ひとりじめしたい

 遅刻すれすれで教室に滑り込み、肩で息をしながら自分の席に鞄をおろした。隣には大好きなヒロ。学校に来ればいつだってヒロに会えるから、早起きだってがんばれる。


 なのにさっきからヒロが見えない。そこにいることは間違いないのだが、その周りをぐるりと友達が囲んでいた。

 気さくで優しいヒロは男子にも女子にも人気がある。いつだってヒロの周りは笑顔がいっぱいだ。喋り方にコンプレックスを持っているようだが、ヒロが思っているよりもそれはむしろ武器になっているような気がする。あの喋り方のせいで女の子たちはきっと話しやすいのだ。ヒロは女友達みたいなものだと思ってるんだよなんて言うけれど、普通に男として恋愛感情を抱いている女子だってかなりいると思う。

 俺も同じ目でヒロを見ているからわかる。

 だってヒロは言葉遣い以外はちゃんと男の子で、見た目だってかっこいいし、仕草だって性格だって女っぽくなんかない。普通の男よりも少し物腰柔らかで、気配りが出来るその姿勢は、むしろ普通の男よりも女子には好印象なのではないだろうか。


 ヒロが人気者であるのは俺も嬉しい。コンプレックスだという喋り方だって気にしないようになればいいと思う。

 だけど、同時にやきもちも焼く。俺だけを見て欲しいと思うのもまた本当で、困る。

 誰にでも優しいヒロは好きだけど嫌い。


「ヒロ、おはよう」


 俺は大きな声で人垣の向こうに言葉を投げる。誰の話を遮ったかなんて知らない。だけどいいんだ、俺は自分のおバカキャラを利用する。俺が空気を読まなくたって、ああキョウヤか、仕方ないなってみんな思ってくれる。


「あら、キョウちゃん」


 俺とヒロの間に立つ女の子の体をちょこっと手で押しのけ、ヒロは顔を覗かせる。そういうことがさらっと出来てしまうあたり、男として憧れるものがある。だってあんなふうに女子の腰の辺りに触れたら、俺ならきっと変態とぶん殴られることだろう。


「おはよ。今日も滑り込みセーフね」

「おう」


 先に話しているたくさんの人がいようともヒロはいつだってちゃんと俺を見てくれる。話半分に適当に挨拶を返すだけではなく、ちゃんと俺に対峙してくれる。どんな時でも決して俺をないがしろにしない。

 そんなところに少し優越感を感じてしまう。そこにいる誰よりも俺はヒロに好かれている。多分。


 俺が密かににやけたその時に鳴り響いた始業のチャイムに背中を押されるように、ヒロの周りに群がっていた子たちが自分の席へと散っていく。別にヒロの意識が急に俺に向いてしまったからというわけではない。と思う。


「寝癖すごいけどね」

「時間がなかったんだよ」


 遮るものがなくなった俺とヒロの机の間に、長い腕を伸ばしてヒロが俺の髪に触れる。ぴょんぴょんと上を向く俺の寝癖の一束を楽しそうに何度も撫でるヒロに朝から胸がときめいてしまう。


「キョウちゃん身だしなみには気を遣う方でしょ?だからたまにこんななってると可愛いわ」

「そうか?」


 見た目だけはまともに見えるようちゃんとすることを幼い頃から躾けられているから、だらしない格好をすることはほとんどない。こんなふうに寝癖がついたままの頭は自分的にはかなり落ち着かないのだが、ヒロがこんな反応をするのならたまにはいいかなと思ってしまう。


「ヒロの髪はいつもふわふわして気持ち良さそうだよ」


 俺も触りたいと手を伸ばしかけたのだが、俺とは反対側の隣の奴に声をかけられヒロはそっちを向いてしまう。行き場をなくした手をぐっと握り、俺は机の上に放りっぱなしだった鞄から中身を取り出して机の中にしまった。


 ヒロは俺だけのものじゃない、そんなことはわかっている。ヒロにだってクラスメイトとの付き合いがあるし、そんなの俺だって一緒だ。それでも最近、理性ではおさえられない独占欲が俺の胸を焦がす。俺だけを見て、俺以外と仲良くしないでと、そんな女々しい感情が胸の内で渦巻く。


 ヒロが俺と同じようには俺のことを好きではないのだとわかっているからかもしれない。俺ばかりがヒロを好きなのだと、もどかしく焦っているからかもしれない。今のままでいいなんて言いながら、本当の俺は浅ましくヒロを求めているのだ。今が楽しいのも決して嘘ではないけれど、時折こうして叶わぬ願いが胸を焼く。


「キョーウちゃん、なに拗ねてんの?」


 用事は終わったらしいヒロがいつの間にか身を乗り出して俺の顔を覗き込んでいた。


「べつに拗ねてないよ」

「あら、キョウちゃんの分際でアタシに隠し事が出来るとでも思ってんの?」

「思ってないけど、言ったらヒロ絶対引くし」

「今更何言ってんのよ。キョウちゃんなんてたいがいろくなこと考えてないじゃない。それぐらいの覚悟最初っからできてるって」


 ヒロの手がぶにっと俺の両頬を挟み、強引に視線を合わされた。こんなふうにいつもヒロが俺に甘いから、俺はどんどんわがままになってしまう。


「じゃあ、言っちゃうよ?ヒロが、俺以外と仲良くしてんのが嫌なの。ヒロは俺のもんなのに。俺だけを見て欲しいの」


 ヒロは少し驚いたように目を見張り、それからはにかむように微笑んだ。


「キョウちゃんのものになった覚えはないけどね」

「あくまで俺の中での話だよ。だって俺の気持ちを暴露してるんだもん」

「はいはい、そうね」


 現実にそうなればいいと思っているわけではないことは、ヒロにもわかっているだろう。俺以外の誰とも関わらず生きていくなんて出来るわけがないのだ。いくら俺が馬鹿だってそれぐらいはわかる。


「でも、ヒロの周りにたくさん友達がいてみんな楽しそうにしてるのも好きなんだ。俺ヒロのそういうとこも好きなんだよ。どうすればいいのかな」

「それは困ったわね」


 他人事みたいにヒロは言ったけれど、それとは裏腹に耳が随分赤く染まっているのが見えた。そのとき初めて周りの視線が随分自分たちに突き刺さっていることに気付く。そういえば教室の真ん中だった。まだ先生は来ていないけれど、始業チャイムが鳴ったあとの比較的静かな教室内だ。別に声を殺していたわけでもない俺たちの会話はかなりの範囲に丸聞こえだったに違いない。


「あ、ごめん、ヒロ」

「仕方ないわ、キョウちゃんだもの」


 ヒロの言葉は周りの全ての気持ちを代弁していた。だいたいみんなそんな顔をしている。俺が常日頃ヒロを異常な程慕っているのなんて周知の事実だし、(ああ、こいつついにここまできちゃったか。ヒロ、同情するよ)ってなところだろうか。


 それでもこれが俺の本当の思いなのだから仕方がない。自分の中だけで上手に処理するとか、そんな器用なことはできない。


「じゃあ、キョウちゃん、こういうのはどう?これからアタシのお昼休みは全部キョウちゃんにあげるわ。だからそれ以外はいつも通りで我慢して」


 ヒロからの提案に俺は目を輝かせる。時間制限はあるけれど、堂々とヒロを独り占めできるのだ。乗らないわけがない。


「昼休み?じゃあ、どこか二人きりになれる場所で弁当とかもあり?」

「キョウちゃんの好きにしたらいいわ」

「まじで!?やったーっ!」


 両手を高く掲げて椅子から立ち上がる。おい、みんな聞いてたよな?邪魔するなよ?という視線をぐるりと回りに投げかける。返ってくるのはかわいそうなものを見るような目と呆れたため息。だけどみんなの了承を得たようなものだ。よほどの急用でもない限り、昼休みにヒロに話しかける奴はいなくなるだろう。俺だけのヒロだ。


「おい、韮沢、何ひとりで踊ってるんだ。座れ」


 教室にやって来た担任に注意され、おとなしく腰を下ろす。けれど沸き上がる嬉しさに頬が緩みっぱなしだ。担任の話の内容なんて頭に入るわけもない。まあ、頭に入らないのはいつものことなのだが、今日はそれ以上に脳みそつるっつるな感じがする。


 二人きりになれる場所はどこがあるだろうか。中庭か、それとも屋上か、どこかの特別教室なんていうのもいいかもしれない。


 妄想はどこまでも広がる。午前中の授業は全て妄想の中だった。休み時間誰がヒロと話していようと気にもならない。

 こんなことをパッと思いつくヒロは天才なんじゃないだろうか。

 ああ、昼休みが待ち遠しい。



 君を独り占めしたい。

 本当はいつだって。



<終>

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