教皇

 ぎぃん!という硬質な音が目の前で弾けた。胸に突き刺さる冷たいレイピアを想像していた俺の身体は一瞬硬直するが、すぐに体勢を立て直す。瞬く間に二撃目が閃くが、同様に受けられる。レイピアを受け止めたケット・シーを目にした俺はあまりの驚きに息を詰まらせた。


「ウェルデン!」


「……ふッ!」


 ウェルデンは青髪のケット・シーのレイピアを腕で払い除けた。彼の腕には氷がまとわりつき、篭手のように腕を守っている。あれだけ激しい刺突を受けたにもかかわらず、氷にはひびどころか傷一つ付いていない。恐るべき硬度だ。しかし、ウェルデンは「僕の魔法は戦闘向きではない」と言っていた……


 俺はその疑問をひとまず脇に置きつつ、ウェルデンと攻撃を合わせようと様子を伺おうとした。


 瞬間、彼の唇から恐ろしい量の血が溢れ出した。


「……っ!?」


 まったく傷を受けていないはずの彼の吐血は収まるどころか、そのまま激しく咳き込み始める。その隙を相手が見逃すはずがなかった。吹雪の魔法の効果は切れつつあるが、何故か近くにいるはずの女ケット・シーの気配が薄い。恐らく彼女の魔法は吹雪に溶け込む類のものなのだろう。剣の切っ先を彼女に向ける。


爆ぜろイフェスティオ!」


 最小限に威力を絞った爆発が相手の足元で弾けた。一瞬身体が揺らいだのを逃さず、肩から思い切り体当たりをする。流石に意表を突かれたのか、彼女は本格的によろめいた。しかし、腰から流れるように抜かれた短剣で首への峰打ちは防がれる。レイピアと短剣の組み合わせは、防御に非常に有効だ。対する俺の剣身は普通より少し短めなものの、利き手に傷を負っているため柄を強く握れない。


 彼女もそれには気づいているはずだ。ここぞとばかりに流れるような連撃を放ってくる。受け流すなどの繊細な動作が出来ないので、俺は必死に刺突を紙一重で躱す。慌ててウェルデンに駆け寄ったアルフェの歌は治癒に切り替わったため、これまでのように速くは動けない。このままでは埒が明かないことを悟った俺は、無理やり攻勢に出ようとして​──────


「待ちなさい、ユリシア・フェイリス・スカラー」


 威厳と威圧に満ちた声が響いた瞬間、彼女はサラマンダーにでも出会ったかのように目を見開いた。そして踊るような足さばきで俺の攻撃圏内から逃れる。


「教皇様」


 彼女​─────ユリシアは静かに言ったが、少し妙な声音だった。というのも、教皇という存在の登場に敬意や喜びといった感情ではなく、明らかに苦々しいものを滲ませているのである。状況を理解出来ずに目を白黒させている俺など眼中にもせず、ユリシアは続けた。


「恐れながら、キオノスティヴァス様……このような高層は穢れが多く」


「皆まで言わずとも分かっていますよ、ユリシア。ただ、私も暇ではないのです。四階で護衛たちと数時間は待ちました……何をしているのです?」


 教皇は全身真っ白な女ケット・シーだった。護衛を両脇に従えている。聖氷教でもっとも地位のある教皇は三人。しかし、もっとも多くの信者を持つヘイル派以外の教皇はあまり表に出てこない。だからなのか、俺がこのケット・シーを見たのは初めてだった。教皇の言葉に、ユリシアは明らかに顔を顰めたが、流石と言うべきか、声色には出さなかった。


「はっ。申し訳ありません」


「私は何をしているのかと聞きました……この者たちは罪人ですか?」


「はい、仰る通りです」


「ならば……ここで私が裁判権を行使しても問題はないということね?」


 ユリシアの瞳に一瞬怒りのようなものが燃え上がった。裁判権とは、教皇だけが持っている権利のことで、罪を犯したケット・シーをその場で、しかも教皇の裁量で裁ける権利のことだ。ほぼ独断と言っても、教皇は傍に助言役の司祭を連れていることが多いから、あまり無茶な判決は出ない。


「お言葉ですがキオノスティヴァス様、先月の裁判権行使にも、ラクティティア様が強く非難を​─────」


「ユリシア、あなたが何を思っているかは分からないのだけど」


 苦言を呈したユリシアの言葉を遮った教皇の瞳に、初めて感情らしいものが宿った。


「私に逆らうつもりなのかしら?」


 静かに憤怒を込めた言葉に、ユリシアは慌てて跪いて叫んだ。


「滅相もございません! どうかご慈悲を……!」


「それならいいわ」


 教皇は鷹揚に返事をすると、立ち尽くしたままの俺を見据えた。鏡のような瞳がこちらを品定めするように射抜く。横目でウェルデンの様子を確認すると、アルフェの歌の効果か、もう出血は止まっているようだった。まあ、俺たちはこの場で殺されるかもしれないから、あまり関係ないかもしれないが。教皇は魔法の名手で、傍に無言で控える司祭たちも護衛に選ばれるだけあり、手練だろう。いよいよ勝ち目は薄い。どうせ死ぬなら、と俺は覚悟を決めて教皇の瞳を見返した。一瞬身体が竦んだ俺と対照的に、彼女は臆することなく俺の琥珀色の目と視線を合わせて​─────僅かに微笑んだ。


「教皇アースィファト・フリグス・キオノスティヴァスの名において裁判権を行使する。異端の罪は重い。しかし神の加護及びし者は全ての試練を退けるだろう! よって異端者を第三迷宮送りとする! 氷神に栄光をエラ・トワイライトファーレン!」


 教皇がそう告げた瞬間、平伏していたユリシアの顔が跳ね上がった。


「キオノスティヴァス様!」


 しかし彼女が続きを言うことは叶わなかった。ぴきっっ!と何かが凍りつくような音がしたと思えば、彼女の身体を掠めて巨大な氷の槍が床に突き刺さったからだ。


「ひッ……!」


「教皇の言葉は神の代理。三度目はない」


 教皇は冷えきった声で警告すると、いつの間にか浮かんでいた二本目の槍をこちらに向けた。


「ついてきなさい」


 選択肢はなかった。







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