獸人アンナ

 戦っている夢をみるわ。人間の槍が友達の喉から飛び出して、血が噴き出すような最悪の夢だから、説明するのも嫌だわ。


 わたしも怪我をして死にそうになるの。でも大丈夫なの。いつも回復魔法アンチキーテがかけられてギリギリで助かるの。




「おはようございます、アンナ様」


「ふあぁ~~っ。おはよ、パピィ」


 擬人化した人面鳥ハーピーのパピィがガウンを持ち上げて見せる。眼鏡をかけた彼女は以前にも増してわたしの面倒を見てくれるわ。

 

 わたしの名前はアンナ。獣人アンナって呼ばれるけど、詳しく言うと〈フォックスピッド〉っていう種族で普段は人間と同じ見た目をしているの。いつでも野獣のように狂暴で俊敏な魔獣に変身が出来るの。


 さっきまで、森を駆け回ってウサギを追い回したり、綺麗な泉で水浴びしたり、野イチゴを食べたり、悪い人間を懲らしめたりしていたの。夢の中だけど。


「今日は、お外に出るからズボンとシャツにするの」

「まあ、今日は天気も良いですし猟犬わんこも喜びますわ」


 大きな鏡の前に立つとパピィがすぐ後ろに立って、わたしの赤い髪に櫛を入れてくれるの。でも、鏡は好きじゃないの。だって……自分が骨ばった小さな娘だって思い知らされるから。


「アンナ様は完璧ですわね。綺麗な青い瞳にさらさらで、指から落ちてしまいそうな綺麗な髪。なんでも揃っているわ」


「ありがとう。でも、ゴワゴワで毛むくじゃらの魔獣にもなれるのよ」


「ええ。そうでしょうとも」


 この城砦に来て、どれくらいたつのかしら。記憶が混濁としているの。魔王軍の中にも平和を求める声が高まっていたの。何か複雑な事情があって人間と仲良くやっていかなきゃいけないって気がするの。


 そして、そのことは凄く凄く大事なことだって分かるの。鏡に映る自分の顔には涙の痕があって……起きてから暫くしたら乾いてしまうけど、桃色の筋が残っていることがあるの。


 最後の魔力を振り絞って、三体の魔物を生み出したのは覚えているけど、多くの物を失ってしまったみたいなの。子供の姿になって、魔力も記憶も沢山失ってしまったわ。

 

 わたしの中身は柔軟に対処できる大人なんだから、少しずつ考えればいいって自分に言い聞かせているわ。だって一人じゃないんですもの。


「眼鏡がとっても似合ってるわ、パピィ」


「ええ、分かっています。鏡を持ってますから」


「っぷ。なら良かった」


 彼女はとっても嬉しそうに微笑んでいるわ。思わぬ出費になってしまったけど、いい買い物ね。壁のタペストリーは朽ち、回廊は苔むして、あらゆる鉄は錆びついているわ。当面は禁欲生活をしないとね。


 食堂へ着くと卵の焼けたいい匂いがしてきたわ。


「うふふっ。こんな高価なプレゼントをいただいたら、彼らの嫉妬の目が怖いですわ。もっとも自己教示訓練で、視線恐怖症はとっくに克服していますのよ」


『おやようございます、アンナ様』


 ワンワン! 

 ワンワン!


「おはよう~、ガイ。おはようガルちゃん」 


『アンナ様、ご相談がございますれば』


 ワンワン! ハッ……ハッ……。


 朝食が並んでいて、わたしが席に着くとパピィが二人を制して横に立ったわ。三人で何か話があるみたいなの。


「実はアンナ様、ちょっとしたサプライズが御座いまして。今、話してもいいでしょうか。わたしたち、村で薬屋を開くことになったんです」


「ええっ!? 何ですって」


「たくさんの命を救える素晴らしい仕事ですわ」



 驚いたわ。パピィが薬草や魔術の本をいっぱい読んでいるのも知っていたし、ガイが一晩中、森で薬草を集めていたのも知っていたけど、村で商売を始めるなんてことは一切聞いていなかったの。


「貴方たち、それがどれだけ危険か分かっているの?」


『これは、またと無いチャンスでございますれば』


「黙ってっ!」


 ワン……ワ。


「わたしに何の相談もなくコソコソと開店の準備をしていたってこと?」


「い、いえ、待ってくださいませ。わたし泣きそう。変わって」


『アンナ様、手前どもには軍資金が必要でございます。手前のショート・ソードもボロボロですし、落とし柵の金具や食事に使う調味料も必要です』


「どうして決める前に、わたしに・相談・し・な・か・った・の?」


『……』


 ワンワン!


「何? ガルちゃん」


『村には可愛いメスわんこが三匹もるそうです』


「おすわりっ!」


『だから、今いうなって言ったろ』


「わたしを子供扱いして、自分たちで勝手に決めるなんて許せないわ。薬屋をやることにじゃない。わたしは相談しなかったことを怒ってるのよ」


「アンナ様、も、もう一度チャンスをくださいませ。相談させてください」


「いいわ」


「じゃあみんな、やり直すわよ。はじめから行くわよ。えー、アンナ様。実は相談したいことがありまして、お時間よろしいでしょうか」


「ええ、いいわよ」


「ほっ。お金は本当に便利ですわ。これからの世の中、人間を支配しようと思ったら、腕力より財力ですわね。資金調達のために今度、村に出て薬屋を開業するというのは如何でしょうか?」


「駄目よ」

「!!」


 ずり落ちた骸骨兵士は、アゴの骨を直して姿勢を正していたわ。


『お、お待ちくださいアンナ様。人間が危険だとおっしゃいますが、この城砦だとて安全ではございません。かえって、村の商店に身を隠した方が安全やもしれませぬ』


「それは……そうかもしれないわね。でも、駄目よ。駄目だわ」


 遠い昔の記憶がそう言っている。わたしには魔王軍にたくさんの仲間がいたわ。人間との長くてつらい戦争は、今も続いているのよ。獣人は魔法が使えないから、薬草もいっぱい使った。うんざりするほどね。


「薬草の在庫は山ほどありますし、小さいですが綺麗なお店も持てますのよ」


「小さなお店も、不味い薬草も、お店にくる顔色の悪い病人にも興味はないわっ」


 ワンワン。

 ワウォン。


「何よ、ガルちゃん」


『精神安定剤もあるそうです』


「おすわりっ!」


『人間は確かに危険でございます。でも、すべての人間が危険とは限りませぬ』


「いい人間だけと商売をして、悪い人間には毒をもりましょう」


「何を言っても駄目なものはダメよ。あなた達を失いたくないのよ。わたしの仲間はみんな人間に襲われて死んでいったのよ。疲弊して追い込まれて、少ない命を分け合うようにして生き延びたの。そんな思いはもうしたくないわ」


 クゥーン。

「……」


『アンナ様、こんな手前にも分かります。手前のいた部隊には家族同様の者もおりました。まだ経験の浅い者も戦地に駆り出されたのです。彼らが戻ってくるのをじっと待つ日々は、実際の戦場にいるのと変わらないほどに辛いものです』


「そんな……そんな、泣き脅ししたって駄目なものは駄目ですからねっ!!」


『……』

           

     

         ※



 わたしはそのまま自分の部屋に戻って、少し考えたわ。二日くらいだから少しじゃないけど。自分の言った言葉を思い出していたの。そして、その糸を手繰るように過去の記憶を慎重に引っ張りだしていたの。


〈少ない命を分け合うようにして生き延びた――〉

 

 わたしが亡命すると決めたのは自分の命が惜しかったからじゃない。同じ志を持ったモンスター達の逃亡先を確保するのが目的だったわ。

 

 何百、何千の命が救われるのであれば、どんな汚名をおっても構わないと思ったの。


 獣人は魔法が使えないから、薬草もいっぱい使った。


 友人たちは回復魔法アンチキーテを使えると言って、わたしを助けてくれたわ。変な名前の呪文だったから、それを思い出すのは簡単だった。


 わたしが怪我をするたびに魔法を使って、わたしを守ってくれた。何度も何度も、回復呪文アンチキーテに助けられたわ。


〈人間は確かに危険でございます。でも、すべての人間が危険とは限りませぬ――〉


 ほんの一握りの人間は、私たちの味方だったわ。地下組織のリーダーは人間の国に亡命をはたして、人間と魔物が一緒に暮らせる国を作ることを約束してくれたの。


 それまでには沢山の犠牲があったし、簡単なことじゃないのは分かってた。人間にも、同じ魔物にも敵が沢山いたから。


〈たくさんの命を救える素晴らしい仕事ですわ――〉


 あの子たちは、わたしがこの世界に転移・転生させて生み出した魔物だけど、共通点があるわ。


 みんな命の大切さを知っているし、人間を敵視していないの。パピィは毒をもるかもしれないけど。


 もしかしたら、人間と魔物を繋ぐ小さないしずえになれるかもしれないって思ったわ。みんな平和を心から願っているもの。


 わたしは重い扉を開いて、薬屋を始めることを決めたわ。わたしを信じて死んでいった仲間のことを思い出したの。全部じゃないけど。


 扉の前には、骸骨兵士スケルトンガイ。猟犬ガルムガル。人面鳥ハーピーパピィがわたしを待っていてくれたの。ずっと、ここで待っていてくれたみたいなの。


 みんなに守られているから、わたしは平気だって思ったわ。少し頼りないけど。


 回復魔法アンチキーテは魔法なんかじゃなかったの。獣人は魔法なんて使えないから。でも、方法はあるの――自己犠牲という方法が。

 

 アンチィキーテ!


 アンナちゃん生きて!


 アンナちゃん生きて!! 


 アンナちゃん生きて!!! 


 生きてって、みんなが叫んでくれていたの。みんなは自分の命を、わたしに分けてくれていたの。


 だがらっ……やだわっ……びんだど顔を見たら、涙がでてぎじゃっだじゃだいの。


 だがらっ……だがらっ……わだじは行かなくじゃいけない。人間と魔物がいっじょにらせる世界ぜがいを……ずぐらなぎゃ……いげないの。


「わぁああああああああん、うわあぁあああああああああぁん!!」


『アンナ様、寂しかったのですね。人間とも、お友達になりましょう』


「さあ、準備はできておりますわよ」


 ワンワン! 

 ワンワン!


 わたしは、この仲間たちと城から旅立つわ。何ができるかは分からないけど、とっても小さな一歩かもしれないけど、頑張ってみることにしたの。とっても田舎のとっても小さな村から始めるの。


 この子たちと一緒に――。


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