第十八章  ハッピーバースデー、わたし

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 年が明け、二〇〇八年。


 八神邸には大勢の使用人たちが住み込みで働いているが、年末年始はその半数以上が帰省する。そのため、邸内は廃園した遊園地のようにがらんとしていた。

 八神の親族たちが八神邸に帰省してくるということもなく、非常に静かな年末年始を過ごした。


 勇心は一月の中旬から二月の頭まで海外の支社への出張があり、三週間近く家を空けていた。またこの間、夏江もたびたび一人で外出をした。どこへ向かい、何をしていたのかは判らない。朝帰りとなることも多かったので、林檎もわたしも心配だった。

 特に林檎は母親の不在が精神的な負担となるようで、夜になると、たまにわたしのベッドに潜り込んで心細さをごまかしていた。


 二月上旬に勇心が帰ると、夏江の外出も示し合わせたかのようにぴたりと止まった。そこに不穏な気配を感じたが、それ何を意味するのかは判らなかった。



 そして二月九日が訪れた。


 すなわち、わたしの誕生日である。

 正直、わたしはこの日が来るのを恐れていた。灰谷家に引き取られてからは、誕生日を祝ってもらったことなど

 毎年毎年、もしかしたらという淡い期待を胸にこの日を迎えていた。そして何事もなく終わる一日の最後に、ちくちくと針を刺されるような切ない痛みに襲われたのである。

 灰谷家の人間にとって、使用人の誕生日など祝うに値しないのだ。


 わたしにとって、誕生日とはこの世に生まれたことを後悔する日だった。そして、いつの間にかそれがわたしの中の固定観念となってしまっていた。それは八神家に引き取られてからも変わることはなく、祝ってもらえるという発想には全く至らなかった。

 だから、家族四人で市内の高級レストランに行く、と勇心が言い出した時は、いったい何事かと混乱してしまった。着慣れないドレスに身を包み、夜景の見える席で食べたフレンチはほっぺたがこぼれ落ちるほど美味しかった。


「ハッピーバースデイ、百合」


 食事の後、勇心がそう言って指を鳴らした。その瞬間、店の全ての照明が落ち、奥からぼんやりとした光の集合体が近づいてきた。だんだん目が慣れてくると、その光の正体が判明した。バースデイケーキだった。


 照明が元に戻ると、周囲の席から拍手が沸き上がった。


「お誕生日おめでとー、百合お姉ちゃん」


 隣に座った林檎が照れ臭そうに言う。


「あ、ありがと」


 十四本のろうそくに灯った十四の炎のゆらめきが、わたしの心に残された最後の呪縛を溶かした。


 ああ、生まれてきてよかった。


 ようやく、心からそう思える誕生日を迎えることができた。


「あっ、林檎が、林檎がふーってしたい」


 ろうそくに灯った火を林檎が吹き消したがった。夏江が横から諭すように言う。


「ダメよ、林檎。今日は百合さんのお誕生日なんだから」


「じゃあ、一緒に消す?」


 わたしがそう提案すると、林檎は大げさに頷いた。林檎と肩を並べてろうそくの火を吹き消す。今までの人生の中で、一番幸せな瞬間だった。帰り際、勇心から細長い包みを貰った。


「これは?」


 赤と青のリボンで丁寧にラッピングされたそれは、紛れなくわたしへの誕生日プレゼントだった。


「あとで開けなさい。私からのプレゼントだよ」


「あ、ありがとう……お父さん」


「百合が生まれてきてくれたことへの感謝の気持ちさ」


 車の中で開けてみると、中には百合の花をモチーフにした純金のネックレスが納まっていた。




 家に帰ると、林檎に手を引っ張られて彼女の部屋へ連れていかれた。


「林檎もね、お姉ちゃんにプレゼントがあるの」


 そう言って林檎が差しだしたものは、折り紙で作った百合の花だった。


 あまりいいできばえとはいえず、よれよれの部分が目立つ。何度も失敗したのだろうな、と推測できる。


 しかし、わたしの胸はこれ以上ないほどの想いで満たされていた。


「ありがとう、林檎。とっても嬉しい」


「百合お姉ちゃん、生まれてきてくれてありがとう!」


 しゃがみ込んで、林檎を抱き寄せる。


 お母さん、わたしをこの世に産んでくれてありがとう。

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