鳶は鷹を生まない

「なにこれ…」


 多分アタシはみっともなくぽかんと口を開けて見上げていた。


「何って家だけど?」


 アタシの隣で普通にその豪華な装飾の扉を開けようとしていたお坊ちゃんは、むしろそんなアタシの反応に驚く。それは自分の家なのだからいくら豪勢だろうと驚くことなんてないに決まっているけれど、自分との感覚の違いが大きすぎて少し怖くなる。


 学校帰り、キョウヤに誘われてアタシは初めて彼の家を訪れていた。お金持ちなのはわかっていたし、きっと立派な家なのだろうという覚悟は十分にしてきたつもりだった。けれど、なんというか、これはもはや家ではなく城だと思うのだ。想像の遥か上をいっている。ヨーロッパ土産のポストカードか、王子様の出てくる絵本のイラストでしか見たことのないようなそれに友人が住んでいるなんて、現実と夢の境目をぐちゃぐちゃにされたような気分で複雑極まりない。


「シンデレラ城?アトラクション?」

「だから家だって」

「意味が分かんないわ」


 広い庭も丁寧に整えられていて、いつその可愛らしく刈り込まれた木の向こうから人気者の着ぐるみが顔をのぞかせてもおかしくない気がする。


「ほら、ヒロ、早く入って」


 腕を引っ張られながら入った玄関はもう広すぎて、どこで靴を脱いだらいいのかもわからない。何も知らない子供みたいにぎくしゃくと、アタシはキョウヤのやることを見てマネするしかできなかった。


「これは何?シャルウィーダンス?ってやるとこ?」


 必要以上に広い室内の空間に、そんな皮肉っぽい言葉しか出ない。皮肉を言おうと思ったわけではないし、皮肉だったとしても皮肉とは受け止めないキョウヤなので問題ないけれど、自分の想像力のなさとか見識の狭さとかを思い知らされ少し自己嫌悪する。


「やりたいならやってもいいよ?」


 キョウヤは真顔でアタシの手を取り、腰を抱く。


「お、踊れないわよ」


 周りの空間が落ち着かないほど広いせいで、密着感がより際立つ気がして妙に焦る。思わず引ける腰を、キョウヤは放そうとせず、むしろ力を込めて抱き寄せようとする。


「俺踊れるよ。教えようか?」

「なにそんな似合わないスキル持ってんのよ」

「だって俺おんぞーしだもん。一通りいろんなこと教えられてんの」


 いつになく誇らしげな表情をするキョウヤを息がかかるような距離で見せられ、トクンと心臓が跳ねる。いつもへらりと笑っているからあまり気がつかないが、真面目な顔をすれば結構な男前なのだ。頭の中身さえ、一流とは言わずともせめて人並であったなら、きっと誰もが憧れる素敵な男性であったのだろう。どこかのご令嬢と優雅にダンスを踊る、そんな別世界の人間だったのかもしれない。


「キョウちゃんがおバカでよかったわ」

「え?俺今カッコイイとこじゃないの?」


 珍しく格好つけたりなんかするから、おバカっぷりが愛しくなったのだ。なんていうことは口にはしないけれど。


「踊らなくていいからキョウちゃんの部屋に案内してよ」

「そう?」

「だって、家の人とか、ほら、きっとお手伝いさんなんかもいるんでしょ?落ち着かないじゃない」


 ダンスを断られてちょっぴり拗ねた顔をするキョウヤだったが、すぐににっこりすると、おいでとアタシの手を引く。

 螺旋階段をぐるりと上り、ふかふか絨毯の長い廊下を歩き、突き当たりのドアを開けるとそこがキョウヤの部屋だった。玄関からずいぶん遠い一番奥部屋だけれど、ここが一番キョウヤが迷わない場所だったらしい。幼いキョウヤはきっと今よりももっとおバカで可愛かったに違いない。自宅で迷子になるキョウヤの姿を想像するのはあまりに容易でおかしい。


 ここまできたらもう何が出てきても驚かないわよと思いながら入ったキョウヤの部屋は、子供部屋ではなく応接室といった雰囲気だった。ソファーセットに大きなテレビ、高そうな調度品に花まで飾られていて、とても高校生男子の部屋とは思えない。勉強なんてしないだろうに、社長さんみたいに大きな机も置かれていて、キョウヤ自身とのギャップに笑うしかない。


「あれ?ベッドとかないの?」

「やだ、ヒロくんてば積極的~。俺は別にそういうつもりでヒロを連れてきたわけじゃないんだけど、ヒロくんがその気なら…」

「違うわよ、バカ」


 頬を赤らめて近づいてくるキョウヤの手を力一杯払いのける。その気なんてあるわけがない。キョウヤはアタシを恋人にしたいと言うけれど、アタシは友人だとしか思っていない。男の子同士なのだからベッドですることなんてプロレスごっこ以外にはありえないと思っている。キョウヤは残念そうにため息をついたけれど、そこはどうしたって譲れない。


「純粋な疑問じゃない。まさかこんな洋風の家で和式布団を敷くわけでもないんでしょ?」

「寝室は隣」


 キョウヤは今入ってきたドアとは別のドアを開けてみせた。その向こうにはお姫様みたいな天涯付きのベッドが置かれていた。そうだ、これは応接室ではなく、テレビでしか見たことがないホテルのスイートルーム。自分の部屋がこんなふうだったらよかったとかそんな理想像を膨らませたことはあるけれど、二間続きの子供部屋なんて夢に描いたこともない。もしかしたら二間どころではなくあの奥に風呂もトイレも専用のものがあるのかもしれない。


「ますますもったいないわ、キョウちゃんのおバカっぷりが」


 大げさに首を振り、がっかり感を表現してみせたけれど、本当はますます愛おしいと言うべきところだ。きっとあの桁外れのおバカさんがキョウヤをアタシのような庶民と近づけているのだ。これで賢かったら完全に雲の上の人だし、仲良くなろうという気も起こらないに違いない。だいたいイメージの中のお金持ちというのは鼻持ちならないやつなのだ。キョウヤはそこのところぐっと距離を縮めてくれる。頂点と底辺を併せ持つからそれらが相殺されているに違いない。


「まあ、座ってよ。何する?ゲーム?マンガ?それとも俺の秘蔵のエロ本でも見る?」

「なんでアンタのエロ本見なきゃいけないのよ」


 高級そうなどっしりした本棚の中身が見事に全部マンガだったり、外側の豪華さに驚いてばかりいたけれど、中はやっぱりキョウヤらしくて少し落ち着いた。どこにいてもキョウヤはやっぱりキョウヤでしかない。いつでもびっくり箱みたいに驚きと阿呆らしさの連続で、それに振り回されるのがアタシは楽しくて仕方がないのだ。


 何しようかなあとあちこちの棚を開けて考えているキョウヤの後ろ姿を見ながらふかふかのソファーで子供みたいに尻を弾ませていると、控えめな音で部屋のドアがノックされた。振り向くとドアが開いてメイドさんがティーセットを手に入ってくる。最近テレビ出よく目にするメイド喫茶のコスチュームまんまの黒地に白いエプロンをつけたひらひらのアレで、本当にメイドさんってあの格好なのねと妙な関心をしながら、自分の目の前にティーカップとケーキが並べられるのをおとなしく見守る。庶民のアタシは当然本物のメイドさんを見るのは初めてで、どう接したらいいものなのか戸惑ってしまう。


「ありがとうございます。おかまいなく」


 お礼を述べるとメイドさんはにっこりと微笑んだ。と思うと、なぜかふわりとアタシの隣に座る。


「ねえ、あなたヒロくんでしょ?」


 メイドというのは控えている感じだと思っていたのにずいぶんフレンドリーに話しかけてくるものだ。困惑してキョウヤを見ると苦笑いを浮かべて、ごめんねと謝られた。


「それ、俺のお母さん」

「…え…?」

「初めまして、キョウヤのママでーす」


 メイド服姿できゃーと両手を胸の前で小さく振るこの人がキョウヤのお母さん。その常識はずれっぷりに頭の中が盛大に混乱するけれど、ものすごく腑に落ちる部分もあるから怖い。これはたぶん、キョウヤの女性バージョンだ。


「そのメイド服、この人の私服だから」


 さすがのキョウヤも恥ずかしそうに顔を手で覆った。


「もう、何しに来てんの、お母さん」

「何って、ヒロくんを見に来たんじゃない。想像以上にイケメンで、ママドキドキしちゃうわ」

「ドキドキしないでくれる?」

「だってぇ、キョウちゃんがいつも『俺の嫁!』って言ってるから。そしたらママのお嫁さんでもあるのよ?」


 そんな母子の会話にアタシは目を白黒させるしかない。キョウヤの冗談かと思っていたら、親まで本気にしているだなんてありえない。でも、キョウヤと同じ思考回路なのだとしたらありえない話ではない。


「嫁にはならないわよ」


 ついいつもの調子で口を挟んでしまった。放っておいたらどんどん話が発展してしまいそうで怖かったのだ。


「あら、ほんとに女性言葉なのね。いつもキョウちゃんからヒロくんの話聞いてるのよ?言葉だけじゃなくて物腰もとっても柔らかだし素敵だわ。もうキョウちゃんったらどんどん可愛くなくなっちゃうじゃない?どれだけお願いしてもママって呼んでくれないし」


 この親にしてこの子あり、というのはまさにこういうことなのだろう。キョウヤと同じテンションでアタシをかき回す。キョウヤが女性だったらきっとこんなふうだったに違いない。女の子だったなら、抵抗なく恋人にもなれていただろうか、なんてことをちらりと考えたけれど、目の前の現物に年の差がずいぶんあるため想像することは出来なかった。


「高校生男子がママとか呼んでたら怖いだろ?」

「あら、そう?ヒロくんもそう?」

「…いえ、あの、うちはなんていうか…そういう家なので…あんまり参考にはならないかと…」


 モゴモゴと口ごもるのは高校生男子なのにママと呼んでいるからだ。母親はママだし、姉たちはちゃん付けだし、家での姿はとても見せられたものではない。かつてうっかり思春期の勢いに任せておかんと呼んだら3日間ごはんをもらえなかった苦い記憶があったり、喧嘩の勢いでつい姉におまえなんて言った日にはもう当事者以外も絡んで全員にフルボッコだ。そういう特殊な家庭に育ってしまった結果がこのオネエ言葉だったりするわけで、とても一般論は語れない。


「そしたらヒロくん、キョウちゃんのかわりに私のことママって呼んで。何でも甘えていいのよ?」

「いえ、それは、ちょっと…」


 女性版キョウヤは男性版キョウヤよりもちょっとたちが悪い気がする。彼女が大人であり母であるという立場のせいもあるのだろうが、可愛らしいとは思うけれど少々引いてしまう自分もいる。キョウヤはやっぱり男でよかったという結論でいいのかもしれない。


「遠慮しないで。ほら、ケーキも食べて。ここのケーキおいしいのよ?キョウちゃんはこういうのもあんまり喜んで食べてくれなくなっちゃったのよ。ヒロくんは甘いもの好き?」

「はい、好きですよ」


 先程と同様、こういうものが好きでないと我が家では生きていけない。むしろこの味覚になるよう意図的に育てられてきている。

 キョウヤママの期待に満ちた視線の中、真っ白なクリームとやわらかいスポンジをフォークに取り、口に運ぶ。おそらくこの家にあるものだからこれまでアタシが口にしたこともないような高級品に違いない。それはもう驚くほどに美味しかった。しつこくなく程よい甘さとふんわりした食感に、ほわんと幸せな気持ちになる。


「これ美味しい」


 思わずこぼれ落ちたアタシの言葉にキョウヤママは子供みたいに嬉しそうな顔をした。キョウヤと同じくとても純粋なのだと感じる。きっとキョウヤがおじさんになってもこんなふうに変わらず純粋でいるのだろう。そう思うととても嬉しかった。お父さんの後を継いで社長になって社会の荒波に揉まれることになっても、変わらないでいて欲しいと願う。キョウヤはいつでもいつまでもキョウヤのままでいて欲しい。


「でしょ?すっごくおいしいわよね。ほら、キョウちゃん、ごらんなさい、毎日でも買ってきちゃうママの気持ち、ヒロくんは分かってくれるわよ?あのね、これは一番スタンダードなものだけど、いちごがいっぱい乗ってるのもおいしいし、チーズのもおいしいのよ。今度違うのを買っておくからまたきてね、ヒロくん」

「ありがとうございます」


 説明の仕方の単純さにやはりキョウヤと同じ匂いを感じて可笑しくて仕方がない。人の母親に対して言う言葉ではないけれど、きっとこの人も相当なおバカさんだ。


「もう、わかったから、お母さん、そろそろ出て行ってくれる?俺はヒロと二人っきりでいちゃいちゃしたいの!」

「あら、ごめんね。だってママもヒロくんとお話ししたかったんだもの」


 キョウヤに背中を押され、キョウヤママは廊下に放り出されていく。パタンと扉が閉まると、アタシとキョウヤは同時に大きく息を吐いた。


「…嵐が去ったわね」

「ごめんね、あんなお母さんで」


 母親を追い出したキョウヤは先程までキョウヤママが座っていたアタシの隣に腰を下ろすとぐったりとうなだれる。


「なんかいろいろ納得がいったわ。キョウちゃんのお父さん気の毒って思ってたけど、あの人に惚れちゃった時点で自業自得ね」

「あー、もう、恥ずかしい」

「キョウちゃんでも恥ずかしいと思うことがあるのね」


 あんなにそっくりなのに、という言葉は伏せておこう。キョウヤが落ち込んでしまうから。

 アタシはいつでもノーテンキに明るいキョウヤが好きなのだ。


「平気よ、うちの家族も相当だから」


 きっとキョウヤママとは違う意味でアタシの家族も強烈なインパクトをキョウヤに与えるに違いない。


「今度俺もヒロの家に挨拶しに行っていい?」

「やだ。キョウちゃん変な挨拶しそうだもの」

「しないよ」

「ヒロくんをぼくにください、とかそういうの、絶対やるでしょ?」

「え、なんでわかったの?」

「アタシ、実は結構キョウちゃんのこと詳しいのよ?」

「やった、俺、愛されてる」

「嫁にも恋人にもならないけどね」


 ぷいっとわざとらしくそっぽを向くと、食べかけの高級絶品ケーキを頬張る。


「ヒロいじわる」


 くすんと泣きまねをするキョウヤを横目でちらりと見やり、たまらなく愛しくなったので残りのケーキをキョウヤの口に強引に突っ込んだ。


「半分キョウちゃんに食べられちゃったし、また食べに来てもいい?」


 口の周りクリームだらけの間抜けな顔でもごもご言ったキョウヤは、言葉が伝わらないと悟ると何度も大きく首を縦に振る。


「キョウちゃんママにいちごのやつリクエストしておいてね」


 グッと親指を立ててみせたキョウヤの汚い口に、アタシはテーブルに置いてあったティッシュを押し付けた。



<終>

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