三月の土曜日、ポートレート

ジンジャーエールを注文するのは久しぶりだった。


紙コップについたストローから、氷で冷えた

炭酸とほのかな甘みが口の中に広がる。


「買ってきたよ、松葉さん。チケット売り場、休日だからやっぱり混んでるね」


「ありがと。本当に奢ってもらってよかったの?」


チケットを買ってくれた奏に、ポップコーンとジンジャーエールを手渡した。


「もちろん、誘ったのは俺だから。それより飲み物とか買ってくれてたの?」


「レジカウンター混んでたでしょう。だからその間に、暇つぶしがてらね」


奏から受け取ったチケットを見ると、知らないタイトルが印字されていた。


「この『ポートレートフィルム』ってどういう映画なの?」


タイトルから受ける印象を率直に言えば、ミステリーだろうか。


「ううん……何て言うんだろう、こういう作品。サスペンスなのかな」


「え、怖い映画なの?」


「怖いって言うよりは、緊張感がある、かな。

俺もあらすじしか知らないし、まあ観てみようよ」


どうしてそんなジャンルを選んだのかと聞きたかったが、

ポップコーンを持った奏はスクリーンのある階へと向かって行ってしまった。


上映前のコマーシャルが流れる中、グレーの座席に着いて

辺りを見渡すが、客の姿はまばらだった。


もっと宣伝を打っている、有名な映画会社の新作も

上映しているはずだが、何故あえてこの映画を選んだのだろうか。


言ってしまえばマイナーな、小劇場で上映しているタイプの作品だ。


奏の表情をうかがうとスクリーンに視線を

向けているものの、ぼんやりと虚ろな目をしていた。


松葉の前で浮かべた表情はどれも若々しい豊かさがあり、

この瞬間に浮かべているような無表情な顔は見せたことはなかった。


意外な面を知った松葉がその横顔に見入っていると、劇場の照明が落ちた。


「始まるよ、松葉さん」


再びスクリーンで照らされた奏の瞳はこれから始まる映画への

期待に満ちていて、松葉も黙って映画に集中することにした。


◆◆◆


男は写真を撮るのが好きだった。


記念日だけではなく、ささいな喜びも、別れの姿も、写真に収め記録した。


家族の写真をアルバムに貼りつけていた男は違和感に気づいた。


友人が、母と手を繋いでいた。

父の背に隠れ、密やかに指を絡め合っている。


男は悩んだ。家族の幸せが何よりも大事で、家庭を壊したくなかった。


そして、何も見ていないふりをした。

家族の秘密は男の記憶の中に留め置かれた。変わらぬ幸福を築けるように。


男は恋人と街を歩いている時、その笑顔をいつものように写真に収めた。


数日後の晩、一人で街を歩いていた男は、

路地に入った所で仮面をつけた何者かに刃物を向けられた。


カメラとデータを、フィルムを寄こせと言うのだ。


フィルムに何かが、記録されては困るような現場が写ってしまったのだろう。


命が惜しい男はすぐに持っていたカメラを渡した。

データは入っているそれだけだと。


カメラを奪った仮面の男は、すぐさま地面に叩きつけて踏み壊した。

二度と撮るなと、仮面の男は刃物を突きつけた。


男が愛機の最後に衝撃を受けている間に、その何者かは走り去っていった。


命だけは助かったが、男は喪失してしまったフィルムを

取り戻すようにまた新たなカメラを買い、写真を撮った。


最新のモデルではない、赤い塗装の古びたカメラだった。


一見すると変わらない男の趣味だが、フィルムは変化していった。


より人間を、被写体の行動を、動く様を撮るように。


笑顔の人間ばかりを撮っていた男は、

そこに存在する人間を切り取るように撮影した。


フィルムからは笑顔で写る家族が減り、

目線の向いていない、他人の写真が増えた。


カフェで会話をする恋人。コーヒーを飲むサラリーマン。

路地でケンカをする刺青の青年。


男の愛機はフィルムを使い切るように何度も

シャッターを切られた後、地面に投げ出された。


愛機はその仮面を写したことがなかったが、男は見覚えがあった。


鈍く光る銀の刃物に焦点が絞られ、男の腹部を貫き

――そして太陽の沈む空を写した。


警察から現場の状況を聞かされた家族はカメラを盗まれていたと聞き、

それに犯人が写っているはずだから探してくれと懇願した。


しかしただの強盗殺人として扱われ、

遺品でもあるカメラは見つからなかった。



少女は露天商で売られている赤いカメラに目をつけた。


あれが欲しいと父にねだり、その古びたカメラを玩具代わりに手に入れた。


すぐにフィルムの扱いを覚えた少女は、レンズを街へと向けた――。


◆◆◆


「なんだかまるで……観ている自分が撮影しているような映画だったわね」


松葉達は近場の喫茶店に入り、注文した紅茶に

ミルクを入れながら映画の感想を口にした。


「わざと主観的に撮影した映画らしいんだ。

男の視点で、ファインダー越しに見るような映像だったでしょ?」


奏はミルクに砂糖のスティックを二本混ぜ入れ、いくらか興奮したように語った。


「写真の話だから観たかったの?」


キャストの服や時折出てくる花や夕焼けに染まる街並みと、

色彩の豊かな映像で退屈はしなかったものの、

はっきり面白いと言える種類の映画ではない。


「カメラの話だって言うのもあるけど、

プロモーションビデオをたまたま見かけたから」


たまたま気になった、そういうこともあるだろう。


松葉は納得して、ミルクでまろやかになったアールグレイを一口飲んだ。


「じゃあいいわ。話しましょうか、アイツのことを」


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