第43話『黒い気配』

「——こんなところに《精霊の王》がいるなんてな」


 目の前には小さな森。よぎるのは懐かしい思い出。

 何度かアイツと来たことがあるけど、そのときは何も感じなかった。


 そういえば、彼女は『ここ、良い雰囲気がしませんか?』なんて言っていたな。

 やはり獣人だけになにかを感じ取っていたのか。

 その姿はあの頃と何も変わらない。だけど——、


「たしかに、人間の王都の目と鼻の先に《精霊の王》がいるとは私も思いませんでした。

 しかし、よく迷うことなく来られましたね。——この場所のことをご存知だったのですか?」


 ケリュネアに頭へと流し込まれたのが、この場所の映像と《願いの坩堝》への入り方だけだと知るクロさんの疑問はもっともだ。


 俺だって流れたのが偶然知っている場所でなければ、ケリュネアに「口で説明してくれ!」って叫んでいたと思う。


「ああ、ここバレル湧水道は街まで続く大事な水脈の一つで、訪れたことがあるんだよ。目的地はこの先にあるバレル湖なんだけど……クロさん、気づいてる?」

 

 この場所の説明をしつつ、看過できない存在感を放つそれから目を離すことなく隣のクロさんへと確認する。


「はい、これは精霊の気配。しかし、こんな妙な——嫌な気配は初めてです」


「クロさんは精霊の『色』は見えないんだよね?」


「……《竜の加護》を得ても精霊の色を認識する能力までは……申し訳ありません」


 横目にわずかに彼女のうつむく姿が映り、ふっと息を吐く。

 ただ確認したかっただけで、責めるような意味はないんだけどな……。


 気にする必要はない。そんな意味を込めて、相変わらずまっすぐな彼女の顔に上を向いてもらうために、肩に手を——おっと狙いが逸れて眼福に——、


「——ふわっ!?」

 

 そして——俺の情けない叫び声が周囲に響き渡った。

 いつの間にか引き抜かれ、腕の軌道上に添えられた黒銀の刀剣。


 それになんとか気づき、振り下ろそうとした手を留めるも、真上を向いたその鋭い切っ先に手首を落とされそうになった恐怖で、奇怪な声を上げてしまったのだ。


 ——ま、まったく抜剣の瞬間が見えなかった。

 以前よりも腕を上げている臣下に、色んな意味で思わず涙ぐみそうになるのをこらえる。


「——いま、何をしようと?」


「いや、初めて見る精霊の色だからなんだろうって指差してしっかり確認してみようとしたんだ!」


 彼女の『顔面鷲つかみ』からの『空中浮遊』を受けたくない一心で叫ぶ。

 なんとか興味を引けたようで、伸びかけた手を止めるクロさんの姿にほっ、と息を吐く。


「初めて見る精霊の色、ですか?」


「うん、《拓かずの森》でも《ドリディド鉱山》でも見たことのない色——黒い精霊」


「!? この気配があの……。少々不味いかもしれませんね」


「なにか知ってるの?」


 俺の言葉にぎょっとしてから、目を鋭く細めて森を見やるクロさんに間を開けずに問いかける。

 彼女が言うように、最初から嫌な気配と予感はしていたのだが。

 その反応にいっそう不穏な気配が漂い始めた。


「我々獣人族の伝承では、黒い精霊は『災厄』の兆候だと言われています。

 ——大地に流れる『力』に邪があふれたとき、生まれ出でる精霊だと」


「災厄……」


 想像以上に不穏なその言葉の響きに、声の調子が自然と下がってしまう。


「黒い精霊が現れた場所は、いずれ災厄に見舞われ、滅びる、と」


「対処の方法の伝承とかは……」


「——ただ、『逃げろ』とだけ」


 呻くようにして漏らした問いに、瞳を閉ざしながら首を横に振ってから短く、無情な答えが返る。


「そんな……。ここは最大国ガイランド領内で、王都は目と鼻の先だぞ……。まさかもう被害が出てるんじゃ——」


「グルルルウッ!」


 ふいに耳へと届いた獣然とした唸り声と激しい葉鳴りの音。

 勢いよく振り返るのと、声の正体であろう黒い塊が茂みから躍り出てきたのは、ほとんど同時だった。


「獣——?」

 

 それは獣だ、と言いきることができないのも仕方がない風体だった。

 それの身体は影よりも黒い闇をまとっており、生物なのかそうでないのかも判然としない。

 かろうじて分かるのは四本の足があることぐらい——いや、もう一つ。


「……精霊? 我が君、妙です! このヒョウ、実体のある生物だというのに精霊の気配を身体中から発しています。それもこれは——」


 クロさんの、この黒い衣をまとうものの正体がヒョウという言葉に精霊を見ることをやめれば、なるほどその実態が現れる。——つまり、黒い精霊に身を包んでいたのか。

 そして一人心中で納得しつつ、彼女の言葉を引き継ぐ。


「ここに漂う気配と同じ——か。 仕方ない討伐させて——っ!?」


「……これはいったい」


 剣を抜き踏み込もうとしたその刹那、絶句した。

 その間にも続々と、『彼ら』は木の陰からゆらりと姿を現す。


 現れたのは最初に飛び出してきたそれと同じ、黒い気配を発する——人間だった。

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