7・不可解な波動

 朽ちた庭園の門扉が開いた。

 そこから異形の者が現れる。

 上半身は人の姿をしていた。

 少年にも少女のようにも見える中性的で端整な顔立ちをしている。

 華奢な体になにも着ておらず、色白で肌理細かい美肌を惜しみなく曝け出し、妖艶な雰囲気を漂わせている。

 だがそれに欲情を感じる者はいないだろう。

 それの腰より下は、芋虫の胴体に酷似していた。

 細長い肉の塊は、原色に近い緑色に黄色い斑紋が規則的に並び、両脇から生えている無数の足は、人間の手だった。

 針金のように絡み合う枯木の上を、無数の足である手を器用に操り、傷を負うことなく直線的に進んで行く。

 足である手の動きに合わせて腹部が蠕動し、黄色の斑紋が揺れ動く様は、無数の目玉が一列に移動しているようにも見えた。

 やがて幽閉の塔の前に辿り着き、正面扉を開け中へと入る。

 正面の階段を上がり、二階渡り廊下へ移動。

 螺旋階段へ上がろうとして、その動きを止めた。

 手摺にかけられた黒い法衣を、表情のない無機質的な眼が捉えた。

 それは法衣を手にすると、臭いを嗅ぎ始めた。裾の端から、襟元まで丹念に一通り嗅ぎ終ると、それを手にしたまま再び螺旋階段を上がり始めた。



 魔王殿城門に三人の勇者が到着した。

 しかし予想された熱烈歓迎はない。

 魔物の透徹した視力を持ってすればここに自分たちがいることは見えている筈だ。

 それに世界各地で猛威を振るう魔物を数百と浄化して来たのだ、遠からずここにやって来ることも予想できる。

 それにもかかわらず、いざ魔王殿を前に登場してやったというのに、なんの反応もなく閑寂としている。

 ここにいる三人が娯楽芸人なら、転職を考える必要性があっただろう。

「これは、どういうことだ?」

 アルディアスは疑問符の付いた声を出し、周囲を見渡す。

 城下町を囲った城壁は、その機能を半ば放棄したように半分近く崩壊し、どこからでも進入することが可能だ。

 巨大な鉄製の門扉も開け放たれ、右片方などは外れて地面に倒れている。

 城壁に設置されている、まだ使用可能だと思われる大砲などの兵器も放置されたままだ。

 いつこんな状態に破壊されたのか知りたいが、乾燥したこの地域では、錆の侵食度によって年月を推量するのは難しい。

 風雨に晒されない為、城壁の石材も同じだ。

 しかしこの状態に陥ったのが、近い時間ではない、遠い時間だというのは判断できる。

 魔王殿とは、難攻不落の城塞都市。

 伝承ではそう説明されているし、世界中の誰もがそれを信じていた。

 三人もその類から逸脱しない。

 だがこの有様はまるで本当に古の廃墟のようだ。

 城塞には程遠い。

 ゴードが猫科の肉食獣のような動きで、瓦礫を軽やかに上り、まだ原型を保っている城壁の展望台へ移動する。

 偵察するつもりなのだろうが、その動作に周囲への警戒を持つ様子はなく、見る者を慄然とさせたかもしれない。

 だが注意を促すことを、下で待つ二人はしなかった。

 そんな忠告など彼には必要ないことをよく知っている。

 それだけ信頼しているのかと問われれば、二人は返答に困窮しただろうが。

 ゴードは魔王殿を一望する。

 現在も古都に見られる建築様式の住居が立ち並び、かつて人間たちが生活していた証を残している。

 そして街の中央の丘の上に古城が建っている。

 魔物はこの都を滅亡させ、魔物の総本山とした。

 だがその魔物の姿は全く確認できない。

 念入りに注視したが、動くもの一つ、不審な影一つ見当たらない。

 それに街の中も城壁とさしたる違いはなく、なんらかの破壊活動の痕跡がそのまま残っている。

 見切りをつけて降りると、二人に報告する。

「妙だ。本当になにもない。それに街の中もここと似たような状態だ。大規模な戦闘の跡をそのまま百年以上放置されているような感じだ」

 戦闘と思しき痕跡は、三百年前の最初の勇者たちの戦いのものだろうが、なんの修繕もされていないのが気になる。

 魔物ども、そして魔王は復活を果たしてからずっと自分たちの城塞を放置していたというのだろうか。

 それは魔物の姿がないことと関係あるのだろうか。

「罠か? 我々が無警戒に侵入したところを、奇襲攻撃を仕掛ける。もしくは機械的、魔術的なものかもしれんな」

 アルディアスの推測を、サリシュタールが首を振って否定する。

「周囲に奴らの力の残留物はないわ。機械的ななにか、火薬とか落とし穴とか、そういうのも見つからなかった」

 サリシュタールはゴードだけに任せていたわけではなく、自分の魔術による超感覚にて、半径数百メートルを探索していた。

 だがその結果は彼の報告を裏付けるだけだった。

「本当に、どういうことなのかしら?」

 ゴードが不意になにか思い当たることがあったのか目を輝かせ、拳を眼前で握る。

「これはもしかすると、俺たちに恐れをなして逃げたのか」

「そんなわけないだろう」

 アルディアスが冷淡に否定する。

 ゴードは続けて酷く陳腐で、だからこそ恐ろしい想像を口にする。

「じゃあ、まさか、王女は別の場所にいるとか、じつは本拠地を別の場所に移したとか、最悪、俺たち道を間違えたとか」

「ないわよ」

 サリシュタールが端的に一蹴する。

 魔王殿の場所、そして王女の居場所を突き止めたのは、サリシュタールの魔術で倒した魔物の記憶を検索した結果だった。

 もっとも個々の魔物は断片的な情報しか持っておらず、また深く精神に侵入すると自我に影響が及ぼす為、表層部分しか探ることができなかったが。

 十数体の魔物の頭の中を調べて、少なくともこの場所が三百年前と代わらず魔物の本拠地であり、魔王がここに存在するのは確かだ。

 そして王女もここに連行され、異界通路を開くための生贄に使用されるらしいのも判明している。

 三百年前に地獄とこの世を繋げた魔王は、再び地獄の通路を開こうとしているようだ。

 王女を拉致して即座に行わなかったのは、星の配置や時空の変動など、多くの厳然とした条件を満たしていなければならず、揃う時を待たなければならなかったからだ。

 そして、その儀式は今日から明日にかけて行われる。

 今まで調べた全ての魔物たちの記憶ではそうなっていた。

「ここで議論しても始まらん。とにかく、中へ入ろう」

 くだらない冗談を切り上げて、アルディアスが前向きな意見を述べる。



「「「!!!」」」

 サリシュタールとゴードが首肯を示したと同時に、空間を強烈な波動が一瞬で通過し、感知した三人は驚愕した。

「なんだ?! 今のは!」

 ゴードが思わず叫ぶ。遠距離からだったが、強烈な力が引き起こした波動を確かに感じた。

「私の勘違い……ではないな」

 ゴードの様子にアルディアスは自分の感覚を信じる。

 そしてサリシュタールが保証した。

「ええ、私も感じた」

 波動が発生したのは魔王殿の中。

 位置はここから反対側にある門扉か、その付近。

 この波動が魔物の力によるものであれば、彼らはここまで動揺しなかっただろう。

 しかしそれは三人にとって馴染み深い力の存在が発生させる波動だった。

 光の戦士特有の波動だったのだ。



 石畳の街路の真ん中に、空間の歪みが生じた。

 それは深遠の闇の穴のように黒く、しかし中心は朧な光を放っていた。

 その光から中から人間の手が現れた。

 始めは右手、次は左手。

 空間歪曲領域の端に、物理的に接触したかのように手をかけ体重の支えとすると、次は頭部が現れた。

 そして足を路地に下ろす。

 そうして全身が出ると、空間の歪みは見る間に縮小し、なんの痕跡も残さず消失した。

 現れた人間は、一見すると初老の紳士に見える男だった。

 タキシードにシルクハットをかぶり、目には丸い色眼鏡をかけ、手にはステッキ。

 髪と口髭は白く、顔には年齢を窺わせる深い皺が刻まれている。

 サーカスに登場する司会役にも、社交界常連の紳士のようにも見え、大学で鞭壇をとる変わり者の教授という印象もある。

 どこにいても目に付く人物だが、しかしさほど奇異な視線で見られることはないだろう。

 しかし魔王殿という特殊な地域において、これほど場違いな姿はない。

「思ったより簡単に侵入できたな」

 魔王殿の一角に突然現れた奇妙な男は、周囲を見渡すと怪訝そうに首を傾げた。

 なんらかの防壁が張られていると予想していたのだが、なんの障害もなく空間転移が成功した。

 しかも侵入者への迎撃が行われる気配もなく、それどころか彼らの存在が感知されない。

 紳士は懐から懐中時計を取り出す。

 時計の針を少し操作すると、時計盤上の空間に数値情報の映像が表示された。

 彼は表示映像に目を通し眉根を顰めた。

「……どういうことだ? 魔王が……消えた?」

 初老の紳士は、懐中時計の針を操作し、探査範囲を最大にした。

 中央の古城を中心として、廃墟の半径約五キロメートル。

 同中心、特異形成場、時空歪曲等、無し。

 同中心、探知不能領域、約三百メートル。

 魔王殿中枢に探知妨害結界が張られている。

 亡者、通称魔物。探知不能。

 魔王ゲオルギウス、探知、無し。

「やはりいない。どういうことだ?」

 彼は全く理解できず首を傾げる。

 魔物が探知できないのは分かる。

 中枢部の結界は魔物の波動を遮断し、探知機や探知能力による捕捉を妨害している。

 その行動の意味はわからないが、少なくともその中に潜伏していれば、ここからでは感知できない。

 おそらく結界は魔王殿の中心にある古城外壁部を媒体として覆っていると推測される。

 だが魔王は別だ。

 魔王は魔物ではなく、特殊能力を保有した、人間なのだ。

 その力の存在を隠蔽する方法は今のところ発見されていない。

 まさかこちら側の技術力を、魔物たちは独力で追い越したというのだろうか。

 しかしその可能性は皆無に等しい。

 三百年前の戦いから過ぎた時間は、魔王や魔物にとっては数年程度しか経過していない。

 彼らに技術や能力を研鑽する時間はなかった。

 ふとある可能性を思いつく。

「まさか、死んだのか?」

 可能性は皆無ではない。

 生きた人間である彼は、死ぬ。

 だが仮定が正しいとすると、こちら側では確認できず、向こう側で確認を取る必要が出てくる。

 しかし確認作業が終了する間、この世界ではどれだけの時間が経過するだろうか。

 確認はこちら側をもっと調査し、それなりの確信を得てからだ。

「……ん?」

 彼は空中に投影される表示に奇異な点を見つけた。その点を拡大表示する。

「ほう、これは」

 そして嬉しそうに頬を歪めた。

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