6●疫病神のつぶやき(3)…“TK2020+1”?

6●疫病神のつぶやき(3)…“TK2020+1”?



 さてそれでは、TK五輪を“一年延期”したらどうなるのか、考えてみよう。

 あくまで仮定の話である。“必ずそうなる”という主張ではないぞ。

 よく心得たまえ。


 一年延期するとしたら……

 開催日程をそっくりそのまま、来年のカレンダーに移すことになる。

 つまり現在のタイムスケジュールにおける、“2020年”の表記を“2021年”に書き換えるだけだ。

 曜日も一日後ろにずれるだけ(たとえば金曜→土曜に)なので、ホンマ、わかりやすい。

 これは楽である。

 中途半端な延期よりも、圧倒的に無駄を押さえられる。

 ポスターなんか、そのまんまOK。

 「+1」と書いたシールを作り、「2020」の横に貼ればいいだけだ。

 大会名を呼ぶときは「TK2020」に「プラスワン」と付け加えるだけで済む。

 “TK2020+1”

 お洒落だし、何かオマケが付いた感じで福々しいではないか。

 こっちの方が成功しそうだ。オススメであるぞ。


 一年延期のメリットは膨大である。

 さすがに一年先だと、吾輩のウイルスも駆逐されている。

 2020年7月では間に合いそうにない特効薬も、一年後なら完成し準備万端かもしれんな。

 WHОが安全宣言を出して、各国も落ち着いていることだろう。


 しかも、チケットの払い戻しをしなくていい。

 年と曜日だけ一つずらして、そのまま使用可能とできる。

 TV放映も、A合衆国の御都合に沿ったシーズンそのままである。


 もっとも、2020年7月に向けて調整している参加選手にとっては、一年延期は打撃である。

 しかし、疫病感染の恐怖と隣り合わせの大会よりは、ましであろう。

 “健全な肉体にこそ健全な精神は宿る”とか、本来の語源を曲解したいいかげんな標語もあるが、まあ、そういうことである。

 なにせ吾輩のウイルスは、一見して健康なヒトにも寄生して、運ばれるのだ。

「オレって、かかってないか?」と、アスリートたちが始終不安にとらわれる大会で、よい結果が出せるだろうか?

 クシャミしても、風邪薬ひとつ呑めないだろう。ドーピング問題があるからね。

 アルコール消毒で荒れた手で、鉄棒やバーベルを握っていただくのもいかがなものか。

 “健全な精神で臨んでこそ、肉体は健全に機能する”のである。


 もう一つ、N国政府の現政権にとっても、“一年延期”は大きなメリットがある。

 3月現在、N国の景気は急降下している。

 それは誰もが実感してるわな。

 で、オリンピックによる景気浮揚効果は普通、大会が終わるまで、である。

 大会が終わったら、盛り上がった景気が、腑抜けた風船みたいにしぼんでしまう、というのが通説である。

 このまま7月に予定通り開催したら、せっかく吾輩のウイルスを駆逐して復活しかけた景気が、おそらく9月以降、ポテポテとコケてしまうであろう。

 これは救いがない。

 ところが“一年延期”ならば、“オリンピック目前”の好況気分も一年延長できる。

 “楽しみが一年先に延びただけだ”と、N国民に説明することもできる。

 聖火は国内リレーをいったん中止し、一年間、例えば旧聖火台とかに灯し続けて、国民のオリンピック気分を継続させるシンボルとすればいい。


 景気対策として、ベストではなくとも、ベターな選択であろう。


 一年先に延びたならば、オリンピックの予算措置も一年延ばすことになる。

 結果的に予算規模は、さらに膨らむだろう。誰かさんが喜びそうだ。

 増やす言い訳も立つからね。

 これでさらにふところが潤う人もいるであろう。

 N国国民の血税なので、国民の不満も高まるだろうが……

 無知な国民にはムチとアメ。

 国家予算の一部を投入して、開催が一年先に延びたことで空いた競技施設を活用し、この夏に無知なN国民が喜びそうなイベントを打てばよいのである。

 一種の公共事業として、ウイルス退治記念の祝勝会“がんばった国民への謝恩会”をすればいいのだ。

 どうせ元手は税金である。


 さらに“一年延期”は現政権にとって多大なメリットがあるだろう。

 “一年延期”されたTK五輪は2021年7~8月。

 N国政府のA首相の総裁任期は2021年9月まで。

 衆院選も、途中解散がなければ2021年10月である。

 大会終了まで、A首相は首相なのだ。

 これが大成功に終わり(もちろん大成功ありきである)、国民がお祝い気分で盛り上がってくれれば、A首相は勝利者となれる。

 五輪後の景気後退を迎える前に、次期総裁となり、好況感に包まれたまま、衆院選にも、またまた勝利できるだろう。

 A首相にとって、これはラッキーである。


 吾輩が思うに、N国政府のA首相、本音のホンネのところは……

 “一年延期、したいなあ”ってコトかもしれないネェ。

 しかしひとつ、N国政府に越えられないハードルがある。

 “一年延期”の決定権がN国側には無いことだ。


 N国政府側から、それは言えない。

 こっちから「一年延ばしてちょうだい」なんて絶対に言えない。

 だがIОCと黒幕様が、“N国はよく頑張ったが、やむをえん。こっちの都合ですまんが、一年延期!”のお達しを出して下されば、渡りに船で錦の御旗。

 N国政府は元気よく「御意!」と頭を下げて土下座すると、思うんだがね。


 だって普通に考えて、無理押し強行のイメージがつきかねない本年開催よりも、“一年延期”の方が、国際社会にも国民にも納得されやすいんじゃね?


 まあ、実際にどうなるかは神のみぞ知る……てか、オレ疫病神だったな?

 とはいっても神様だって、当たるも八卦、当たらぬも八卦さ。

 とりあえず、ひとつの仮説を述べただけだよ。

 あくまで個人の感想だよ。駄法螺話だぼらばなしだよ。

 信用しちゃいけないよ。

 デマを撒くつもりは一切ないからさ。


 吾輩がN国政府なら、今後もことあるごとに「TK五輪は絶対開催!」とアナウンスする。

 しかし“一年延期”の風が黒幕様から吹き始めたならば……

 いつのまにか、「いつ開催する」という情報はぼやかすだろう。

 「やるぞやるぞ」と言っても、“いつやる”のかは言わない。

 そしてある日、サプライズ記者会見だ。

 N国政府がどうするのか、ちょいと楽しみでもある。

 もしも、一年後に延期した日程にあたる首都圏のホテルの予約状況に大きな変化があったら……そういうことかもしれないしねエ。


 で、締めくくりに一言追加。

 先ほど、「オリンピックの“一年延期”の決定権がN国側には無い」と述べた。

 しかし、N国政府側が絶対的な主導権を握る方法がひとつある。

 “緊急事態宣言”だ。

 2009年の新型インフルエンザを機に制定された、いわゆる“インフル措置法”を改正して、吾輩のウイルスに適用できるようにする動きがある。(3月4日現在)

 これができると、A首相は全国の都道府県に“緊急事態宣言”を発動できる。

 “緊急事態宣言”が発動したら、どうなるか。

 少なくとも、宣言が発動されている間は、オリンピック開催は不可能となる。

 当然だね。疫病蔓延を意味する宣言なんだから。

 では、その宣言をいつ終了するか。

 4月あたりに終了できれば、本年7月開催に間に合うかもしれぬ。

 しかしそのタイミングを5月以降に引き延ばせば、今年7月の開催は困難となり、さすがのIОCも“一年延期”を考慮せざるを得なくなるのでは?

 この“緊急事態宣言”の終了時期をどのようにコントロールするか。

 そこにA首相のホンネが見えてくるだろう。

 “緊急事態宣言”を、オリンピックの“一年延期”の可否を左右する政治的なゲームのカードに使うか否か。

 吾輩もせいぜい注目しておくとしよう。





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