第7話 強面教員が女の人と仲良さそうにしてるとめちゃくちゃ気になる

 小さな自称・ようせいさんにして自称・侵略者、かしゅみと共に生活し始めて初めての週末。晴奈は朝、学校に行くのと同じ時間に目を覚ました。生真面目な晴奈は滅多に寝坊をしない。まだ弁当箱の中で眠っているかしゅみを確認すると、晴奈は着替えて軽く髪を整えた。そしてかしゅみを起こしてしまわないよう、そうっと部屋を出る。母・美晴もまだ眠っているらしく、階段を降りてもなお、家の中は静かだった。美晴は晴奈と違って週末は少し起きてくるのが遅い。やはり母のことも起こさないように、晴奈は静かに家を出た。特にやましいことをしようというわけではないが、なんだかコソコソとした動きになっていた。

 足早に向かった先は最寄りのコンビニ。晴奈は昨日の晩、ふと思いついたことを実行するためにあるものを買いに来たのだ。


「……味まで考えてなかったな……。」


 細い棒状のビスケットに、チョコレートがかかったお菓子。晴奈の世代では定番のお菓子「ポキポキ」。それを求めて来たのだ。しかし晴奈の目の前には、スタンダードなチョコレート味の隣に期間限定のレモン味が一箱だけ並んでいる。ホワイトチョコレートにレモンの酸味を融合させたそれは去年の夏にも売っていて、夏音が絶賛していたのを思い出す。晴奈はその脳裏にはっきりと映し出された夏音の笑顔に押し切られるようにして、両方の味を一つずつ手に取った。何も全部一人で食べるわけではない。これは――そう、これはほぼかしゅみのエサである。きっと細い棒状のそれを差し出したら、チョコレートのついた先端をくわえてポリポリと食べるに違いない。その光景を思い浮かべただけで頬が緩む。もう取り繕うこともできないくらい、晴奈はかしゅみを気に入っていた。

 やたらニコニコとしていたせいで店員に不思議そうな顔をされたことに恥じ入りつつ、晴奈は来たときと同じように足早に家へと帰ろうとした。しかし、その行く手を阻む者がいた。夏には暑そうな黒いジャージ。黒い半袖のTシャツ。筋骨隆々とした体躯で、白髪混じりの黒髪をオールバックに撫でつけた目つきの悪い男である。ご丁寧に頬に火傷の跡まであるせいで、一見裏社会の人間に見える――彼こそ、晴奈の通う緒々馬おおば南高等学校で最も恐れられている鬼体育教師、遠城愛志えんじょういとしである。晴奈も普段あまり話す機会のない教員で、咄嗟に体が強ばった。しかし無視して脇を通り抜けるのもそれはそれで恐ろしい。挨拶がないだけで朝から怒鳴り散らされる想像をして晴奈は恐る恐る声を掛けた。


「え、遠城先生。おはようございます。」

「おはよう。嘉村。早起きなようで何よりだ。」

「ええと、なんか癖で……先生も早起きなんですね。」


 恐らくはジョギングでもしていたのだろう。つまり彼は晴奈よりも更に早起きである。堅物そうではあるものの、愛志いとしは思いの外落ち着いた声音で話す。晴奈はなんだか怒鳴り散らされる想像などしたことが申し訳なくなった。何より、ほとんど関わりのない自分の名前を覚えていたことに驚いた。


「早朝のジョギングが日課でな。ところで嘉村、菓子類の食べ過ぎには気をつけろ。」

「あ、これは家族と食べるので。」

「そうか。そういえば――」


 愛志が何かを話し始めようとしたとき、遠くから彼を呼ぶ声がした。愛志の背後を見ると、元気の良さそうな外ハネのボブヘアーの女性が小走りに駆け寄ってくるのが見える。薄紫色をしたドルマンスリーブのブラウスにタイトなジーンズとサンダルという出で立ちで、晴奈の目には少し大人っぽく映った。彼女が女性にしては長身であることも、そう感じた要因かもしれない。彼女は驚くことに、そのまま愛志の腕に飛びついた。程よくゆったりとしたトップスのおかげで目立たなかった胸が予想以上に大きいことが分かる。

 ――羨ましい、と晴奈は咄嗟に思った。豊かな胸元も、タイトなジーンズに包まれた健康的な脚も、自分には無いものだ。しかしその感想すらも手伝って眼前の衝撃的な光景に目を白黒させた。鬼教師と名高い、凶悪な顔つきの“あの”遠城愛志の腕に、活発そうな、極めてスタイルのいい茶髪の女性がくっついている。


「……ユキ。」

「あ、ごめんなさい。お話中でした?」


 晴奈に気づいたのか、ユキと呼ばれた女性は愛志の腕から離れた。晴奈は更なる衝撃に見舞われる。――怒ったりしないんだ、遠城先生。


「それで、どうした。」

「んっと、探しものは見つからなかったので、出直しますっていう報告です。」

「そうか。」

「あの、何探してたんですか?」


 なんとか我に返った晴奈はお節介かとも思ったが、つい口を挟んだ。落とし物でもしたなら、家の近い晴奈は役に立てるかもしれないと咄嗟に考えたのだ。ユキはきょとん、と目を丸くした。三白眼、とも表現できそうな大きいツリ目だが、キツイ印象が無いのはくるくると変わる表情が子供っぽいからだろうか。


「えっとね……あ!それ!」

「えっ?」

「そのお菓子探してたの!」


 晴奈の持つビニール袋を指さしてユキは目を輝かせた。正確には、期間限定味のポキポキに。


「あっちのコンビニに売ってなくてね?ここ売ってたの?」

「売ってたんですけど、これ、最後の一個でした……。」

「そっかぁ……。」


 目に見えてしょんぼりとするユキに、愛志は呆れたようにため息を吐いた。それにしても一体どういう関係なのか。親子というほど歳が離れているようには見えないし、親戚か何かだろうか。というかそもそも、全く似ていない。とすれば、まさかというよりは、このやりとりから察するにやはり――恋人、だろうか。


「他もまた探せばいいだろう。」

「それはそうなんですけどぉ……。」

「あの、二袋入ってますし、分けましょうか……?」

「えっ、いいの!?」

「ユキ。」


 晴奈の言葉に目を輝かせるも、諫めるような愛志の言葉にユキは口を尖らせた。見た目はスタイルも抜群でセクシーですらあるのに、やはり言動が少々幼い。ある意味でそれがギャップになって愛嬌を感じるのかもしれない。


「嬉しいけど、愛志さんに怒られちゃうから見つけたら買うね。ありがとう。」

「い、いえ……私こそなんだかすみません。」

「んーん。気にしないで?」


 にこっと嫌味無くユキは笑った。外ハネの茶髪が揺れて頬に少しかかるのがかわいい、と晴奈は同性ながらに見惚れる。愛志は改めて晴奈に向き直った。


「嘉村。通り魔のこともある。日中といえどあまり一人で出歩くな。」

「あ、はい。この辺りでもパトロールしてるんですか。」

「ああ。運動も兼ねてな。」

「へぇ……。あの……目撃者がいないって本当なんですか?」


 ちょっと変だと思わない?――昨日の帰り道、意味ありげに言った出雲実範の言葉が晴奈の頭の中でリフレインした。愛志は苦々しげにああ、と頷いた。眉間に深くシワが寄り、近寄りがたい顔つきが更に凶悪になる。夜道で出くわしたら悲鳴を上げる準備くらいしそう、と晴奈はそっとまた失礼なことを思った。


「厄介なことにな。だからこそ、どこに潜んでいるかわからん。なんなら家まで送るが。」

「えっ、あ、大丈夫です。本当にすぐそこですから。」

「そうか。では、気をつけて帰るように。」

「はい。」

「じゃあね!」


 着いては来ないものの見送る姿勢で仁王立ちしている愛志と、手を振るユキに頭を下げてから晴奈は二人に背を向けた。そして、二人の並び立つ姿をもう一度頭に思い浮かべる。強面鬼体育教官と、わりとセクシーな感じなのに意外とかわいい健康的な美人――夏音に聞けば、何か知っているだろうか。




●●●



 晴奈が家を出てからしばらく。丁度晴奈がコンビニを出て愛志と出くわした頃、かしゅみは弁当箱の中で目を覚ました。軽く伸びをしてから、まずはお布団として使っているハンカチを畳む。野良で生活していた頃には無かった新たな習慣である。そして次に、お星様のような金平糖をかじる――否、かじろうとして晴奈が寝ているはずのベッドを見て、彼女がいないことに気づいた。


「はるちゃん……?」


 よじよじと弁当箱から抜け出して、これもまたもたもたと短い足で晴奈のベッドに辿り着く。几帳面に畳まれた毛布の隙間にも、枕の下にも当たり前だが晴奈はいない。ぽてっ、とベッドの上にかしゅみは座り込んだ。リビングで朝ご飯でも食べているのだろうか。それならいつもは起こしてくれる晴奈がかしゅみを置いていったのはなんだか不自然だ。急に寂しくなってかしゅみは目を閉じた。ここのところ晴奈から愛情を注がれ始めたおかげでかしゅみの魔力は少々回復の兆しを見せていた。その魔力を使って、嘉村家の周辺の気配を伺う。

――晴奈の気配は思いの外近くにあった。それに安心したのもつかの間、かしゅみはあることに気づいた。晴奈が、誰かと接触している。晴奈のそばに二つの気配。その気配を察知すると同時にかしゅみはすぐに魔力の使用をやめた。


「……やっぱ、侵略するの急いだ方がよさそうだなぁー。」


 晴奈のベッドから降り、自分の寝床へと歩み寄って先ほどかじろうとして止めた金平糖を改めて手に取る。魔力の補充には甘い物も欠かせない。かしゅみは侵略について考える。侵略を妨害せんとする因子は確実に発生している。それが明らかになったのは果たして収穫だろうか。それらに対抗するためにも、仲間も集めなければいけない。――しかし。


「んん……、なんかつかれた……。」


 やはり魔力が心許ない。少し気配を伺っただけなのにこの消耗。これではお散歩も満足にできない。心細かった。金平糖を抱えたままかしゅみはうとうとし始める。遠くの方で階段を上る音が聞こえた気がする。程なくして、頬を温かい指がつつく。はっと目を開くと、そこには晴奈がいた。かしゅみの体が晴奈の手にすくい上げられる。


「おはよう。まだ眠いかな?」

「だいじょぶー。はるちゃん、どこ行ってたの?かしゅみ、さびしいよぉ。」

「ごめんごめん、かしゅみ君にあげたいお菓子があってね?」


 晴奈はビニール袋から買ってきたお菓子を出して見せた。かしゅみは瞬く間に顔を輝かせて期待の眼差しを晴奈に向ける。


「おかし!チョコかな?」

「うん。棒になってるんだよ。」


 晴奈によって箱から一本取り出されたチョコレート菓子の先端を口元に近づけられて、すぐにかしゅみはポリポリと食べ始めた。晴奈の頬が一層緩む。これこれ、これが見たかった――と言わんばかりの表情である。やがてチョコレートの無い持ち手部分まで食べきって、晴奈の指についたビスケットのカスまでぺろぺろと舐めた。


「美味しかった?」

「おいしい!かしゅみこれすき!」

「よかった。いっぱい食べていいからね。」


 きゃっきゃ、と喜色満面のかしゅみを晴奈は撫でる。そんな晴奈にかしゅみは胸の内で誓った。――必ず侵略を成功させてみせる、と。

 晴奈がかしゅみのそんな決意を知るのは、まだまだ先である。

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