第2話 イカリソウと待ち侘びた出会い

 人類は、自らが遠からず終焉を迎えることを薄々感づいていたのだろう。

 世界中で問題となる少子高齢化とそれに伴う労働力人口の減少。それらへの根本的な対策として、いわゆる人造人間、初期型フォーチュンの建造が計画された。

 かねてより研究が進んでいた新たな思考シークエンスを持つ人工知能『ワイズマン型人工知能』と、合金フレームにシリコンの新素材で成形した疑似人間素体を組み合わせたフォーチュン第一世代は、運用開始から僅か一年で全世界に五万体展開されるほどの需要の高さを見せた。

 従来の人工知能の開発ロードマップは、その計算力の高さと自己成長能力を以って人類に新たな知見を与えことを目標にしていた。一方で『ワイズマン型』はそのコンセプトの根底から見直しを図り、単純な「頭の良さ」での進化を打ち止めにした。

 その代わり彼らに与えられたのは、人間と同じように泣き、笑い、怒る感情表現能力だった。これらの感情は、単にアクションに対する決められたフィードバックではなく、人工知能の中に「心」を生成することによって実現した、本物の感情だ。

 人類を「導く」よりも、人類と「寄り添う」ことに特化したフォーチュンは、介護や接客の仕事を中心に代替労働力として圧倒的なシェアを得るに至った。矢継ぎ早に素体の新素材の開発や感情表現能力のアップデートが進んだ結果、第六世代フォーチュンでは最早人間と外見上の区別がつかないほど精巧な機体が世に放たれた。フォーチュンに与えられた役割も多岐に渡り、子を失った親のための代理児童フォーチュン・チルドレンや、生涯のパートナーとして人間と共に暮らす代理伴侶フォーチュン・パートナーとしての用途の可能性も模索され始めた。

 しかし、いくら完璧な人間の模造品を造り上げたとしても、人類そのものの衰退を止めることはできなかった。新興国の核保有やフォーチュンの開発競争による世界情勢の緊迫化に伴い、耐えきれなくなって自重で崩壊する国家が相次いだのだ。フォーチュンによって復興の兆しを見せた世界は、再び存亡の岐路に立たされることとなった。

 しかし、人類は諦めてはいなかった。フォーチュンの運用開始と前後して、国連常任理事の有力数か国によって一つの計画が進められていた。

 全人類を収容できるロケットを造り、地球を飛び立つ計画。

 仮に情報が流出リークしたとしても、そんな荒唐無稽な話を信じる者はいなかっただろう。

 しかし、彼らは本気だった。そして、その計画を実現させるための技術力と資金はすでに揃っていた。

 第七世代フォーチュンのお披露目と同じ時期、人類総移住の方針が世に公開された。そして、国家の枠組みを超えた団結が要求されるこの計画に、明らかな反対を表明する国はなかった。もう他に策はない事を悟ったのか、それとも半ばあきらめの気持ちで言うことを聞いたのか、計画は想定以上に早い進展を見せた。星間移民船『アマノトリ』は、それから五年後に完成した。

 七年後、全人類九憶三千万人を乗せた『アマノトリ』は、定刻通り地球を出発した。

 世界中で愛されていた約二四〇万体のフォーチュンを、地球に残して。



「あー、生き返るぅ」シオンは一階ロビーの喫茶スペースで、ソファにふんぞり返っていた。その背中からは一本の太いコードが伸びていて、壁際の変換機に繋がれている。

「この辺りの電力系統は、まだ現役で使えますね」

 アイリスは閲覧台に乗せられたままの新聞紙を、細い指で撫でた。黄色く変色して端が丸まった新聞には、黒い四角で囲まれた白文字の見出しがいくつも踊っていた。

 耳障りなノイズがヘッドホンから聞こえた。シオンは思わずソファの上で姿勢を正した。

「聞け、無能共」口調以外は可憐な少女、リリィだった。

 一言目がそれなのか……。シオンはヘッドホンのコードを引き抜いてやりたい衝動に駆られた。

「次の目的地が決まった。至急移動しろ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ充電中だ。アイリスの充電も終わってないし」

「命令は命令だ。さっさと……」そこまで言って、

「いや待て」珍しく、リリィが黙り込んだ。

「……どうしたの?」リリィが判断を躊躇することはほとんど無かったので、シオンは少々面食らった。

 少しの沈黙の後、いつもより三割機嫌が悪そうなリリィの声が聞こえた。

「待機だ。この図書館で少し待ってろ。」

 なんだよ、待機かよ。今までにない命令だが、図書館をしばらく探索できるなら願ったりだ。束の間の自由時間を楽しませてもらおう。

「おい、分かってるな。た・い・き、だ。うろちょろ歩き回るなよ」

「はーい」リリィの声などほとんど耳に入っていなかった。

 シオンの背中から小さい電子音が鳴った。充電が終わったようだ。

「これも世界系に資する行動だということを忘れるな」そう言ってリリィの声はノイズにかき消された。

 シオンは掛け声一つ、ソファから立ち上がった。

「アイリス、これ使う?」シオンは自分の背中からコードを引き抜いた。

「ええ、ありがとうございます」代わりにアイリスがソファに座り、ドレスの背中のファスナーを下ろそうとしてそこで手を止めた。

「……シオン」

「あ、ごめん」シオンはそそくさと退散した。

 アイリスはドレスの下に硬いコルセットを着用しているため、充電するには一度上半身の服をすべて脱ぐ必要がある。フォーチュン向けの衣服は口径の大きい充電ポートに対応したファスナーが設けられていることが多いのだが、どうやらあのドレスは人間用なようだ。

 シオンが背を向ける前に、すでにアイリスは肩まで衣服をさらけ出していた。袖から腕を抜いたとき、シオンはつい反射的にアイリスの右腕を凝視してしまった。

 『着信』を示す緑色のランプは……まだ点いていない。

 アイリスに搭載された高感度のアンテナを使って、二人は宇宙のどこかにいる人類と交信を試みていた。しかし、未だに意味のある電波を受信できた試しはない。

 『アマノトリ』が地球から羽ばたいて、まだ五年。まだそう遠くない空間を航行しているはずだ。タイミングさえ合えば地球ここからでも交信は可能に違いない。シオンはその可能性を生きがいに、死んだ世界での旅を続けていた。

「アイリス、先に行ってるね」

 シオンはロビーのアイリスにそう声をかけ、通路をまっすぐ進んで閲覧室に入った。

 アーチを描いた高い天井を有する閲覧室は、その巨大さとは裏腹に完全な静寂を保っていた。室内に浮遊する細かい埃が、高い位置の小窓から差し込む西日を受けて何本もの光の柱を形成している。

 部屋の奥まで立ち並んだ天井ほどの高さを有する書架は、さしずめ堅牢な知の巨人だ。近くにハシゴが見当たらないが、上の本はどうやって取るのだろう。

 閲覧室の床にはえんじ色のカーペットが敷かれていて、シオンの足音は完全に吸収された。見える限りすべての本棚に書籍が整然と並んでいるが、人類は宇宙に本を持ち出さなかったのだろうか。

「返却期限までに返せないからかなぁ」

 シオンは本棚から一冊を手に取った。日焼けしておらず、装丁もきれいだ。

 タイトルは『誰でもできるアルジネート結合印象 増補改訂版』。全く分からない。

 だが、理解できない文字の羅列を読んでいると不思議に心が落ち着く、気がした。

 以前、アイリスと「文字だけで人間を催眠状態にできるか」という議論をしたことがある。毛筆で文字を書くことで精神の平穏を得る方法はあるそうだが、読む場合はどうなのだろうか。シオンは意味不明なまま読書に没頭した。

 どれほどの時間が経ったのだろう。気が付くと、内容を一パーセントも理解できないまま本の半分ほどまで文字を目で追っていた。さすがにフォーチュンでも目が疲れるらしい。本を元の位置に戻すと、シオンは腰を下ろしていたカーペットから立ち上がった。カーペットが柔らかかったおかげか、腰は痛くならなかったようだ。

 閲覧室を出ると、通路の先に大きなガラス戸が見える。ガラスの向こうに人影が見えた。オレンジ色の逆光で見えないが、おそらくアイリスだろう。

 通路を進むと、アイリスが図書館前の石段を一歩ずつ降りているのが見えた。その衣装と相まって、アイリスはまるで舞踏会に参加するお姫様のように見える。

 シオンがガラス戸に近づくにつれ、アイリスの後ろ姿が鮮明になった。

 石段を降りきってくるりと振り返ったアイリスは、こちらに気が付き微かに微笑んで見せた。

 黄昏時のせいだろうか、シオンはその微笑みがとても切なく感じた。

 

 突然、アイリスの表情が変わった、ように感じた。色で例えるなら、暖色から寒色へ。

 アイリスは泣きそうな表情でこちらに向かって何か叫んでいる。一体何なんだ。まるで、

 ミュールを脱ぎ捨て、ウェーブがかかった薄紫の髪を振り乱して石段を登ってきた。

 「逃げろ」。そう言っているのか。

 瞬間、足が地面から浮くほどの振動と、聞いたこともない地響きにも似た音。

 後ろを振り返る間もなく、シオンの体は前方、ガラス戸に向かって吹き飛ばされた。

 目の前が、白色一色に染まった。



 頭が痛い。手足が痺れる。呼吸が苦しい。要するに、緊急事態だ。

 視界はぼやけるが、何とか見える。状況を確認しないと、いったい何が起こったんだ。

 次第に意識が明瞭になってきた。指先に触れたのはコンクリートの瓦礫。胴体には大きな物体が覆いかぶさっていた。

 まさか、倒壊? シオンの頭の中で赤色のサイレンが点灯した。フォーチュンに備え付けの危機対応マニュアルが作動したんだ。今頃体内ではマイクロマシンが駆け回って損傷個所を点検しているだろう。

 しかし、瓦礫に下敷きの状況は非常にまずい。そうだ、アイリスはどこだ。

 灼けたように痛む喉から声を絞り出そうとしたところ、シオンの上の瓦礫が動いた。

 シオンの胸に柔らかい感覚が触れた。仄かに花の香りがする。薄紫の髪の束がシオンの頬を撫でて垂れ下がった。

「アイリス!」

「お怪我は……、ありませんか」アイリスが、シオンを庇うように覆い被さっていた。その綺麗に整った顔には、右のこめかみから口の端にかけて大きな傷が一筋走っていた。

「アイリス、どうして……」

「この程度の傷なら、命に別状はありません。それより……」

 アイリスは少し体を起こし、震える腕をシオンに見えるように掲げた。

「あなたにこれを、届けるために」

「これって……」

 シオンの目には、涙が溢れていた。破けたドレスの裾から覗くのは、アイリスの腕のディスプレイ。そして、

「やっと、届きました」

 紛れもない、人類からのメッセージ。

 人類と地球が、再び繋がった。


『ハロー、私の愛する地球へ』

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