硝子の砂糖漬け

ささゆり

第1話 小瓶とのはじまり

 小瓶に入らなくてはいけない、と思った。


 それは突然に、そしてあたかも自然な衝動であるように、わたしの内に現れた。強い空腹を感じたときに、なにかを食べなければならないと思ったり、睡魔に襲われたときに、いますぐ眠らなければと身体が勝手に判断したりするような、そういうものととてもよく似ていた。


 わたしは押入れを開けると、奥の方に押しやられていた化粧箱を引っ張り出してきて、そっと蓋を取った。

 この箱を開けるのはずいぶんと久しぶりで、中になにを入れていたのかほとんど覚えていなかったのに、その中にわたしの求めるものが入っているのだということを、なぜか確信していた。

 小花柄の化粧箱の中には、いまよりもずっと幼かった頃に大切にしていたものたちがしまわれていた。姉さん人形、おもちゃの指輪、千代紙、紙石鹸、桜色の貝殻。そういう細々したものと一緒に、小瓶もきちんと、わたしの確信通りにおさめられていた。


 その小瓶はわたしのちいさな手のひらにすっぽりとおさまってしまう程度の大きさで、入れ口のすぐ下はしなやかな曲線を描くようにくびれていた。そこに結ばれていた桃色のリボンは、記憶の中のものよりも薄く色あせていた。中身は空っぽで、栓や蓋の類もどこかにやってしまったのか、はめられてはいなかった。薄くかぶっていた埃を払い、ハンカチーフで丁寧に磨くと、ぽっかりと口を開けた硝子の小瓶は、わたしの手の中でぼんやりと光っていた。


 部屋の戸が隙間なく閉まっていることと、廊下にひとの気配がしないことをじゅうぶんに確かめてから、小瓶をそっと頭に乗せた。

 ほんのすこしだけ頭のてっぺんに力を入れて瓶の底に押しつけてみると、底の部分の硝子は強情さを微塵も感じさせることなくすんなりとわたしを受け入れ、難なく顎の下までが小瓶の中におさまった。続いて喉のあたりに、苦い薬を無理やり飲み込むときのような力を加えてみると、ゼリーの中に身を沈めてゆくような感覚を引き連れて、鎖骨のあたりまで小瓶の中に吸い込まれた。同じことを何度か繰り返し、骨盤の下までが小瓶に入ったところで、硝子は再び元の硬さを取り戻し、それ以上はいくら力をかけても入らなくなった。小瓶の中に招かれそびれた肩から先の両腕と腰より下の半身が、寂しげに外に取り残された。


 わたしは大仕事をやり遂げた気分になって、ふう、と溜息をついた。

 世界とわたしを隔てている透明な壁には、わたしの呼吸に合わせて白いくもりが生まれたり消えたりした。見上げると、ぽっかりと開けている瓶の口がすぐ目の前にあり、その先には外があった。ついさっきまでその空気に全身が晒されていたはずの外の世界は、小瓶の中から眺めると、ひどくよそよそしく感じられた。


 特別に仕立ててもらった洋服のように、あるいは、あるべきところにあるべきものがおさまったかのように、小瓶はわたしの身体にしっくりと馴染んだ。

 うずっと前から、こんなふうにして生きてきたのではなかったかと錯覚しそうになるほど、小瓶とわたしは一体化していた。つるりと冷たく美しい壁は、あらゆるものからわたしを守ってくれる装甲のようにも感じられた。

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