第11話『セブン対《宝竜》』

「またせたな」


 俺は傷ついたクロさんを谷の上に置き、再び竜の前に戻ってきた。


「いいさ。ぬしは逃げないと思ったからな。——あの娘、


「……人聞きの悪いこと言うなよ」


 ——クロさんにバレたらあとが怖いだろうが!


 言い当てられ、俺は内心焦る。


「珍しいな、人間でそこまでの強さに至っているのは」


「皮肉か?」


「なぜだ? ——我らと同等以上の強さを持った人間になど会ったことがないぞ」


「!」


 俺は今度こそ目を見張った。


 ケリュネアといい、古くから生きる魔族はやはり特殊なのだろうか。


「して——」


 ぶわり。


 竜の身体から禍々しいほどの力が湧き出でる。


 それから竜は怪物然とした顔をさらに凶悪にゆがめて俺に問う。


「ぬしは我に何を望む?」


 言葉を連ねる間にも、何かに歓喜するかのように、その奔流は溢れ続け、止まない。


 ——


 壮絶な力よりも、そのゆがんでいく表情をまざまざと見た瞬間、俺は悟った。


 初め、先のクロさんとの会話。


 戦いよりも対話を望むその態度に、この竜とも話し合いで事を運ぶことができるのでは、と考えていたが、ダメだ。


 この竜は——この一個の存在は、『言葉だけ』では動かせない。

 

 それでも俺は言った。


「《宝竜》よ。俺の友になってくれ。

 そして友として、俺の願いを聞いてもらいたい——それが俺の望みだ」


「——わっはははははははははっ!」


 ごごごごごごごごごっ。


「痛——ッ!?」


 俺は鼓膜が裂ける前になんとか耳を塞ぐ。


 俺の望みを聞いた竜は、まるで《森の王》が言っていたことを再現するかのように、その声で大地を震わせるほど笑った。


 音は止まない。


 その振動によって、周囲にうず高く積まれていた財宝の山たちが、全て音を立てて崩れた。


「おもしろい! おもしろいぞ人間よ! そのようなことを言う者は初めてだ!」


 不思議とその声音に嘲りのようなものは感じない。


 だが、


「そんなに笑うなよ。——お前が本当に欲しかったものでもあるんだろ?」


 これは、やられた彼女のためへの、おしゃべりな竜への意趣返し。


 俺が言った瞬間、ぴたり、黒い竜の笑いが止んだ。


「……なんだと?」


 どうやら俺の言葉は核心を突けたらしい。


「おかしいと思っていたんだ。

 それだけの力を持っていて、たびたび森へ行き、何もせず帰る。

 せっかく集めた宝もぞんざいに扱い、微塵も執着を見せない。——「宝を奪いに来たか?」っていっそ嬉しそうにするし」


 一度そこで言葉を切り、俺はを問う。


「——お前はただ、誰かと共にいたかっただけじゃないのか?」


 宝を集めて回ったのは、それを目当てに様々な者がここに来るように。


 時は過ぎ、あまりの強さに近づく者はいなくなり、忘れ去られ、『宝の餌』は意味をなさなくなった。


 そして今度は、同族のもとへ行ったが、受け入れてはもらえない。


 それでも数百年に一度、ほとぼりが冷めたころに訪れ、彼らに言うのだ。


 ——友にならないか、と。


 ——孤独はいやだと。


 あまりに逸脱した個は、本人の意思にかかわらず、他を遠ざける。


 きっとそれは、魔族も、人も、同じなのだ。


「知った口を叩くなぁぁああああっ!」


 先ほどの哄笑とは比較にならないほどの咆哮が空へ放たれる。


 見えないそれは曇天のぶ厚い雲に大きな楕円の孔を穿ち、形を得た。


 空の孔から陽光が差し、俺と竜の立つ谷を照らす。


「……いいだろう試してやる。

 ぬしが我の友足りうるかどうか——我を受け入れられるかどうか。足りぬときはその命を持ってあがなえ」


 先ほどの笑みは消え失せ、地の底から響くような声で、竜は告げた。


 俺は竜の逆鱗に触れたのだ。


「俺の負けが死でも構わない。

 ——だが俺はお前を殺すわけにはいかない。どうすればお前は自分の敗北を認める?」


 竜は俺のその発言を嗤うことはない。


「——我の背だ」


「なに?」


「我らは何人もこの背に乗せぬ。しからば、それを以ってぬしの勝利の証としよう」


「わかった」


 その言葉を最後に俺たちは沈黙する。


 空に穿たれた孔が次第に塞がっていき——光の柱が消えた瞬間、始まった。


 ぱかり。


 竜は張り詰めた空気の中で、ともすればあくびでもするかのような仕草で巨大な顎を開く。


「!」


 ——消えたはずの太陽が目の前に出現した。


 迫るそれが竜の放った火炎球だと気づくまでの一瞬に、その軌道の下にある金塊が、熱でどろりと溶解していく。


 文字通り、谷底が炎と黄金の海に沈もうとするその刹那、俺は小さな太陽に肉薄し、それを二つに両断した。


 俺を避けるように通り過ぎた二つの半球の灼熱は、消えることなく背後の壁にぶつかり、岩壁がじゅうじゅうと音を立てる。


 遅れて、焦熱の波濤はとうを間近で浴びた皮膚と、衣服の焼ける臭いが鼻を突いた。


「《凍てつけ》!」


 俺は足元に向けて氷結魔法を放つ。


 溶けて波打つ黄金の澱みと、壁を溶かす割れた火球が一瞬で凍りついた。

 

 熱の代わりに谷底を席巻する冷気に、俺は灼けた肌をさらした。


 そのわずかな間に火傷は癒えきる。


 俺は右手に握る剣をその辺に放る。


 壮絶な熱塊を切り分けた刀身は、その途中から溶け落ち、消えてしまっていた。


 だが幸いなことにここは《宝餌の蔵》。


 かつての主を失った得物や、華美な装飾の施された剣がそこらじゅうに転がっている。


 俺は凍りつく黄金の散りばめられた地面に勢いよく手を突き入れ、そこから目についた剣を取り出し——すかさず竜との間を詰める。


「今のを凌ぐか! 凄まじい剣力と魔力——む?」


 黒い竜は動き出そうとしてようやく気づいたようだ。


 先の魔法でその足は凍りつき、地に縫い留められていることに。


「もらった!」


 その隙に俺は死角へ回り込み、無防備な背に跳躍した。


「あまいわっ!」


 正面から閃き襲い来る、黒い線を描くなにか。


 それはクロさんを一撃で沈めた竜尾の剣閃。


 竜には悪いが、横薙ぎのそれを俺は切り落とすつもりで迎え撃つ。


 ——が、


 ギィィィインッ!


 堅すぎるっ!


 切り落とすどころか、その黒い鱗は刃の進入を全く許さない。


 もはやこの尾は、極限まで磨き鍛え抜かれた変幻自在の黒曜石の刃だ。


 このままでは竜の堅さと俺の力に堪えられない。


 ——さらに尾の後ろから猛烈な勢いで迫る竜の顔が見えた。


 まずいっ!


 とっさにその真意を悟る。


 俺は剣を斜めにして竜の尾を受け流し、身を躱す。


 直後、竜の頭部がぶつかった尾は神速の勢いで振り抜かれた。


 硬質な音を立て、離れた谷の壁に真一文字の亀裂が入る。


 あのまま受けていたら剣ごと真っ二つにされていただろう。


 まるで破城槌。……尾は剣、顔は槌か。


 着地すると同時に、剣が折れた。


 すでに氷の楔から解き放たれた足を動かし、こちらへ向く竜。


 再び俺は剣を抜き出し、状況は振り出しに戻った。


「やはり楽しいな、戦いは。ぬしもそう思うだろう?」


 竜の顔にはすでに纏っていた昏さはなく、笑みが宿っていた。


「俺は楽しくない」


 今の短い間に何度死にそうになったことか。


「……」


「なんだよ」


 俺の返答に目を丸くする竜。


「わはは! 気づいておらぬのかぬしよ! その表情をよう見てみい」


 俺の表情だと?


 言われて俺は顔を下に向ける。


「——!」


 黄金と氷の鏡を覗くのは、わずかに頬を吊り上げた己の顔だった。


 笑っているのか? 俺が?


「それもそうか。人の身にしてその強さ。その本質はどうあれ、狂うほどの理性で己を律しなければそうはなるまい」


 まるで同情するように……同じような存在を見るかのように竜は言う。


 その言葉で浮かぶ光景がある。


 かつての居場所。いやあれは檻だ。


 そこで行われた非道の数々。


 常人ならば何百、何千と死んでいるほどの地獄。


 自身を蝕む殺意の渦。


 ——だが、違う。


「そいつは見当違いだ」


 決定的に、違う。


「なに?」


「たしかにお前が言う通り、俺は力を振るって戦えることを無意識のうちに喜んでいたのかもしれない」


 『七割』以上の力を出して相手にぶつけたことなんて初めてだ。


 まして、それで相手が死んでいないなんて。


 今までの俺の生活からすれば奇跡にも思えた。


「認めるよ。自分が力を、暴力をふるって死なずに笑顔を向けてくれる相手がいることに、俺は喜びを感じている」


「そうだろう? 我とぬしは同じ——」


「同じじゃない」


 みなまで言わせず、俺は竜の言葉を断ずる。


「お前は言ったな。俺が狂うほどに自分を律している、と」


「違うのか?」


 俺ははっきりとうなずく。


「——俺には既にいるんだ。

 俺を、自分の存在を認めてくれた人が。俺自身がどんな否定するたび、『人』だと強く言ってくれた存在が」


 だからこそ俺は今こうして正気でいられる。


 生きている。


 ——生きねば、ならない。


「——」


 竜が息を呑むのが見えた。


 その満月の瞳がどこか羨望にも似た光をたたえているように見える。


「間違いなく、俺とお前は、同じじゃない」


「——そうか」


 そして、俺の言葉に表情を曇らせた竜に、間髪入れずに言ってやる。


「ああ——だから俺がお前に『それ』を言い続ける存在になってやるからさっさと背中に俺を乗せろ」


 俺は竜に告げた『望み』を思い出しながら、一息に言い切った。


 竜は、瞠目したのちにその目を細め、楽し気に言った。


「言っただろう、何人もこの背には乗せぬと——ぬし、名は?」


「いや、乗る。——セブンだ」


「ではセブンよ、これで決着だ。

 ——この《崩天竜》ファフニルの一撃で以って逝くがいい」


 その言葉の直後、空が鳴き、雲が渦を巻きはじめた。


 ほどなく胎動するように光る渦の中心が、ぽっかり口を開く。


 そこに青い空はなかった。


 あったのは——怪しい光を放つ一本の巨大な剣。


 その矛先は大地に——俺に向いている。


「雷の剣?」


「《雷神の矛》——もはや避けることはかなわん」


 それは竜からの死の宣告。


 ——次の瞬間、『二本』の稲妻が避けようもなく俺に落ちた。


「ん? 今のは——な!?」


 ——だが《雷神の矛》は軌道を変えて、ファフニルへ襲い掛かる。


 本人の言に違わず、避ける間もなく雷は竜へ直撃した。


 さすがの竜も極大の雷魔法に身体が硬直している。


「俺の勝ちだ。ファフニル」


 俺は再び身体が焦げる臭いを放ちながら、竜の背に飛び乗り——


 突如発せられた赤い光に身体を飲み込まれた。

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