雨の土曜日

頬に触れたカウンターの冷たさに、松葉の微睡んだ意識が少しだけ冷めた。


ブルー・マンデーが波打っているのは、グラスに触れたからだろうか。

瞼を閉じて、店の外から聞こえる雨音に耳を澄ませた。


「1人で飲んでると変な男に絡まれるよ、おねえさん」


落ちていく松葉の意識に、柔らかい声がかかる。

目を開くと、黒いマウンテンパーカーの裾が揺れていた。


「……今まさに絡まれたけど」


「俺じゃなくってさ……昨日、夜中に

公園の滑り台でお酒飲んでたおねえさん、だよね」


一瞬酔いが冷めて見上げると、見覚えのある黒い服の青年だった。


「どうして君はここにいるのさ?」


公園で会ったくらいだから、生活圏が被っていてもおかしくはないのだが。


松葉にとって、現在の友人はアルコールだ。うっとおしさに眉をひそめた。


「おねえさんが来る前からいたんだよ。それより、大丈夫?」


「あー、大丈夫ダイジョーブよ。自分の酒を楽しみなさいな」


手をひらひら振って追い払う。青年はそれでも引かなかった。


「ズブ濡れだし、ヤケ酒してるみたいだから。

様子見してたんだけど……放っておくのもなって」


困ったように笑う姿は、どこか頼りない感じだった。


アイツとは全然違う。

石蕗は鍛えていて、身体だけではなく逞しい雰囲気がある。


「何杯も飲むより、誰かと話す方がストレス解消になるよ」


首を傾げるようにカウンターに突っ伏した松葉の顔を覗き込む。


「俺、また明日このバーに来るから、よかったら話そうよ

……だからさ、今日は帰ろう?」


松葉は赤くなった目を隠すべく顔を逸らした。

もしかしたら、もう腫れているかもしれない。


「なにさぁ、ナンパしたいなら他に行きなさい」


「違うって……タクシー呼んだし、もう帰りなよ」


「……飲み足りないの。放っておいておくれ」


「かなり酔ってるよね……

このままじゃバーテンダーに迷惑かかっちゃうよ?」


そんなことを言われても、他人のことなんてどうだっていい気分だった。


「お酒だって、ほら。こんなに残ってるし……」


青いアルコールに浮かんだ氷がグラスの中で踊る。


「……じゃあ貰う、それ」


長い指がグラスを奪い、一気にグラスを煽った。


「あっ、飲んだ!」


「はぁっ……これで、帰れるでしょ?」


「わかった、わかったわよ。帰りまーす」


話しかける前からタクシーは待たせてあったのか、路肩に着けてあった。


「帰ったらちゃんと水分とって寝るんだよ、おねえさん」


「……君は一緒に乗らないの?」


「俺は電車で帰れるから。運転手さん、車出してください」


「お持ち帰りされるのかも……って思ってたんだけど?」


そんな予感はしていたが、冗談だった。とても受け入れる気分ではない。


「え……は、はぁっ?

するわけないじゃん、そんなこと!」


顔を真っ赤にして否定される。なんだ、ただのいい子なのか。


「……じゃあね、親切な黒服クン」


タクシーの窓に打ち付ける雨は日中からずっと強いままで、

嫌でも昼の出来事が浮かんだ。


湿ったままの服に包まれた体を抱いて、松葉は眠ることにした。



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