第11話 芙蓉の木

 俺が光の玉を抜けたと思ったのは、匂いがきっかけだった。淡い桜の花の香りから、秋に咲く芙蓉の花の香りに代わったんだ。それで目を開けると、コンビニ前の風景とは全く違う! 背後には推測通り芙蓉の木があるんだけど、それ以外は木も建物も山も何もない平坦が360度にわたって続いている。


「こっ、ここは……。」

「勇者くん……。」


 とんでもないことになった。まさか、本当に異世界に来たんじゃないだろうな! 何かの間違いじゃないのか! 俺は狼狽てしまった。そのとき、あいくる椎名も目を開けたらしく、俺から一目散に離れると、全身でこの空間の空気を浴びるように、大の字になって天を仰いだ。


「すっ、すごーい! 本当の異世界だー!」


 あいくる椎名は、物怖じせず異世界らしき空間を楽しんでいた。俺にはそんな勇気ないよ。不安しかないもの。ったく、案内板くらい置いておけよ! お陰で露頭に迷いそうじゃないか。ふと、MRCが言ったことを思い出した俺は、制服の内ポケットから生徒手帳を取り出してペラペラとめくった。今の状況を打開する手がかりになるかもしれない。


「あった! これだ!」


 チケットだ。異世界への入場証! ふと、俺の頭の中に疑問が浮かんだ。俺たち、もう異世界なのかな、それともまだ異世界じゃないのかな。だって、入場証の提示とかしていないし……。俺は、チケットを目の近くに持っていきまじまじと見た。すると、そのチケットがパッと視界から消えた。なっ、なんだ!


「えーっ、なになに……。」


 いつのまにかあいくる椎名は俺のチケットを奪って見ていた。そして続けた。


「入口はあっちだって!」


 そして、あいくる椎名はある方向を指差した。なんだ。地図が載ってたのか。俺も地図を確かめさせてもらった。そうしたら、ビックリな地図だった。真っ白な四角の中に、『現在地』と『入口』と『方向を示すマーク』だけが書かれたいる。


「なっ、何であっちって分かるの!」


 地図は、何も教えてくれていない。百歩譲って今いる場所が現在地だとして、入口までには何の目印もない。地図上の東西南北は分かるようになっているから、西へ向かえば良いことは分かる。けど今、太陽は俺たちの真上にいる。だから実際の東西南北が全く分からない。だけど、あいくる椎名は、自信たっぷりにあっちだと言った。何が決めてなんだろう。


「この木、芙蓉だよ!」

「それくらいは、俺にも分かったけど」

「じゃあ、あっちが南だって分かるよねぇ」

「???」


 戸惑う俺を見て、あいくる椎名は芙蓉の木の性質を順に教えてくれた。芙蓉の木は、春になると枝先を伸ばすこと、それは日光がより多く当たる南側に集中すること、そして伸びたばかりの枝の先に花を咲かせること。


「この木の花は、こっちにたくさん咲いているから……。」

「……こっちが南側ってこと?」

「正解! さすがは勇者くーん!」

「どっ、どうも。あははははっ!」


 というわけで、あいくる椎名の植物知識のお陰で、俺たちは方向を定めることができた。本当は合っているかどうかは分からないけど、今は信じるしかない。


「改めまして、俺、真坂野勇者、です」

「椎名従者。って、あれ? こんな名前だったっけ?」


 あいくる椎名は、戸惑いながら自己紹介してくれた。俺、勝手にあいくる椎名の名前の最後に者を添加しちゃったみたい。本当に申し訳ない。俺が雑誌のこととスキルのことを説明すると、あいくる椎名は嫌がりもせずに言った。


「じゃあ、勇者と従者のバディで、旅をはじめましょう!」


 こうして、俺とあいくる椎名は、先ずは入口を目指すことにした。

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