廃駅(3)

 長い長い階段を上り、再び地上に出た。冬の弱い日差しとはいえ、久しぶりの太陽光に目がくらむ。乾いた冷たい風に煽られて、細かい砂塵が舞い上がっていた。

 ショッピングモールの跡のような場所だった。こまごまとしたビルの集合とは違う、大掛かりな建物だ。風化した看板らしきものがはがれかかっており、風が強くなるたびに危うげに揺れていた。屋上から下がる垂れ幕は、日に焼けすぎていて、もはやなんと書いてあったかわからない。

 ショッピングモールは円形の構造で、中央はちょっとした中庭のようになっている。砂をかぶったエスカレーターや枯れた噴水の傍に、桜の伐採跡と思しき見慣れた切り株があった。中央まで黒々と腐食している。

 大規模な商業施設だったはずのこの場所も、今ではコンクリートの腐食が進んでいるらしい。天井が抜け、鉄骨がむき出しの部分もあった。かつての賑わいなど想像できないほどの荒廃。

 サガミの目的地はショッピングモールの駐車場だった。だだっ広いアスファルトの上に、大型のトラックがいくつも停められている。車体の傍で腰かけながら談笑している人影が見えた。手には飲み物の缶と、キューブや棒状に成型した加工肉といった粗食。彼らはサガミを目に留めると、挨拶代わりに片手を高く上げた。

「またそんなもん食ってんのか。キューブばっか食ってると馬鹿になるぞ」

「それは都市伝説だろ? つーかそれ誰? お前そんなでかい息子いたっけ」

「客だよ」

 サガミはぶっきらぼうに返し、じゃあな、と彼らに手を振った。彼の背中を追いかける。吟味をするような眼差しが気持ち悪い。

 サガミはやがてひとつのトラックの前で止まった。

 旧型のガソリン車だ。見たことのある食料品店のロゴが入っている。タイヤの直径はぼくの腰の高さをゆうに超え、車高がかなり高い。

 ぼくは言われるがままトラックに乗り込んだ。シートベルトも自動運転のタッチパネルもついていない。

「目的地まではそれなりに距離がある。トラックは酔いやすいから気をつけな」

 サガミが運転席に乗り込みながら言った。

 車内には濃い煙草のにおいが充満していた。溢れている灰皿には新しいものが入る余地もない。

 荷物は足元に転がした。「県境に検問所がある。これを被っておけ」と、彼から手渡されるまま赤いキャップを被る。彼の地元の野球チームのものらしい。

「地元には、帰らないんですか」

 何の気なしに聞くと、彼の目が一瞬鋭いものに変わった。

「……東京から帰った奴が、他所でどんな風に扱われるか知ってるだろ」

 ばたん、と乱暴にドアが閉められる。

 東京出身の人間がどのように扱われるか。ぼくにも多少身に覚えがある。

 サガミが手元のレバーを引き、エンジンが入る。旧型独特の揺れに身を傾けながら、ぼくは遠くの景色を見やる。

 トラックはゆっくりと走り出す。車体が大きいだけに動きはぎこちない。高い車窓から見える景色は、ただ歩いている時の景色とはまるで違ったものに見えた。

 瓦礫や割れたアスファルトを踏み越えながら、下道を走ってしばらく。螺旋状の道路を抜けると、塗装がはげかけた看板に「首都高速道路」と書かれているのが見えた。  

 道路は空いていて、ほとんど車の姿がない。高くそびえる防音壁の向こうに、廃墟となったむき出しのビル群や、ぽつんとそびえる電波塔が顔を出している。かつては多くの局がテレビ番組などを配信していたらしいが、今では傍受できる電波はラジオだけだ。

 大きな揺れを伴ってトラックは進んでいく。

「隣に人がいる運転ってのは久々だ」

 道が単純な一本道になり安定してきた頃、思い出したように彼が言った。そうなんですか、というぼくの相槌に合わせて、彼がポケットから小さなケースを取り出す。ドロップスと書かれた小さな缶だ。

「普段は死体やら密輸品やらが相手だからな」

 運び屋の仕事の多くは、死体処理施設への死体の運搬であるらしい。東京の有する大規模なキューブ工場に隣接しており、防腐剤の打たれた死体をまとめて運ぶことで、それなりの金になるとのことだった。死体処理施設の敷設は近隣住人からの反対が多く、ほとんどが東京に押し付けられている。主要産業が死体処理と胎児とはつくづく奇妙だ。

「そういや、北関東に行くのも久々だ。あんなところに何の用がある?」

 中からひとつ、きらきらした飴を器用に取り出し、彼はぼくに缶を差し出してくる。

 彼の目つきは詮索そのものだった。

「やり遂げなければならないことがあるんです」

 簡潔に答え、ぼくは缶から転がり出た赤色の飴を口に含む。「いちご味の味」と言わんばかりの安っぽい甘味。

「例の桜の研究とやらか? 物好きな奴だな」

「何もかも不明瞭なまま『なかったこと』になるのは嫌なんです。それに、」

 続けてしまってから、言葉を探す。サガミが怪訝そうにこちらを一瞥した。

「それに、一度でもいいから、咲いている桜を見てみたい」

 サガミが息だけで笑った。馬鹿にしているようでもあったし、そうでないようにも聞こえた。


 いつの間にか寝入っていたようだ。大きな揺れで目を覚ますと、トラックはすでに見知らぬ土地を走っていた。大型機械の放置されたままの田畑と、掘っ立て小屋のような民家が延々続いている。ぼくが目指している場所はこんなところなのか? ぼくが困惑していると、「お、起きたか」とサガミが声をかけてくる。

「もうじき着く。この辺はえらい田舎だが、すぐに小都市に出る。昔ぁ学園都市だなんだってもてはやされてたとこだ」

 今じゃ人影の半分はアンドロイドだけどな、なんて笑って、サガミが背もたれに勢いよく背中をつく。

 大がかりな通りには桜並木も多かったらしい。東京外に病の被害はそれほど広がらなかったが、不安はそれ以上に大きく広がり、ここもその例外ではなかったようだ。病の流行以降、四国、九州、北海道や離島などに人口が殺到し、関東はほぼ全域が大打撃を受けた。

 花狩りが徹底され、不安を煽り広がり続けるデマが保健所により公式に否定されてもなお、人々の理由のない忌避感は留まるところを知らなかった。

「駅から離れた場所で降ろすぞ。この辺の駅はまだ俺らの管轄じゃないんだ。鉄道はとっくに廃線だが、どうも管理警察の目が厳しい。見つかったらお前も都合が悪いんだろ?」

 サガミはそう言って、山積みになった吸い殻の上で煙草を擦り消した。車窓から吹き込む風が冷たい。時刻はもう夕方になろうとしているらしく、空の端が仄かに赤らんでいた。

 やがてトラックが路肩に止まった。周囲に人影はなく、やたら幅のある歩道だけが広がっている。助手席から飛び降りようとしたぼくに、「取って食われんじゃねえぞ」とそっけない声が告げた。

「せいぜい気をつけろ。お前みたいなガキに付け込もうとする奴がいるのは、何も東京だけじゃない。人は易々と信用するな」

 地面に足をつくと、運転席の彼の目線はかなり高かった。長い前髪の下に覗く目がまっすぐこちらを見ていた。

「ありがとうございました」

 軽く頭を下げる。赤いキャップを返そうとしたところで、「いいよ、持っていけ」とけだるげな声が続いた。

 「ちょっと待ってろ」と言い、サガミが運転席の下をまさぐり始める。彼はほどなくして何か黒いものをこちらに投げてきた。手の上で弾ませながら受け止めると、見慣れない小型の銃だった。半透明の液体が入った円筒形のタンクがついている。

「……水鉄砲?」

光子銃レーザーガンだ。まだ試験段階で威力は低いが、多少身を守るくらいには役に立つだろ」

 光子銃と言っても、極限まで圧縮した電解質に、高電圧を流して打ち出すタイプだ。照射タイプに比べて多少燃費がいいらしい。

 まあ水鉄砲ってのもあながち間違っちゃいないか、と彼は独りごちるように続ける。

「ここんとこに金具がついてるから、ホルダーがなくても携帯できる。俺が持っててもどうせ腐らすだけだ。くれてやるよ」

「……ありがとうございます」

 先程よりも深く頭を下げた。サガミは「やめろよ、性に合わねえ」と、わざとらしく怒った口ぶりで告げた。

「それに、言ったろうが。人は易々と信用するな」

 ぼくが言葉を返す間もなく、彼はトラックの扉を乱暴に閉めた。ほどなくして過ぎ去るトラックの向こうで、ゆっくりと日が沈み始めていた。

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