メリーさんと帰ってきたヨッパライ

 それは俺が一日の業務を終えて帰りの支度している時のことだった。


「キューちゃんおっつかれぃ」


 その元気だけが取り柄みたいな声を聞くだけでその声の主が一体誰なのかはっきりとわかった。


「お疲れ様。横尾さんも帰り?」

「キューちゃんったらそんな横尾さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、たまちゃんって呼んでくれないかなぁ。ほら言ってみよ。せーの、たーまちゃーん!」

「言うか!」


 もうこの数行だけでわかっていただけただろう。このたまちゃんこと横尾珠緒よこおたまおのウザさが。


 正直、俺の中で帰り際に会いたくない人第二位にランキングされている。ちなみに一位は花村課長の天敵でもある南田なんだ部長だ。まぁこの人に関しては特に説明することもないから割愛する。


「んで、横尾さん俺に何か用?」

「んもー、キューちゃんったら横尾さんじゃなくてたまちゃんだって何回言えば気が済むのかな?」


 横尾さんが牛のように嘶く。それは言い過ぎかもしれないが、腰に手を当てて、物分かりの悪い生徒を見るような目を向けてくるのはやめてほしい。


 このままこうしてても逃してはくれなさそうなので、相手のペースに合わせることにした。


「それで横尾……じゃなかった、たまちゃんの用件ってなに?」


 俺が彼女をたまちゃんと呼ぶとことさら嬉しそうにしていた。はっきり言おう。この人は俺と同じ社会人だ。そして営業成績は常にトップクラスなのが納得いかない。花村課長といいこの人といい、なんで一癖も二癖もあるような人ばかり優秀なのだろうか。だからといって彼らの爪の垢を煎じて飲む気にはならないが。


「あのさ、キューちゃんここに来て結構経ったじゃない? それでさせっかくだしお祝いも兼ねてパーッと飲みになんてどうかなぁって」

「本心は?」

「……給料日前なのでお金がありません。なので夕飯奢ってください!」


 ……だろうと思った。今に始まったわけじゃないが、横尾さんは豪快というか考えなしというか、給料日前になるといつもこんな感じだった。とはいえ、俺たちもそんな彼女にたくさん助けられているからそれを断ることもあまりしない。むしろ横尾さんは中身こそアレだが見た目はかなりの美人だ。だからお近づきになりたいと思ってる人も多いとかなんとか。それでも俺はゴメンだった。なので俺も本心を隠すことなく「えぇー……」という視線をぶつけてやる。


「なんだよー、せっかくこの横尾さんがご飯に誘ってるってぇのに断るつもりなのかい?」

「ご飯を人に集るようなやつに言われたくないわ!」

「頼むよー。今月マジでピンチなんや。もう頼れるのはあんさんしかおらんのや」


 横尾さんが妙な関西弁と呼べるかどうかも怪しい言葉遣いで猫のようにゴロニャンとしてくる。普通の男ならこれで一発ノックアウトかもしれんが、俺には通用しない。まぁ理由は聞かなくてもわかるよな?


「川本とかに頼めよ。アイツなら喜んで奢ってくれるんじゃない?」

「いやぁーそれはちょっと……」


 横尾さんの目が泳ぐ泳ぐ。その泳ぎっぷりにマグロもびっくりだぜ! なんて冗談は置いといて、こんな反応するあたりあからさまに何かあったな。


「じゃあ柴田は?」

「それもちょっと……」


 ……ほんとなにやったんだこの人。


「お願い! 本当に頼れるのキューちゃんしかいないの!」


 パンっと手を合わせて力強く懇願してくる。さすがにここまでやられると断りづらい。まぁ普段からお世話になってるところもあるから今回ぐらいはいいか。


「わかったよ。俺も横尾さんにいつも助けてもらってるし恩返しってことで」

「マジで!? うわーありがとー」


 満面の笑みでこちらに抱きついてこようとしたので、それはやんわりとお断りしておいた。そんな姿見られたらまた余計な噂をたてられかねない。


「よーしそれじゃあ行こっか」


 横尾さんが少女のように駆け出す。まぁ嬉しそうにしてくれるのは悪くない。


 ……と思っていた時期が俺にもありました。


 横尾さんと別れて自宅マンションに着いた頃には俺のSAN値はもうごりっごりに削られていた。なんていうか横尾さんはとにかく食べる。もうねあんたの胃袋はブラックホールかといいたくなるくらい食べる。いわゆる食い尽くし系とは違うんだけど、とにかく食べる量が尋常じゃない。これには流石に俺も引いた。そりゃあみんな横尾さんの誘いを断るわけだ。誘われた方もあわよくばなんて思っていたらこちらのライフがなくなっている。ミイラ取りがミイラになる、なるほど一筋縄じゃいかないわけだ。


 まぁでも横尾さんの話は面白いし、久しぶりに誰かと一緒に食べるご飯ってのも悪くなかった。次があるならもう少し懐に余裕があるときにしてもらいたいが。


 そんなことをつらづらかんがえながらエレベーターに乗り込む。ゆっくりと上昇していく感覚に若干の眠気を感じつつ、壁に預けていた体を起こした。俺の部屋がある五階に着いた。


 ゆっくりと開く扉。通路の一番奥に俺の部屋がある。部屋の前まで行くと、……膨れっ面のメリーさんが座っていた。

「遅いじゃないですか! こんな時間までなにやってたんですか! 何度も何度も電話かけたのに繋がらないし、着信あっても出なきゃスマホなんてただの板なんですよ!」


 今日のメリーさんはものすごーくプンスカしていた。そういや今日はいつもの週末、メリーさんがくる日だった。慌ててカバンの中に入れたままにしておいたスマホを取り出す。着信履歴二十件……どんだけかけてきてんだよこの人。いや、都市伝説か。


「こっちは木内さんに何かあったんじゃないかって心配してたんですよ! かけても繋がらないし、部屋にはいないしで、いっそ探しに行こうかと思いましたがどこにいるかもわからないで、わたしがどれだけ心配したかわかってんですか!」

「ご、ごめん……。会社の人と飲みに行ってて」

「女ですか!? まーたわたしの知らない女を誑かしたんですか!? えぇ!?」


 すごい言いがかりだ。まぁ女の人と飲みに行ったのは間違ってないが。というより、なんで俺がこんなに怒られないといけないのか。


「電話に出なかったのは悪かったよ。でもだからってそんなに突っかかってくることないだろ」

「そ、それは……」

「それにいつも勝手に押しかけてくるのはそっちの方だ。どうせまた部屋に入れろー! って騒ぐんだろ?」

「……」


 変な言いがかりをつけられたせいでちょっと苛立っていたのか、言葉が荒くなっていた。


「ほれ、そこどいてくれ。中に入れないだろ」


 そう促すと、ずっと黙ったままだったメリーさんの様子がおかしいことにようやく気づいた。


「……せっかく」

「ん?」

「せっかく木内さんのために作ったのに!」


 そう言って顔を上げたメリーさんは泣いていた。


 そこでようやく気づいた。メリーさんの傍に置いてある謎の紙袋の存在に。


「お前もしかしてこれ」

「そうですよ! いつも頑張ってる木内さんのことを思って喜んでもらえると思って作ったのにどうしていないんですか! よりにもよってなんで今日なんですか! 何時間待っても帰ってこないし、電話は繋がらないし、お料理は冷めちゃうし、一人で不安で不安で、どれだけ寂しかったかわかってんですか!?」


 メリーさんは俺のために弁当を作ってくれていた。それもちゃんと俺の体を気遣って栄養バランスもちゃんと考えてのことだろう。たぶん弁当屋のお姉さんにいろいろ相談して中身も考えてたんだろう。俺の喜ぶ顔を思い浮かべながら準備してくれてたのかもしれない。それを俺は知らなかったとはいえ、彼女にひどいことを言ってしまった。


「……ごめん」


 ひっくひっくと泣きじゃくるメリーさんの頭をそっと撫でる。俺よりもずっと小さな彼女はいつもよりさらに小さく見えた。


「せっかくだしさこれ食べてもいいか?」

「で、でも……もう冷めちゃってるし、それに木内さんご飯食べてきたんじゃ」

「安心しろ。俺の胃袋はブラックホールだ」


 そんなわけない。正直お腹一杯だった。でもここでメリーさんの作ってくれたお弁当を食べなきゃそれこそ彼女に悪い。それ以上にこのお弁当を食べたかった。


 メリーさんの作ってくれたお弁当は俺の好きな鳥の唐揚げに加えて、煮物だったり、ほうれん草のおひたしだったり、マカロニサラダにカレイの煮付けにマカロニグラタンだったり、マカロニコロッケあったり……マカロニ多いな。それに炊き込みご飯まで用意してあった。というより量が多い……。でもすごく美味しかった。


 なんとか食べ終えるとさすがに腹がはちきれそうだった。こりゃあ明日は何も食べなくてもいいかもしれない。うぷ……。


「大丈夫ですか!?」

「言ったろ。俺の胃袋……はブラック……ホー……ル……」


 さすがに限界だった。ごろんと部屋の前の廊下に寝転ぶ。メリーさんが慌てて俺を支えてくれた。


「……なんでそんな、無茶するんですか」

「だってせっかく作ってきてくれたんだろ? だったら食べるのが礼儀だろ」

「だからってそんな無理しなくてもまた作ってきますよ」

「そっか」

「……でもありがとうございます」


 今度はメリーさんが俺の頭を撫でる。小さな手になでられるたびにくすぐったさを感じていた。


「こんなところで横になっていると風邪ひきますよ」

「牛の間違いじゃないか?」

「牛の前に風邪ひいてしまいます。ほら早く部屋の中に入ってください」

「そう言って俺の部屋に潜り込むつもりだろ」

「今日はそんなことしませんよ。部屋に入るのは木内さんが元気な時にまた改めて」

「食えねえやつだ」

「そうですか? でもお弁当はちゃんと食べてくれました。だからそれでいいんです」


 ふふっとメリーさんが笑う。俺もつられて笑った。


「それじゃあこれで帰ります。ちゃんと休んでくださいね」

「おう。お前こそありがとうな」

「それじゃおやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 そう言って扉を閉めた。ガシャンと無機質な音が静かな部屋に響いた。


 俺はメリーさんの言うとおり直ぐにベッドに横たわった。食べてすぐに寝るのは良くないってわかってるけど、体がいうことを聞かない。ふぅと息を吐く。


 目を閉じると、メリーさんの泣いた顔と笑った顔が交互に浮かんで消えた。


 やっぱりあいつは笑ってたほうがいいな。


 あいつの飯美味かったな。あ、そうだ。今度何かお礼しないとな。何にしようか……。


 それから意識が途切れるのはあっという間だった。


 今日はどこか幸せな夢が見られそうな気がした。

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