ラミアと料理番と領主 その1

 僕に向かって駆け寄……ってというか、ズリズリとにじり寄って? 蛇行しながら? とにもかくにも、その下半身の蛇の部分を巧みにくねらせながら、ラミアの女の子は僕に向かってまっすぐ近づいて来ています。


 僕が元いた世界で見ていた「モンスター娘と一緒の毎日」って漫画だと、主人公の男性が同棲しているラミアの女の子に熱烈に愛される展開でしたけれども、今の僕の状況にそれをあてはめるのは非常に無理があるといいますか、そもそもこのラミアの女の子に僕が好かれる理由が万に一つも思い浮かびません。何しろ初対面ですし……


 ……となれば、することはひとつしかない。


 僕はその場で一度踏ん張ると、


「そ、そりゃあ!」


 思いっきり飛び上がった。


 こういう時は逃げるしかない。

 中国の昔の人も言ってましたからね、三十六計逃げるにしかずって。


 とにかく、このまま木の柵の中へ逃げ込めば、さすがにこのラミアの女の子も追ってはこれないだろう。


 ガシッ


 そんな事を考えながら宙に舞っていた僕の足先に、何か妙な感触が伝わってきた。

 嫌な予感が僕の脳裏をかすめました。

 同時に、冷や汗が僕の額を伝っています。


「ま……まさか……」


 僕は恐る恐る視線を下へと向けました。


 その視線の先に……ラミアの女の子の姿があります。

 その女の子は蛇の下半身部分を目一杯伸ばして、僕の足を掴んでいたんです。


 よく見ると、ラミアの女の子はその顔に満面の笑顔を浮かべているではありませんか。


 本来ならここで、掴まれていないもう片方の足でラミアの女の子の顔面を蹴りつけてでも脱出すべき……頭の中では理解してはいるのですが……なんでしょうか、このラミアの女の子ってば、僕の片足を掴んだまま満面の笑顔を浮かべているもんですから、その顔面を蹴りつけるのをどうしても躊躇してしまうといいますか……お、女の子には優しくしないと、って、昔親にも教えられましたし……


 こんな思考をしているから、スマホゲームで時折出現する可愛い敵役にとどめをさせなくて躊躇しているうちにこっちがやられちゃうなんてことがよくあったんですよね。そのせいで、有料のコンティニューチケットを何度購入する羽目になったことか……


 なんてことを思い出している僕だけど……忘れてはいけません、今、僕の身に起きているこの事態は現実なんです。ゲームの中の出来事じゃないんです。


 死ねば即終了。

 

 それはつまり、せっかく出会えた理想の女性であるシャルロッタとの永遠のお別れを意味するわけである。


「……それだけは、絶対に嫌だ」


 意を決した僕は、ラミアの女の子に掴まれていない右足で、

「……ご、ごめん」


 思いっきりその顔面を蹴りつけた。


「みぎゃああああああああああああああ」


 その途端に、僕の左足に蛇の下半身を巻き付けていたラミアの女の子はすごい悲鳴をあげながら、その下半身を離してしまった。

 その時に、左足の靴が脱げてしまったんだけど、ラミアの女の子はその靴をしっかりと尻尾で絡み取ったままでした。


 ……気のせいだろうか……僕の靴を手に持って、すごく大事そうに抱きしめながら……なおかつ、鼻血を吹き出しているにもかかわらず……満面の笑顔を浮かべたままだったような……


 い、いや、気のせいだ……気のせいに違いない、うん。


 再度跳躍し、どうにか近くの高い木の先に捕まることが出来た僕は、そこから三度跳躍して、どうにか無事に街の中へと戻ることが出来た。


 そこでラミアの女の子がいた辺りに意識を集中してみたところ……ズルズルといった移動音が聞こえていたので、どうやら死んではいないようだった。


 あのラミアの女の子……確かに、可愛い顔をしていたし……死なれていたらちょっと夢見が悪かったかもしれないと思ったりしたのですが、僕の世界でラミアといえば人の生き血を吸ってそのまま肉までくらう怪物として伝承されているわけですし、ゲームの世界ではだいたいそういう存在として設定されていました。

 例外的に「モンスター娘と一緒の毎日」みたいに、キャッキャうふふな展開になる漫画作品も存在してはいたのですが、本来はそっちの方が稀少な事例と言わざるを得ないんです。


 僕はそんなことを考えながらも……やっぱり顔面を蹴ったのはやり過ぎたかな……と、少し後悔の気持ちを胸に頂きつつシャルロッタの邸宅へ向かって少し早足で歩いていった。


◇◇


 邸宅に戻った僕は、その足でシャルロッタの執務室へ顔を出した。


「あの……シャルロッタ、ちょっといいかな?」

「おぉクマ殿、何かあったかの?」


 机に座っていたシャルロッタは書類に目を通しているところだった。

 そんなシャルロッタは


 ……め、眼鏡をかけていた。


 その姿を前にした僕は、思わず目を見開いてしまいました。

 ゲームの中でも眼鏡っ子なシャルロッタのイベントなんてなかった。

 うん、まさにこれ、初体験・初お目見え……シャルロッタにその黒縁の眼鏡がこの上なく似合っているんです。


 どうしようもない僕の目の前に女神様が降臨しています。


「ど、どうかしたのかの、クマ殿? 妾の顔に何かついておるのかの?」


 思わずシャルロッタの眼鏡姿をガン見してしまったせいか、シャルロッタはあたふたしながら自分の顔に手をあてながら困惑の声をあげていました。

 その声で、僕も我に返ったんです。


 っと、いかんいかん……ここで感情を爆発させてしまったら、シャルロッタに嫌われてしまうかもしれないじゃないか。そ、そんなことになってしまったら、この部屋への出入りを禁止されてしまって、今後この貴重な眼鏡姿のシャルロッタを拝見することも敵わなくなってしまいかねません。


 それだけはなんとしても回避しなければ。


「あ、あぁ、なんでもないんだシャルロッタ。それよりもちょっと耳に入れておきたいことがあって」


 何度も咳払いを繰り返した後、僕は必死に平静を装いながら話始めました。

 序盤、おもいっきり声が裏返ったものの、シャルロッタは真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれたので、どうにか助かりました。


 僕は、そんなシャルロッタに先ほど森で出くわしたラミアのことを説明していきました。


 可愛い顔をしていたとはいえ、ひょっとしたら村人達を襲っている凶暴な魔獣だったのかもしれません。

 ……だとしたら、改めて出向いていって捕縛した方がいいに決まっていますしね。


「下半身が蛇で、上半身が女……それはまさに魔獣のラミアで間違いないとは思うのじゃが……はて、このあたりでラミアの目撃情報なぞきいたことがないのじゃ……」

「え? そうなの?」

「うむ……」


 僕の説明を一通り聞いたシャルロッタは、そう言いながら腕組みしています。

 一生懸命考えを巡らせているんだけど、どうしても思い当たる節がないみたいです。


 と、なると……僕が出くわしたあのラミアは、一体何者なんだ?


 出くわしたのは間違いないわけだし、僕に向かって突進してきたのも事実です。

 そして、ジャンプして逃げようとした僕の足を掴んだのも紛れもない事実。

 その証拠に、僕の左足には靴がなくなっているわけだし。


 シャルロッタが、新しく準備してくれた靴を履きながら、僕は改めてシャルロッタへ視線を向けていました。


「ちなみになんだけど……ラミアは凶暴な魔獣なのかい?」

「ふむ……それはなんとも言えぬのじゃ」

「なんとも言えない?」

「そうじゃ。ラミアにもピンからキリまでおってな。人を襲ってその血肉をすする者もおれば、人と接する事無く森の奥でひっそり暮らしておる者もおると言われておってな、一概にどうこう言えぬのじゃが……」


 ここで、シャルロッタは首をひねりながら、何かに思い当たったようだった。


「しかしあれじゃな……ラミアがこの森でよくぞ生きておっるものじゃ……」

「え? ど、どういうこと?」

「うむ……ラミアは動きがそれなりに速いのじゃが、流血狼ほどではないのじゃ。むしろ流血狼にとっては捕食しやすい獲物といえる存在でな、そのため流血狼が多く存在しておるこの村の周囲にまで寄ってくることなど通常ありえぬはずなのじゃが……」


 シャルロッタはそう言うと、再び考え込んでいった。


 その言葉を聞いた僕も、シャルロッタ同様に首をひねりました。


 そんなラミアが、なんでこの村の近くにいたんだ?

 シャルロッタが言うように、この村の周囲には流血狼がいっぱいいたわけだし……

 しかも、僕に向かって突進してきたり、僕を捕まえようとしたり……

 あのラミアが、シャルロッタが言っていた人の血肉をすするような魔獣なのであれば、森を彷徨いながら餌を探していて、偶然僕と出会ったからという仮説が成り立つ。


 ……でも


 あの時、あのラミアの女の子は僕を見て

「……見つけた」

 って、言っていた……

 あれは、餌を見つけたとかいうのではなくて、探していた人を見つけた……そんなニュアンスの方が強かったような気がしないでもないというか……


 その時だった。


『キャーーーーーーーーーー』

「え?」

 僕の耳に、悲鳴が飛び込んできた。

「ど、どうかしたのかの、クマ殿?」

 いきなり声をあげた僕に対し、シャルロッタが目を丸くしています。


 どうやら、悲鳴は僕にしか聞こえていないようだ。

 僕は、無意識のうちに聴覚を強化していたのかもしれません。


 悲鳴を聞いた僕は、すぐさまその場から駆け出しました。


「く、クマ殿!?」


 後方からシャルロッタの声が聞こえてきた。

 そんなシャルロッタに、僕は


「悲鳴が聞こえたんだ。ちょっと言ってくる」


 そう言うと、全力で駆け出しました。

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