第捌話




 日比谷という男の攻撃は、人間離れしているとしか思えない。これまでの怪物の比ではない。あちこちが痛い。怪物より強いってなんなんだ?壁に穴がいくつも空いている。狂暴な奴だ。


「虫けらかと思っていたのですが、蜥蜴くらいにはしぶといですね」

「……尻尾とかねぇよ」

「官憲の狗に見つかったとは……本庶は何をしているのか……」


 本庶?どっかで聞いたことが……あっ。このまえふん縛ったあいつ、確かそんな名前だったな。確認してみようか。


「……おい、おっさん」

「おっさんとは失礼な官憲ですね」

「本庶だったか?……あいつ、捕まったぞ」

「は?」


 日比谷の表情が険しくなる。なんで?何で捕まってるのあいつ馬鹿なの?そんな風な顔になっている。


「そんな馬鹿なことが……本庶には」

「ショゴなんとかだったか?」

「何!?貴様……なぜそれを……」


 それを明かすわけにはいかないが、とにかく精神的にだけは劣勢を覆せた。言葉遣いが悪くなったのがその証拠か。


「そうそう……おっさんってさ、確認したいんだけど」

「この上何を」

「少女にいやらしいことをする趣味、あるの?」

「馬鹿な。この館の生贄は大いなる神の」


 怒り心頭という表情だが、まだ足りないな。


「またまたぁそんなこといってぇ。少女性愛者なんだろ?変態?」

「きぃさまぁ!!官憲の狗の分際でぇ!!!」


 おお怒った怒った。怖い怖い……やっと逆上してくれたな。怒りで振り回す拳は先程よりも力がこもっているのか、壁に、床に、天井に穴やらひびやらができていくが、当たらない。当たらなければどうというものでもない。


 少女たちは、唖然とした表情で俺たちを見つめている。振り回す拳が部屋を壊していくのは、確かに異常な光景だ。


『残り一分だぞ』

「応」


 振り回される拳の間で、俺は静かに息を整える。


『剣禅一如』


 荒れ狂う暴風のなかですら、心を落ち着けることはできるものだ。


「星辰一刀流」


 拳が振り下ろされる。見え見えだ。そんなに変態といわれるのが腹立たしいのなら、少女を誘拐するなどやめることだ。何を逆上することがある、自業自得ではないか。


 精神が、時が加速する。静かに、魔剣を構える。最速の剣を振るうのみだ。竜巻の中心、台風の目にその剣をただ……

 ……唐突に、暴風が収まった。


「なに?」

「……はっ。ふはははは……何を激情していたんだ、私は」


 糞野郎が冷静になりやがった。なんなんだよ、薬でもやってんのか?


「結構。少女性愛者とでも何とでも呼ぶがいい。だが、貴様はここで死ね」

「少女性愛者」


 一瞬だけこめかみが動いたのを俺は見逃さなかった。


「貴様のような官憲の狗ごときが私に傷を負わせるとは思えないが、念のため細心の注意を払っておかないとな」


 そんな注意いらねぇよ。油断してればいいのに。奴が何かをつぶやきだす。どこの国の言葉だよ日本語しゃべれよ!まずい予感がするので斬りかかる。


「Ph'nglui mglw'nafh Byakhee R'lyeh wgah'nagl「させるかぁ!」」


 俺が振りかぶった斬撃は、後出しで吹き飛ばされてしまった。素手で斬撃を振り払うとは……奴の腕が何か蟲ともコウモリともつかない形に変形している。


「遅かったな」

「なんだ……それは」

「現界の仕込みを使うことになるとはな……このような雑魚に。だが、本気を出させてもらおう」


 そういうが早いか、拳から何かが飛び出した、いや、そう感じた。

 ……一瞬で何撃喰らったんだ?


「音の……いや、光の速さの一割の速度にも達する拳、それをお見舞いさせていただいた」


 壁とかそろそろ崩れる、いやこれ建物持たなくないか?

 ……痛い痛い痛い痛い!骨何本折れた?


「いっっっっっっ……」


 まともにしゃべることもできん。反則過ぎるだろ化け物め。


『しっかりしろ!このままだと死ぬぞ!』

「……わかってるわそんなん……」

「なかなかしぶとかったが、ここでお別れしようか、官憲の狗よ」

「……うっせぇ少女性愛者」

「……死ね」


 奴が拳を突き出そうとする際、俺の腕の力が限界に達した。思わず魔剣を取り落としそうになる。だが、それが幸運だった。


「……な……なに?ば、馬鹿な」

『刺さった』

「こんなこと……あるのかよ」


 奴の手に魔剣がぶっ刺さってやがる。ちょうどいい拍子に当たったのか。


「この官憲の狗がぁ!!!狗が狗が狗が狗が狗がぁぁ!!!」


 かえって逆上しやがったじゃないか畜生。どうやら簡単には殺してくれないらしい。一撃一撃を軽くしていたぶってやがる。

 ……このままでは死ぬのが目に見えてはいるが。


「ま、待て日比谷」

「狗が狗が狗……は?」

「取引を……しよう」

「取引もなにも、貴様がここで死んで終わりでは」

「それでもお前だって……無傷では済まんだろ」


 俺は先程、魔剣が突き刺さった日比谷の手を指さした。日比谷の腕の傷を見る。実際のところ日比谷の傷だってそう浅いものではない。何しろ骨まで見えているんだからな。若干冷静になった日比谷が、こちらを冷たい目で見つめている。


「もし、お前を見逃してや……る、といったら」

「馬鹿なことを。貴様を殺せばすむことだ」

「外に官憲が十重……二十重だ、としても?」

「何?」

「言っておくが……外にいるのは……俺より強い奴ら、だぞ」

「口から出まかせを……」


 そう口では言っている日比谷だが、若干手が震えているのがわかる。

 ……そもそも今まで俺のような存在と遭遇していなかったのだからな、他にもいるかもしれないというのは十分に脅威だろう。


「ちょっとあんた!何をしようとしてるかわかってる!?」

「……ひどい……」


 由衣という娘に怒鳴りつけられる。そんなことはわかっている。霧島さんもちょっと怒ってるね。ごめんね。


「そりゃこんな奴外に出したらどうなるかくらいわかってるさ。……だが、ここで殺されるのもごめんだ」

「あんたねぇ!!」

「ふん。それで、どうやって逃げろと?」

「西の側が若干囲みが緩いからな、そこから出るといい」

「そうか。それでは生贄ごと連れて行くとするか」

「本当に少女性愛者なんだな」


 日比谷の表情が一気に真っ赤になる。


「違うといってるだろうが!貴様を殺してここから出るぞ!?」

「なら……怪我増えても、いいんだな」

「……狗が……足元を……」


 息をするようにあおりながらやるべきこと、それは調息である。

 本当に息をしないと……息をするのが苦しい。それでも呼吸をやめるな。


「……まぁいい。確かに羽虫に群がられるのも嫌だからな。行くとするか」


 ……注意がそれた。生贄の娘たちに日比谷が手を伸ばそうとする。来い!早く来い!!全身に激痛が走る。世界が、加速して、歪む。


『剣禅 一如っ…』


 奴の拳が光速の一割だといっていたな……その拳は、遅いっ!!


「星辰一刀流っ!!」

「なっ!?」

「零縮!!……奥義……」


 空間を歪め、光陰をもを超える速さでの移動。

 女の子たちと奴の目の前に、俺が唐突に出現したように見えただろう。感づいた日比谷が俺に光速の一割で殴りかかろうとする。

 ……居合の構えから、放つのは……九筋の斬撃。身剣一体!!


「『 無 神 喪 閃 ! 』」


 ……あちこちボロボロかつ技量の低い今の俺では、この程度しかできない……

 だが、不完全な斬撃であっても、奴の右腕をみじんに吹き飛ばすことくらいはできる、できるのだ。


 そして、その吹き飛んだ右腕がはじけ飛ぶように日比谷の顔に突き刺さり、そのまま、頭を失ったやつが前のめりに倒れていった。

 ……俺もそのままもんどりうって倒れてしまった。


 もうだめだ一歩も動けない。まさかと思うがこれで起き上がってきたら絶望的だ……なんで頭がないのに立ち上がるんだ?だが、奴は動かず、奴の体から蟲のような、コウモリのような何かが飛び出してゆく。そのまま、窓を突き破って飛び去って行く。再び、奴の頭と腕のない身体が崩れ落ちていくのが見えた。


 ……なんか由衣とかいう娘が叫んでいるが、うるさいな……休ませてくれ……

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