第拾漆話



 炭酸水には、白く弾ける初恋の味カル◯スがよく合う。そんな言葉が脳裏をよぎる。俺たちはこうして、有馬の温泉宿で何泊かすることにした。


 ……湯治くらいさせてもらう。全身が痛いから。だいたい先程の諍いでも、どこかをぶつけたみたいで身体が痛い。とにかく痛いんだよ!!


 痛いのを思い出してると全身がまともに動かないんで、意識逸らして温泉までは行くことにしよう。でないと身体が持たん。命のやり取りしてきたんだし温泉くらい入らせてもらう。まずいだんだん更に痛くなってきた。


「いつつ……早く行こうぜ身体が動かなくなる前に」

「……そうします」

「そうだ、駐在のところで、一応財布の紛失届書いておいたからな。運が良ければ帰ってくるかもしれない」

「帰ってこないと思います……」


 この国の人間の民度を甘く見ない方がいい。かえって来る可能性は低くはないと思う。宿に着いた俺たちは、別々の部屋をとってそれぞれ温泉に向かうことにした。当たり前だが温泉も別々に入る。江戸の頃は風呂は混浴が当たり前だったとも聞くけど、みんないやらしい気分になったりしなかったのか?謎だ。そんなことを考えつつ、部屋にある手拭いを握ったとき。


 ……妙な、感覚を覚えた。


 何かがおかしい。背筋が泡立つような感覚を感じる。ここは……。浴衣姿になったが、魔剣を手に取り辺りを見回す。


『小さな生き物があちこちにいるぞ』

「虫か何かか?雀蜂でもいるのか?」

『どちらかというと蜘蛛のような気がする』

「噛んだりしてこようとしなければわざわざ殺すことはないか」

『……だな。攻撃して、こなければな』


 天井から何かが落ちようとしてくる。蜘蛛にしては脚が多い。


「剣禅一如」


 落ちてくる蜘蛛のようなものに対して、身構え、身体をかわす。かわしたのに蟲がこちらの頭を狙って降りようとしている。


「星辰一刀流」


 一匹じゃないぞ!何匹もいやがる!しかもどいつもこいつも俺の頭を狙ってやがる。仕方ない、まとめて斬り捨てる。


「虚空」


 はらり、と蟲が斬れる。頭と腹が胴体で生き別れだ。ぽとぽとと落ちてくる蟲を、俺は踏みつけた。


「これ、虫のようだけど虫じゃないよな?」

『脚が十本もある昆虫がいるか?』

「まさかと思うが、なりは小さいが邪神絡みかよ」

『わからんが、尋常の虫ではあるまい』


 確かにな、虫にしちゃ脚が多すぎるわこんなもん。おまけに結構でかいし。蟹とかなら茹でたら食えるだろうけど、こんなもん食いたくないぞ。ゲテモノ食うのが大好きな連中なら食いかねないけど。食いかねないけど。尋常な人間はこれは食わない。


「……これで終わり、ってわけでは無さそうだなぁ」

『気配を察するぞ。形態変化』


 ……小烏丸、普通の刀と違うから技変えないといけなくて難しい。素人おれにはお勧めできない。とはいえ察知能力が高いってのは大事ではある。


『……よりによって、なんでこんな数がいるんだ』

「どんだけいるんだよ」

『百や二百じゃきかないぞ。それよりもっと大問題がある』

「なんだよ」

『奴らどこにいると思う?』

「どこにいるって天井かどっかだろ?」


 魔剣が僅かに青くなって震えた。怯えてでもいるのか?


『人間の頭の中だぞ!この宿の中の人間の三割だ!!』

「どうなってんだよ!?多すぎるだろ!?」

『全くだ!これ以上あんな気持ち悪い蟲斬るの嫌だぞ!』


 美食家気取ってんじゃねぇよ魔剣。蟲だろうと邪神だろうと、キリキリ斬り捨てるのがお前の生き様なんじゃねえのかよ。


「しかしこれだと……五條!」

『いやそれは多分大丈夫な気がする……っておい!』


 魔剣に突っ込まれながらも俺は五條の部屋に向かう。悲鳴が聞こえてきた。部屋の中に頭を突っ込むと何か飛んできて


「五條さん大丈へぶらぅ!」

「て、寺前様!?」

「ててて……無事のようで何よりだ」

「なにか天井で動いていたので出歯亀かと思ってぶっ叩いたら……気持ち悪い……いまもまたきたかと思いましたよ出歯亀が……」


 そりゃ悪うございましたね。天井から来たのは出歯亀ではなく、脚が無駄に多い昆虫でしたけどね。心配する必要はなかったか。


「着替えの最中に降ってくるとは、いやらしい蟲もいたものです」

『いや、別にそいつらはそこは考えてないと思う』


 なんかの本で裸を見られるのを嫌がるようになったのは、「文明開化」以後だと聞いたことがあるがな。それにしたってこの宿はまずいことになっている。


「これじゃおちおち湯治もできやしない」

『蟲を斬るのは気持ち悪いから嫌なんだが……』


 うっせえよ魔剣、俺の湯治の為にもさっさと斬らせろ。とはいえ人の中にいる蟲を斬るのは困難極まる。


「五條さんは星辰一刀流の技は全て使えるんだよな?」

「奥義以外は、ですけれども……」

「いま必要なのは奥義じゃないからな。『幽世』は使えるのか?」

「もちろんですが……まさか!」

「あぁ。蟲が既にこの宿の人の頭に入り込んでやがる」


 五條が声を押し殺しながら口を手にやる。


「どのくらいの数が……」

「宿の三割」

「結構な数ですね」

『どうも多くは一ヶ所に集まっているな。信奉者たちは宴会でもやってるのか?』

「信奉者の癖に宴会だと?なめやがって」


 そりゃ俺だって湯治したかったからこの宿に来たので、そこを突っ込まれるとぐうの音も出ないけれども。


「だとしたらどうしますか?信奉者を相手にするとして、刀振り回したら危険人物扱いですよね」

「それはそうだ。そこでだ。ここからはこの衣装が役に立つというものでだな」

「……どこから持ってきたんですか!?」

「逆だ!支給されてるものだ!」


 警官の服に袖を通す。普段着て歩くことはないが、必要なとき(どこかの事件の現場に突入する時など)には必要になる。


「わたしはどうすれば」

「五條さんは俺が警察で、悪い奴が宿に潜んでるってことを伝えて回る間に、必要があれば蟲を斬ってくれ」

「わかりました」

『よかった、蟲を斬らずに済む』

「心配するな、お前には後で山ほど蟲斬りをしてもらう」

『』


 魔剣も黙ってしまったので、さっさと蟲斬りをはじめるとするか。まずは宿の誰が蟲に頭を侵略されているか、信奉者は誰かを見極めないとな。宿に電話があるといいんだが。


 宿の店主を探す。それと同時に蟲の気配を探る。おるわおるわ。天井の蟲を適当に撫で斬りにする。うじゃうじゃいやがる。ん?


「うげっ、ゲジじゃないか」

「本当、ゲジもちょっと……えっ!?嘘ですよね!?あれ!」


 五條がびっくりして指差す先を見ると、ゲジが蟲を襲っている。そして、頭からかじりついて、蟲を喰い殺し始める。


「まさかの味方がいたな」

「普段は嫌ですけど、今日だけはありがたいです」


 俺と五條、そしてゲジは天井の蟲を攻撃し続ける。宿の従業員がいた。事前に打ち合わせをしていた通りに話を進める。


「この宿、変な虫がたくさんいるってこちらのお嬢さんが苦情の連絡をしてきてな」

「はい。なんとかしてください!気持ち悪い!」


 従業員が怪訝な顔をする。だが、俺の足元の蟲を見て、表情が驚きに変わる。


「なんですかこの虫!こんなの始めてみましたよ!」

「俺もそこまで詳しくはないが、欧米で問題になってる虫らしい。駐在にも応援頼みたいから電話したい」

「わかりました。しかし脚が多すぎでしょこの虫……」


 従業員に電話を案内してもらう。その間に俺は魔剣に確認する。


「魔剣」

『大丈夫だ。この従業員は』

「よし」


 駐在に電話を掛ける。場合によっては警察署にも連絡が必要かもしれない。従業員が天井のゲジを見つけてしまった。


「ちっ!こいつもいたか!」

「待ってくれ!そのゲジはさっきの虫の天敵だ!殺すな!」

「そうなんですか?でも嫌だなぁ」


 そいつは仲間なんだよ!見た目が悪いからって攻撃しないでくれ!


 電話を掛けた後、再び周囲を探る。……目の前の女中さん……頭に……精神を集中させないと。腰の魔剣に手をやる。


「あの、すいません」

「何かございますか?」

「……幽世」


 全速力で振るった剣は、女中さんの頭の中の蟲のみを斬り捨てる。倒れる女中さんの首に、五條が手を当てる。


「大丈夫です。脈はあります」


 ……今度は、助けられた。胸の刺が、少し疼いた。俺にも人が助けられる、それは俺が前に進むために必要なことだ。

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