ふたり

 夫の浮気相手らしき子を見つけ、ああ若いなあ、何となく修平がそちらを向いてしまうのもわかる気がしながらも、視線は下を向いていた。誰と話しているかさえ分からない。目頭を押さえるフリをして参列者の靴ばかり見ている。耳を塞ぎたくなるほど、周りの音がうるさい。

「まだお孫さんも小さいのに」

「お嫁さん頑張ってたのに」

「闘病が長かったから本人も遺族も大変だったろうに」

 今はそんな言葉が聞きたいわけじゃない。いっそ、音が無くなればいいのに。コツン、コツン、と慣れた靴音が聞こえる。なんだか優しい気持ちになれる、懐かしい気持ちがする、誰だったかな。柔らかくて優しくて甘いのに苦い香りがする。きっと独身だったら。彼氏が浮気してて、こんな優しい香りがする人が近くに来たらカッコいいかも、なんて思っちゃうんだろうな。


「歩美さん。」

「マスター?どうして?」

 峯田の訪問は歩美を驚かせた。けれどさっきまでうるさいと思っていた周りの音が少しずつ小さくなる。峯田が来たことに戸惑いつつも、安堵した歩美。けれど顔を上げれず、涙を拭くフリを続ける。

「うわ、ご主人センスないね。」

「こんな時に茶化さないでよ、」

「茶化してなんかない。俺はいつでも歩美さんには本音しか言ってない。」

 思わず顔を上げた歩美の視線と峯田の瞳がぶつかる。


「マスター、今は、」

「今はマスターじゃないよ。」

「だけど、」

「怜央。たまにはそう呼んでくれたっていいじゃん。」

「うん、」

 自分が何を言ってるのか分からず、峯田は狼狽えた。義理とはいえ、父が亡くなり傷ついた彼女に付け入るような自分の行動が情けなくなる。もう離れろと警笛がなる一方で、このまま押せと急き立てる。傷ついた彼女に付け入るのなんか今回だけじゃないだろう。旦那が浮気してるって相談された時だってしたんだ、今回もいいじゃないか。どうせ旦那だって浮気してるんだ、このまま連れ出してしまえと悪魔が囁く。そんな事したら彼女が周りから何と呼ばれるか考えてるのかと天使が叱責する。頭の中で二人の自分が言い争うようだった。

「落ち着いたら、また店来てよ。」

 峯田が口に出来たのは、その言葉までだった。

 

 そんな二人の危ないやり取りさえも、修平の目には映らなかった。背中はだらだらと汗が流れ、歩美の視線が気になって仕方ないのに振り向けない。黒河と早く“終わり”を迎えなければ。なんで自分より十も年下に手をつけてしまったのか。さして覚悟も何も持ち合わせて居ないのに。


 一方で黒河は修平に呆れていた。社内でも有名な愛妻家。奥さんは美人で、親との同居も受け入れてくれるような寛大で、介護と育児を殆んど一人で担うくらい出来た人だと評判だったのに。色気があるわけでも、可愛いわけでもない、生活に擦れた女が修平の嫁だった。白髪もちらほらと目立つ。こんな女に気を使って私に手を出さずにいたのかと腹が立っていた。嫁と子供が壁なら、とっとと離婚してくれたらいいのに。仮に、修平と一度でも行為をしていたら子供ができたと言えば別れてくれたんだろうか。あんな嫁に負けたままで終わりたくない。愛情がなんたるかなんて忘れて、修平を自分のものにすることにしか頭が働かない黒河だった。

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