第5話 2019年6月某日

 女性が白衣のポケットから試験管を取り出した。

 中国、武漢の繁華街、その路地で彼女は試験管を地面に叩きつけて割った。

 綺麗なクリアブルーの液体が周囲に飛び散る。


「ねぇ…私を抱いて」

 彼女は街で男に声を掛けて安いホテルへ入っていく、古い歌謡曲が流れる部屋で体を預ける…狂ったように…。

 この3日で何人の男に抱かれただろう…

 何件のホテルを利用したのだろう、何部屋で身体を晒したのだろう。

 今日も…

「ホントに金は払わなくていいんだな?」

「えぇ…いらないわ、嫌なら払ってもいいくらい」

「ハハッ…アンタ、変わってるね~」

「変わってる? 違うわ…私は狂っているのよ」

「そうだな、そのとおりだ…アンタ、タダのスキモノだ」

 男が女を抱き寄せてベッドへ押し倒す。

「シャワーなんか浴びさせねぇぜ」

「えぇ…それでいいわ、洗い流されちゃ困るのよ…」

「あぁ…全部、舐めとってやるよ」

 下卑た笑み、不快以外の感情が沸いてこない。

(でも…コレでいい…バカは死んだほうがいい…この世界は浄化されなければならない)

「醜い年寄り…生きるに値しない疾患持ち、喫煙者、性病持ち…生きるに値しない人間は、産まれた瞬間に搾取されなければならない」

 女は男に身体を好きにさせたまま、ブツブツと呟いて天井の電灯を眺めていた。

 男の吐く息、体臭、その全てが不快で吐き気を誘う。

 それをごまかす様に、ただお経を読むように淡々と呟き続けていた。

 バンッ‼

 ホテルのドアが蹴破られ、スーツ姿の男が2人、無言で入ってきた。

 タンッ…

 女に跨ったままの男が振り返り、何かを言う前に、スーツの男が構えた銃の引き金が弾かれ、その額に赤黒い小さな穴が開き少量の血を流して仰向けに倒れた。

「遅かったわね…」

「博士…アナタは何をしたか解っているんですか?」

「知ってるわ…」

「そうですか…」

 タンッ…

 男が構えたままだった銃で女の頭を撃ち抜く。

 倒れた女を見下ろしたまま

「はぁ…変革の引き金は弾かれた…」

「我々が?」

「バカ…この女が弾いたんだよ」


 男たちが出ていった部屋に20年近く昔の日本のヒット曲が流れる。

「この曲知ってるよ…確か…もらい泣き、とかいう曲だ」

「思い出の曲ですか?」

「昔の女が好きだった曲だ…それだけだ」


 ホテルを出た男たちは車に乗って窓から手袋を投げ捨て走り去っていった。


「この街がファーストステージになるわけか…シナリオが書き換わったな」

「ほんの少しだけ…でしょ?」

「まぁな…自国が実験場になるなんて考えてはいなかっただろうからな」


 ……

「で…間に合わなかったわけか…」

「はい…すでに多数の人間と接触していたようです、処分しましたが」

「まぁいい…どうせバラ撒くつもりだったんだ、これで人口問題と経済問題…食料問題から環境問題まで一気に片付くわけだしな…」


 報告を受けた男は葉巻を咥えて、フッと笑った。

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