ヒロと彼女

「ぴろりん、ぴろりん」


 担任が部屋を出て行くと同時に鞄を持って立ち上がり、隣の席のヒロに甘えるようにすり寄った。


「人を菌みたいに呼ばないでくれる?」

「?」


 ふざけた呼び方が気に入らなかったのかヒロはキッとこちらを睨んで怒った。勢いに任せたようなちょっときつい言い方をされるとキュンとする。俺は馬鹿だから小さい頃からいろんな人に叱られてきたが、ヒロの叱り方は誰よりも好きだ。そのイケメンボイスでの女言葉も今ではすっかり癖になってしまっている。


「あ、わかんないならいいわ。何?」


 といっても、もちろん本気で怒ったわけではなく、ヒロはすぐに表情を和らげる。俺をバカにするのではなく、ただ楽しそうに笑ってくれるヒロが本当に好きだ。今すぐ抱きしめて押し倒したいぐらいだ。


「どっか寄り道して帰らない?」


 最近ではずっと一緒につるんでいて、学校からの帰り道も特に約束しているわけではないけれど毎日一緒に駅まで歩いた。恋人同士みたいだと俺は勝手に舞い上がっているけれど、ヒロの見解も周囲の見解も、まあ普通に仲のいい親友同士といったところだろう。


「あ、ごめん、今日は一緒に帰れないの。他に約束があるのよ」

「ええっ!なんで?誰と?」


 俺のものになったわけではないヒロに問いつめる権利も非難する理由もないのだけれど、俺の勝手な独占欲が胸の奥をじりじりと焦がす。


「大前美園と。前々から約束してたのよ」

「男前さんと?」

「名前、間違ってるわよ」


 何をする約束なのかは教えてくれなかった。そういえば最近、あの男前な女とずいぶん仲良くやっているみたいだ。中身はクラスのどの男子よりも男前だが、見た目はかなりの美人だ。他の女子のように飾ることがないので派手さはないが、顔立ちは非常に整っていると思う。故に宝塚的に女子にとてもモテている。男子的には、その男よりも男前な中身のせいで少し近寄りがたい雰囲気もあるが、ヒロにはあまり関係ないみたいだ。むしろ性別の不一致的な部分で気が合っているのかもしれない。


「あんた一人でもちゃんと家に帰れるでしょう?」

「そりゃ家にぐらい帰れるさ。バカにすんな」

「だったら別にいいじゃない」

「いいけどさ」


 俺が感じているのは嫉妬だ。ヒロが俺だけのものではない現実を突きつけられた。

 交友関係がとても広いヒロは最初から誰のものでもないけれど、どうやら広く浅くという関係が多いのだということに最近気がついた。俺に対してはその他大勢よりも深い関係を築いてくれていると、そう実感することが多々あるのだ。

 しかしそれも俺だけではない。ミソノに対する思いにも俺と同様な深さを感じる。それがチクチクと俺の心を刺すのだ。


「そんな切ない顔しないでくれる?なんかアタシあんたを捨てるみたいじゃない」


 立ち上がったヒロは暖かい左手で俺の頬を撫で、そして犬っころにするみたいに顎の下の部分をわさわさとくすぐった。


「じゃあね、また明日」


 不覚にもちょっと気分良くなっている間にヒロはミソノに声をかけて教室を出て行く。


「ちぇっ」


 自分の扱いの低さに拗ねてしまう。


(ヒロはああいうのが好みなのかな)


 少なくとも男の俺よりも恋愛対象になるのだろうなとそんなことを思って更に落ち込んだ。


(なんていうか、全ての面において勝てる気が全くしないんだけど)


 俺よりも賢くて、俺よりも美人で、俺よりも男前で。


(つか、正直男として惚れるよな、男前さんは。女としての魅力には欠けるけど、それは俺も持ってねえし)


 とぼとぼと一人寂しく歩く帰り道。

 下駄箱で、談笑しながら出て行く二人に追いついてしまった。

 こうやって少し離れたところから見ていると二人は美男美女でとても絵になる。


(俺とヒロとじゃあんないい雰囲気にはならないな)


 その距離を保ったまま、俺は暗い空気をまとって二人の後ろを歩いた。

 何を話しているんだろうかとあれこれ想像しながら二人の後ろ姿をじっとりと見つめる。

 別にそんなつもりはなかったんだけど、いつの間にか二人の後をつけているみたいな状況になっていた。


「さっきから何してんのよ、キョウちゃん」


 がばっと振り向いたヒロは呆れたようにため息をついた。


「なにって、べつに…」


 俺はふいと目を逸らす。

 ヒロは3メートルほどの俺との距離を戻ってきて、俺の胸を人差し指で軽くつつく。


「あのね、駅あっちだってわかってる?」


 俺たちが進んできた方とは違う方向を指差されて初めて俺は自分が曲がるべき道を通り過ぎてもヒロたちの後を追っていたことに気がつく。


「あれ?」

「もう、一人でも帰れるって言ってたくせに」

「だって…ヒロが男前さんと何するのか気になったんだもん…」


 声になるかならないかぐらいの小声で言い訳をしたけれど、呆れられるばかりだ。


「まあいいじゃないか、ヒロ」


 俺らの様子を一歩下がった位置から眺めていたミソノは、その一歩を詰めて長い腕で俺の首を巻き取ってぐいと引き寄せる。


「ヒロにおいていかれて寂しかったんだよ。キョウヤも連れて行ってやればいいじゃない」


 もう一方の手で同じようにヒロも引き寄せ、あははと男前に笑う。


「別にデートとかじゃないから心配すんな。ちょっと気になる店があったから行ってみたかっただけだよ」

「俺も行っていいの?」

「かまわないよ」


 ミソノはさっぱりとそう言ったけれど、ヒロはどうだろうかと目でお伺いを立てる。ミソノにはその気がないのかもしれないが、あえて俺を誘わなかったヒロにはひょっとしたら下心があったのかもしれないと思ったからだ。

 けれど、ヒロは小さく肩をすくめただけでいつもの優しい目で俺を見た。


「いいに決まってるでしょ。だけど庶民の味に文句は言わないでね、お坊ちゃん」

「うんっ」

「よし、行くか」


 俺たちの体を解放したミソノは両方の手で俺たち二人の背中を叩く。


「つか、男前さん、タッパあんね。こんなに近くに並んだの初めてだけど、俺と変わんなくね?」

「キョウヤ、あたしは男前かもしれないが大前さんだ。間違ってる。覚えられないならミソノでいい」

「わかった。ミソノ、おまえいいやつだな」


 この人も俺をバカにする人ではないのだとわかった。ストレートなだけにひどい言われようだが、そこにあるのは純粋な思いだけで俺という人間を軽んじる色は一切含まれていなかった。

 きっと、ヒロの言葉遣いに関する部分に対しても同じなのだろう。ヒロが彼女を気に入るわけがわかった気がする。


「だけど女としては一切ムラッとしねえな」


 俺の呟きに、聡明なヒロはきっと俺が何を思って二人の後を追っていたのか気がついたのだろう。


「あたしだってしてないわよ」


 全力でそれを否定した。


「こら、本人目の前にして何言ってんだ、おまえらは」


 けれどミソノは豪快に笑い飛ばす。

 男前な女友達が出来た。

 ヒロとミソノの間に俺が不安に思うような感情がないこともわかった。


「今日はいい日だな~」


 両手を大きく空に伸ばす。


「で、何食いにいくの?」

「ほんと、お気楽でいいわよね、キョウちゃんは」

「ん?」

「そういうとこ、嫌いじゃないわ」


 さらっと呟いたヒロの言葉が嬉しくて、二ヒヒと笑った。



<終>

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