第18話 これが最後の旅行になるとしたら



 出立の日。

 指定した時間どおりにグールドン侯爵家の屋敷にゴーティエ王子を乗せた馬車が到着した。通常であれば私のほうから出向くのだが、王弟であるロドリク・リオンが王宮での公務で使用中のためこういう形になったと聞いている。


「迎えにきたよ、ヴァランティーヌ。準備はできているか?」

「ええ、ゴーティエさま。急ぎではありましたが、きちんと整えてありますわ」


 私のためにわざわざ馬車から降りてきたゴーティエ王子の顔には疲れが見えている。急に旅行をしようなどと言い出したために、仕事がより忙しかったのだろう。


 無理する必要はないのに……。


 私と少しでも長く一緒にいようと努力していることが彼の身体を蝕むことになるのなら、私はこんなことは望まない。国王と王妃としてこの国の平穏と無事を願いながら、老いるまで連れ添いたいのだ。命を削るような行動はしてほしくない。


「……どうかしたか?」


 表情が曇ってしまったからだろう。ゴーティエ王子が私の顔を覗き込むようにして尋ねた。


「いえ」


 今は体調を気遣う言葉を伝える場面ではない。私は不安な気持ちを、首を横に振ることで払いのけて笑顔を作る。


「出発しましょう。話はゆっくりと馬車の中で」

「そうだな」


 ゴーティエ王子のエスコートで馬車に乗り込む。私の荷物はほかの馬に載せて、一行は速やかに出発したのだった。





 王家の馬車は乗り心地がいい。以前にも利用させてもらったが、これなら長旅も快適に過ごせるだろう。


 うちの馬車も上等なものなんだろうけど、長く座るためにはクッションを積んでおかないとつらいものね。領地に戻るのも大変だったからなあ……。


 窓の外に目を向けると、それなりのスピードで走行しているのがわかる。目的地までは馬車で半日以上かかるとのことだが、この速度でその時間なのか、通常の速度でその時間なのか不明だ。


 二人で旅行、ね……。


 結婚してから忙しくなるのは間違いないが、だからといって急に出かけることもないはずだ。ゴーティエ王子には何か目的があるのだろう。王都ではできない、なにかが。


「――どうして浮かない顔をしている?」


 正面に座っているゴーティエ王子が気遣う様子で尋ねてきた。


 浮かない顔なんてしていないつもりなんだけどな……。


 私たちの運命が死に向かっているらしいと気づいてから、ついついどうにも考えすぎてしまう。ヴァランティーヌであれば、もっとうまく立ち居振る舞いができたんじゃないか――なんて無意味なことまで想像してしまう始末だ。ゲーム内で必ずデッドエンドに向かう彼女が、私以上にうまく動けたかなんて、ある意味自明なのに。


「旅行を楽しみにしすぎて、眠れなかっただけですわ」


 眠れなかったのは嘘ではない。

 ただ、それは楽しみだったからではなく、ほかの攻略対象たちの動きを封じるためにはどうするのがいいのかを考えていたからだ。手遅れになる前に手を打っておかねばと気持ちが急いている――それゆえにのこと。


「本当にそうか?」


 疑われている。ゴーティエ王子は私をじっと見つめて尋ねてきた。

 私は小さく息を吐くと、微苦笑を浮かべた。


「ゴーティエさまこそ、体調はいかがですか? 今日のためにご無理をされたのでは? 顔色があまり優れていないように感じるのですが」


 グールドン家の屋敷の前で見た彼がやつれたように感じたのは光の加減だったのではないかとも考えていたが、この正面に座るゴーティエ王子の様子もやはり変わらず。整った顔立ちは健在だが、肌がくすみ、目の下にはうっすらとクマが出ている。寝不足ぎみの様相だ。


「俺だって旅行が楽しみで、眠れなかったんだ」


 そう告げるゴーティエ王子の態度は、嘘をついているようには見えない。微苦笑を浮かべる顔は憂いを帯びることで美しさがさらにみがかれているようにも感じられて、こんな状況で美しいなんて思ってしまう自分を恥じた。


「なら、同じですね」


 どうして唐突に旅行などと言い出したのか最初はよくわからなかったのだが、ゲームの記憶をたどってみたことで一つの結論に至る。

 この旅行の日程は、王弟ロドリク・リオンのイベントが起こる時期と完全に重なっている。このイベントによってロドリクはソフィエットの手を取り、ゴーティエ王子を次期国王にさせてはならないと心に誓うのである。


 となると、やっぱり意図的に避けた?


 腕利きの予言者が王家についていてもおかしくはないものの、どこか引っかかりを感じずにはいられない。


 互いに詮索するのは得策ではないと考え、私は話題を変えることにした。


「――アロルドさまも一緒なのですね」


 直接挨拶を交わすことはなかったが、今日の護衛の中にアロルドの姿があった。彼は王族を護衛するときの正装をしており、その姿は前世で画面越しに何度も見たものと同じでちょっぴり高揚していた。

 ゴーティエ王子はつまらなそうに、ふんと鼻を鳴らす。


「アロルドは腕の立つ騎士だからな。立場だけじゃなく、実力も伴っている。それにプライベートな旅行について来させるなら、よく知る相手がいい」


 そこまで説明して、ゴーティエ王子は何かを思い出したような顔をした。


「そういえば、前の茶会で名の挙がったエルベルも同行しているぞ。素行や実力を直接見るいい機会だろう」

「そうでしたか」


 確かエルベルの設定は隠し子だったよね……。気が変わらないといいけど。


 ゲームでの情報を思い出す。これから敵対する可能性が高いことを思うと、迂闊な真似はしないようにせねばと深く誓う。

 そんな私の心のうちを知ってか知らずか、ゴーティエ王子は大きく息を吐き出した。


「プライベートといいつつも、やらねばならないことは山積みなんだ。骨が折れる」


 プライベートとは名ばかりで、この旅の目的は王家の人間や敵対する可能性のある人間の目から離れて、態勢を整えることが最大の目的と考えられた。バカンスの予定は、そもそもこの旅行の日程には組み込まれていないのだ。


 私が一緒なのは、周りの目を欺くためね。


「無理しないでくださいね」

「ああ、わかってる。心配かけてすまない」

「いえ。私が協力できることがあるなら、なんでもおっしゃってください」


 欺くための要員であることには構わないが、何もしないでいるつもりはなかった。少しでも協力できることがあるのであれば、手伝いたいと思えた。

 私がにっこりと微笑むと、ゴーティエ王子は私をじっと見ながら手招きをする。


「じゃあ、こっちに来てくれ」

「はい」


 なんだろう?


 多少なりとも揺れる馬車の中、恐る恐る移動して、ゴーティエ王子の隣に座る。内部は広いつくりではあるが、成人が並んで座るには少し窮屈だ。必然的に身体が密着してしまう。


「ヴァランティーヌ?」

「はい……」

「温もりを分けてくれ」

「それってど――」


 言葉は口づけに飲まれる。舌が絡み合うと、ゴーティエ王子は私が了承したと考えたのか、旅行用のスカートの中に手を入れる。


「あっ……」

「この馬車でも揺れるからな。逃げるなよ」

「い、いけません、ここじゃ……あっ」


 たちまちに下着がずらされる。


 だ、だめだめっ!


 逃げようとしても、車内は狭くてうまく動けない。


「いい顔だ、ヴァランティーヌ」

「やっ、恥ずかしい……ま、待って」

「待たない。これでも我慢したんだ。オレへの褒美だと思え」


 こんな場所で、しかも動いているというのに、などと拒むための言葉を探していたが、身体の疼きは強まる一方だ。スカートの中の左手から逃れるつもりで身悶えしているうちに、胸元の紐が解かれて、白いふくらみが露わになっていた。


「えっ、ええっ‼︎」


 自分一人でも着替えやすいからと前を紐で編むタイプの旅行用ドレスを母から勧められて着てきたのだが、母にはこうなることがお見通しだったのかも知れない。


「逃がさないよ、ヴァランティーヌ。もっと気持ちよくなるんだ」


 直接肌に触れられると頭の中が真っ白になりそうだ。伝えたい言葉が形を失って、快感の波に飲まれていく。


「やっ……私ばっかり……」

「心配しないで。オレだって気持ちがいいから。好きなだけ、オレから快楽を受け取って」


 馬車の振動でガクガク動き、それが記憶と結びついて妙な高揚感に包まれる。


「こ、こんな……ああっ」

「気にするな。この旅行は、そういう旅行だから」


 そういう旅行……?


 もう少し考えたいのに、思考は停止。疼きが次の官能の到来を告げている。


「や、やぁっ」


 自分ではもう、どうにもならないことを、私は悟った。

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