第23話 知ってる先輩の知らない時間

「はい、これでよし。二人とも似合ってるよぉ。」

「忙しいのにすみません。ありがとうございました。」

「来年は先輩も一緒に行きましょうね!」

「そうだねぇ。」


 夏祭り当日。晴奈は夏音なつのと共に実範みのりの家を訪れていた。浴衣を着付けてもらうためである。事前に二人で買いに行った浴衣は夏音が紺と白の縞模様と大きな赤系の朝顔の柄が華やかなもの。晴奈は薄い水色の地にシンプルな青系の花柄だった。実範の手際は見事なもので、あっという間にきれいに二人分着付けてしまった。彼女自身も今日は緋色の袴の巫女装束である。なんでも、厳教みねのり神社で行われる神事のためらしい。今日は準備だけだが、その間もこの装束でいなければいけない決まりらしい。


「正直、神様そこまで気にしてなさそうだし、来年から日程ずらそうかな。」

「いいんですかそれ?」

「他の神様がどうかはわかんないけどね。いや、普通に怒られそうだなぁ……。でも、ウチの神社で祀ってる神様、結構そのあたり適当っぽいんだよねぇ。」

「そんなのわかるんですか?」

「んー、まぁ、ほら。家に伝わってる書物とか読むと色々ね。」


 そんなものだろうか、と夏音と顔を見合わせる。


「ほらほら、そろそろ出ないと電車間に合わなくなるよ。」

「え、ホントだ。夏はいつまでも明るいから時間の感覚狂うわー。」

「花火見たら早めに帰ってくるんだよ?」


 母親のような事を言いながら実範は二人を玄関へと促す。そしてそのまま、むっとした熱気の満ちた外へ出て山道の出口で、実範は二人に手を振って見送った。晴奈たちはそれに手を振り返して、履き慣れない可愛い下駄をコロコロ鳴らして歩くのだった。




――二人を見送った実範はというと。慣れない足取りで下駄を鳴らす二人を微笑ましく見た後で神事の準備のため踵を返したところで止まった。視界の端に見覚えのある人影が映ったのだ。


「こんにちは。遠城えんじょう先生。」


 そこにいたのは緒々馬南おおばみなみ高校の鬼教師・遠城愛志いとしだった。隣にはツリ目で茶髪の、スタイルの良い女性が立っている。愛志だけであれば実範も軽く頭を下げる程度にしたかもしれない。しかし、隣にいる長身の彼女が気になって思わず声を掛けてしまった。


「こんにちは。……家の行事か?」

「ええ、見てのとおり。先生は?」

「見回りだ。隣町の夏祭りだろう今日は。不敬なことに、こういう日はよからぬ輩が増える。」

「見回り……彼女連れでですか?」

「そういう関係ではない。」


 愛志は間髪入れずに否定した。女性も同じく、違いますよと笑った。


「いろいろ説明が難しいので、親戚ということで!」

「逆に意味深じゃないですか?どうなんです、遠城先生。」

「実際説明は難しい。より正確に言うなら……仕事仲間だ。」

「へぇ……。そうですかぁ……。」

「出雲、妙な勘ぐりはやめろ。」


 眉間のしわが深くなったので実範もそれ以上追及するのはやめた。しかしながら、この長身で抜群のプロポーションの女性が愛志の隣にいるのは色々な意味で目立つ。


「まぁいいですけどぉ……。見回りが必要なのはもうちょっと遅くなってからじゃないですか?」

「いや、今から必要だ。不逞の輩は残念なことにいつどこにでもいる。」

「それはまぁ、否定しませんが。」


 ズイ、と女性は実範に詰め寄る。


「私はお祭り行きたかったんですけどね!」

「あら、それはかわいそうに。私も行きたかったなぁ。」

「……土産は頼んだだろう。」


 愛志は女性を自分の方に引き戻すとそのまま頭を撫でた。あまりに優しげな態度に実範は瞠目する。普段の印象とかけ離れたその行為を女性も自然に受け入れている。それがまた衝撃だった。


「……ごちそうさまです。」

「なんだと?」

「いえ何も。では、私はこれで。」


 頷いたものの愛志はすぐに、思い出したことでもあるのか実範を呼び止めた。


「なんです?」

「顔色が悪い。家の事情であれば仕方がないが、無理は禁物だ。しっかり休みなさい。」

「ご心配どうも。そうですね、熱中症か何かかもしれません。気をつけます。」


 自分の背中を見送る愛志と女性の視線を感じつつ、実範は足早に家へと帰った。程よく冷房の効いた屋内に入っても、実範の背中には絶えず汗が伝っていた。通りかかった祖母が実範の姿に足を止める。


「どしたの、実範ちゃん。」

「……ばあちゃん。私、久々に霊感なんて無ければいいのにって思ったよ。」

「あらま。なんか見ちゃった?」

「……うん。」


 実範は、いわゆる霊感少女だ。ハッキリくっきり見えるせいでいろいろ苦労もしてきた。得したこと大きく上回る量の苦労だ。見えてよかったことなんてほとんど無い。そんな実範が今までに見たことのないものを、見てしまった。やっぱり霊感なんて無い方がいい、と実範は毒づいた。


「一体何が起ころうとしてるのかな。」

「さぁねぇ。それもほら、神様に聞いてみるだね。」

「……神様、ねぇ。教えてくれるといいけど。」


 祖母から差し出されたハンカチをありがたく受け取り、呼吸を落ち着かせて実範は再び家を出た。蒸し風呂のような外気と蝉の声に包まれる。厳教神社への参道を早足に進んでいると、ふと隣をいつの間にか男が歩いている事に気付いた。その辺りの茂みから出てきたのだろうと勝手に思い込む。狸みたいなものだ。


「今失礼なこと考えなかッた?」

「別に。それよりさっきの何よ。」

「さッきの?……あれか。何だと思う?何に見えた?」


 実範は自分が先ほど見た「何か」について男に正直に話す。


「ちょっと背が高めな女の人の姿してた。明らかに人間じゃないけど幽霊でもなさそうだった。」

「なんでそう思ッた?どッちでもないッてさ。」

「……ほとんど綺麗に人間の姿してたと思うけど、たまに姿がブレる。なんか、糸くず寄せ集めてあるみたいに見えた。」

「なるほど。お前にはそう見えるんだね……。」


 男はグレーの瞳を細めてクツクツと笑った。実範は不愉快そうに眉を寄せてそれを睨む。男は軽く謝るだけで、決して悪いとは思っていなさそうだ。


「言い得て妙だと思うね、糸くずの寄せ集め。妙な気配を感じると思ッてたけど、あの子達だッたのかな。」

「答えは?」

「内緒。……そんなに怒んないでよ。今はッて話し。明日の儀式が終わッたら教えてあげるよ。そろそろ、お前にも教えた方がいいだろうしね。」


 男は愉快そうに、それでいてどこか郷愁に似た何かを滲ませて目を細める。そこにあるのが本当はどんな感情なのか、実範にはよく分からない。そもそも、この男は自分を理解させる気などないのだ。


「ていうか仕事仲間って言ってたけど、あの糸くずの寄せ集めが仲間って……遠城先生は何してるのかねぇ。」


 教師としての仕事でないことは確かだが――その答えも今は秘密らしい。グレーの瞳は既にこちらを見ていない。夏祭り行きたかったなぁ――実範の声は、蝉時雨の中に溶けていった。

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