第22話 ツワブキと母なる賢人

「なんだ、もっとえぐいのが来ると思っていたぞ」

「どんな質問ですかそれ……」

 呆れるアイリスをよそに、ゾフィアは以前と変わらぬ調子で話し始めた。

「『観測者』は『観測者』だ。それ以上の意味などあるか」

「それがあなたの職業という事ですか?」

「馬鹿野郎。さっきも言ったが、私だって元々は普通の暮らしをする普通の人間だった。こんな所に引き籠るようになったのは、人間とフォーチュンおまえたちの関係がおかしくなってからだ」

「人間とフォーチュンの関係? もっと詳しく教えてください」

「ああ、お前は労働を放棄した個体だと言っていたな。本来なら今すぐ病院送りになってもおかしくないんだが……。

 とにかく、お前は人間社会で働いたことは無いんだな?」

「ええ、まあ」

 アイリスはぎこちなく頷いた。

「元々フォーチュンが生産された理由は労働力の代替、人間のパートナーとしての利用が主だった。それぐらいは知っているな。しかし世の中にフォーチュンが流通し始めるにしたがって、人々の認識が徐々に変わり始めた。

 つまり、『なぜロボットに仕事を奪われなくてはならない?』、『フォーチュンを通じて会社の情報が外部に漏れ出るのではないか』という不信感が広がったんだ。一方で、フォーチュンも人間と同じ社会に生きる大事な存在だとして、人権の拡張を主張する者も現れた。フォーチュンへの扱いを巡って、人類は二分されたってことだ」

「それが『観測者』とどう関係するのです?」

「私はかつて、フォーチュンの人権擁護派だった。目を覆いたくなるような惨状をいくつも見てきたからな。人間では考えられないような劣悪な労働環境を提示する問題も常態化していたんだ。就労の権利を全て均一にするような運動も行ったさ。

 だが、事態は何も変わらなかった。電力供給と心身のケアさえできていれば無限に働かせることのできるフォーチュンを、人間はただの道具のように扱った。危険な業務で死亡事故が多発し、精神を病んだフォーチュンが脱走する事件も起きたと聞く。それを目の当たりにした人間は何をしたと思う? 

 人間はフォーチュンに一〇八条項ゴールデン・オーダーという悪魔のルールを組み込み、それによって両者の上下関係は完全に決定した。逃げることも死ぬことも許されない、完璧な首輪だ。フォーチュンに許された行動は二つ。『人間に従う』か、『壊れる』か、だ」

 ゾフィアはアイリスの反応を窺うように瞳を覗き込んだ。正面のベッドにお手本のように腰かける彼女は、口を真一文字に閉じたまま大した反応を示さない。

 ゾフィアは小さくため息をつくと、再び話し始めた。

「私たちの必死の願いも届かず、世界は新しい構造に作り変えられてしまった。だから私は、そこで心が折れてしまった。諦めてしまったんだ。世界の大きなうねりを変えることなど、出来るわけがないと。

 私はどちらの立場でもない『観測者』になることにした。幸いなことに、それができる設備と知識はあった。それに私にはリリィもいる。人間にくみすることも、フォーチュンを助けることもせず、ただ世界の行く末を眺めようとしたんだ」

「それでアマノトリに乗ることも拒否したと?」

「ああ。どうせあの閉鎖された空間では、世界の片鱗も知ることなく死んでゆくだろうからな。船の中で無駄な一生を終えるより、やりたいことをして野垂れ死んだ方がマシだと考えたのさ」

「それであなた……とリリィさんは、この世界を『観測』し始めた……」

「そうだ。二個目の質問はこんなところだろう。……さて、最後はどうする?」

 ただのフォーチュンには少し重すぎる話かもしれない。ゾフィアは内心思いながら、アイリスに最後の質問を促した。

「はい。では最後ですが……」


 言いかけたところ、不意にアイリスの意識がホワイトアウトした。電源が切れたように体の力が抜け、支えようとした腕も空を切った。

「おい、どうした」

 そのままベッドの上に倒れこんだ。わずかな力で起き上がろうとするが、身体が鉛のように重い。

 ゾフィアに抱き起されるが、身体の平衡感覚が安定しない。視界の焦点も合わず、間近にあるゾフィアの顔もぼやけて見えた。

「……体温が低い。電力維持のための非常機能だろう」

「もうじき、私も終わりという事ですか……」

 喘ぐように喉から言葉を絞り出す。喉が焼けたように熱くなり始めた。

「『ワイズマン型』には非常時に充電残量を温存するための機能が備わっている。……お前はそんなものに頼らずとも自力でやっていたようだがな。

 初めは体温や反射神経などの『人間らしい』部分。次に日常生活に支障が出ない部分。そして、生命活動において不必要な部分。自動的にあらゆる能力が失われるんだ。通常ならその状態でも一か月ほどは生きてられるが、お前は色々と身体に負荷を掛けすぎている。……持って一週間だな」

「一週間……世界の行く末を観測するには、短すぎる時間です」

 ゾフィアの腕の中で、アイリスが震えた声で言った。

「お前はここで休んでいろ。私は向こうの様子を見てくる」

 ベッドから立ち上がろうとするゾフィアの白衣を、アイリスが力の入らない指で掴んだ。


「まだ、最後の質問が終わっていません」

 ゾフィアは半ば呆れたような顔でアイリスを見た。

 細い指に込められた弱い力からは、尋常ではない意思が読み取れた。「こんな問答を続けるぐらいなら、外に出て死に場所でも見つければいいものを」。その言葉を飲み込んで、青ざめた顔をするアイリスに言う。

「なら、手短に言え」

「ええ、お手間は取らせません」

 アイリスは無理をして微笑んで見せた。

 


「あなたの本名を、教えてください」

 答えはもう、自分の中で分かっていたのかもしれない。

 これは、質問ではなく答え合わせだ。

 時間が止まったような感覚がした。自分を抱く人間の鼓動が聞こえる。まるで、母親に抱かれる赤子のようだ。

 ああ、『親と子』とはこういう感じなのかな……。




「ゾフィア・ワイズマン」

 ぶっきらぼうに言う声が聞こえた。

「私がお前たちの『心』を作った」

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