほら、どんどん食べちゃいましょ。余らせとくのはもったいないし」



 それからあれやこれやと提案し。



(皇太子殿下の偏食の程がどれくらいかは知らないけれど、この人も大概だわ)



 凛莉もふぅっと溜息をつく程だった。


 この人に何か食べさせねばと、変な意地を起こした凛莉は随分と男を引き止めてしまっていた。気づけば夕暮れ時だ。



「じゃあ、気をつけてね」

「ありがとう。また、ね」

「えぇ。またお父さんが戻ってきたらお店も再開するから、その時はまたどうぞ」



 空腹が満たされた男は、見送りに出ている凛莉を時々振り返りながら、ゆっくりと道の向こうへ消えていった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 月夜が地上を照らす夜半、ぜいくしたというのも過言ではない部屋で、複数人の男が平身低頭していた。冷や汗を流す者、顔を蒼褪あおざめさせる者、目をしっかりとつむる者、皆それぞれ行動は異なれど、想いは共通したモノだ。目の前の椅子に座る人物への“絶対的な恐れ”。これに尽きる。


 部屋には灯りが燭台しょくだい一つしかなく、それも部屋全体を照らせるほど大きなものではない。月明りと燭台の灯りが頼りの暗がりで、自分達を見下ろす人物の表情が読めないことは致命的だった。



「無能」

「も、申し訳ございませっ!」



 ゴロリ、と。

 何かが転がる音がした。


 辛うじての救いは、それが生きた人間の首ではなかったことだ。もしそうなら、この場はすでに阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図を現世で体現することになっただろう。



「ひっ!」



 転がっていく人形の首の大きな黒眼が、顔を下げていた者の視界に入り、驚いたその者は後ろに大きくのけ反った。



「もういいよ」

「えっ!?」



 周りにはべる者達の耳を驚かせた一言に、さらにたたみかけるように言葉が続けられた。



「待ってたんだ、この時を。ずっと」



 みぃつけた。



 月明りが雲の合間をぬって一瞬だけ部屋の中をよく照らし出した。


 椅子に座る人物の口元には、仄暗ほのぐらい笑みが浮かべられていた。



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