姉ちゃんにジュースを飲ませた結果

「最後にこれを入れて……と」

 夜の魔法調合室。僕はロウソクの灯りを頼りに、できかけのジュースの仕上げに紫色のエッセンスを入れた。これがほんのりと甘い香りを引き立ててくれる。いわばマジカルジュース「ヴローム」用の調味料である。

「よし、これで完成だね」


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 僕は左手に燭台、右手にジュースのコップを持ち、姉ちゃんのクリスティが使っている部屋の前に来た。僕たちが姉弟で通っている魔法学校は全寮制。廊下を境に、男子サイドと女子サイドで完全に部屋が分けられていた。

 何気なくコップを持った方の手首に巻いた時計を見ると、午後9時59分を指していた。その手で姉ちゃんの部屋の扉をノックする。

「何?」

「ジュース、できたよ?」

 姉ちゃんが扉を開ける。

「ゲッ、何これ」

 確かに色合いは亡霊が住む森の奥深くみたいに色濃くて、見栄えはしなかった。しかし、ちゃんとレシピ通りに作ったから、確実に姉ちゃんを喜ばせられると僕は信じていた。

「頼んでいたジュースって、これなの?」

「そうだよ。姉ちゃん、 自然攻撃力、強くなりたいんだよね」

「……確かに言ったわね」

 姉ちゃんはバツが悪そうな顔をしていた。

「でも、美味しいジュースじゃないと飲まないわよ」

「美味しいよ。そしてすっごく姉ちゃんのためになるから」

 僕は精一杯の笑顔でアピールした。

「仕方ないわね……」

 姉ちゃんが渋々僕からコップを受け取る。

「一口だけでもいいからしっかり飲んでよ。そしたら効果が出るから」

「分かりました」

 姉ちゃんはやれやれといった口調で同意した。意を決して試すように一口飲んだ。

「ん?」

 浮かべたのは険しい顔。それを見て僕もちょっと不安になった。

「もう一口飲んでよ。美味しいでしょ?確かに今まで魔法もへっぽこなものしか出せなくて、魔法薬を作っても爆発とか副作用が強すぎるとかで失敗ばかりだったけど、今回は本当にうまくいったと信じてるんだ。だって、今回は面倒くさがらずにちゃんと最初から最後まで一字一句逃さずにレシピを読みながら作ったんだから」

 姉ちゃんは僕の必死のアピールに根負けして、もう一口、先ほどよりも多めに飲んだ。

「何よこれ!」

 姉ちゃんはいきなりコップを投げた。僕は危険を感じて身をかがめた。コップは向こう側の部屋のドアに衝突し、ジュースとともに粉々に砕け散った。

「泥水みたい。全部飲んだらお腹下しそう」

「そんな風に言わないでよ……」

「じゃあ、今からそこのジュースを子犬ちゃんみたいにすすってみなさいよ。あんなマズいもの味わったことないから」

 しれっと僕を犬扱いしながら、お姉ちゃんはいつもの調子で罵倒した。

「全く、16歳にして猛毒テロリストにでもなるつもり?早くこの不愉快な気分を忘れたいから今日は寝るわ。明日、ジョセフとデートだし。アンタも早く部屋に戻って寝なさい」

 姉ちゃんは不機嫌全開でドアを乱暴に閉めた。僕は姉ちゃんをまた怒らせてしまったとうなだれてしまった。正直こんなの日常茶飯時だけど、いつまでたっても慣れない。


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 翌日、僕は魔法調合室を傍らから眺めていた。不器用で面倒くさがりだった僕が、初めてレシピの全ページをじっくりと眺めながら作ったあのジュース。じっくり見たつもりでも、どこか解釈を間違えていたり、大切な情報を見逃したりしていたのか。心の中は不安でいっぱいだった。

 今は放課後。だから魔法調合室は誰もいなくて静かなはず。もう一度そこでレシピを見ながらジュースを作り直そうと考えた。

 僕が意を決して扉を開けたときだった。

「ア、アンタ、何してるのよ!」

 それは僕に対しての罵声ではなかった。姉ちゃんが教壇の前で愕然としながら真向かいの机を見ていた。僕はそれを教室の後ろ側にある出入り口から目にしたのだ。

「ジョセフ、なぜアンタが」

「アンタじゃ満たされなかったってこと。それぐらい学びなさいよ」

 2人の男女が机の上に座りながら、体を寄せ合っていた。女子の方がさも当然のように姉ちゃんを突き放す。

「私の彼氏がこんなに汚らわしい人間だったなんて、失望したわ」

「クリスティ、そもそも何でお前がこんなところに来ちゃったんだ」

 ジョセフの狼狽する声が聞こえる。

「実験器具を新品に入れ替えるためよ。私、クラスの用務係って知ってたよね?アンタは紛れもなく私のクラスメートだったんだから!」

「あちゃ~、バレちゃった~」

 ジョセフが頭に手をやり、おどけた様子で「しまった」というポーズをした。その後ろ姿に反省している様子は見えなかった。

 衝撃的な現実から目をそらすように下を向くと、足元に細かく砕けたガラスの破片が散らばっていることに気づいた。どうやら姉ちゃんは浮気現場に鉢合わせしたことに驚くあまり、ガラスの実験器具を落としてしまったようだ。

「ジョセフはアンタじゃなくて、私が好きなんだって。だからさっさと出ていってくれる?」

 ジョセフの浮気相手がさも当然のように言い放つ。

「黙りなさいよ、ディオンヌ。アンタ、この間も私の元カレを奪ったくせに、それだけじゃまだ満足できないの!?」

「結婚と違って恋愛は自由なのよ」

「そんな自分が通じるわけないでしょ!私の気持ちをどこまで傷つけたら!」

 姉ちゃんの怒りをさえぎるように、ディオンヌが杖から魔法の弾を放つ。ボールが爆発したような衝撃音とともに姉ちゃんが背後にある教壇の机に叩きつけられた。エネルギーと教壇にはめ込まれた机にはさまれて、体を押しつぶされそうな痛々しさがこちらまで伝わってきた。今まで僕に強気な姿しか見せなかった姉ちゃんが苦悶する姿が、初めて僕の目に焼きついた。

「姉ちゃん!」

 そう思うと僕は慌てて教室内で机とともに並ぶ階段を駆け下りる。しかし数段降りたところで、次の魔法の衝撃音が響いた。

「きゃあっ!」

 ディオンヌが机から、一列先の奥へと飛ばされる。僕の姉ちゃんが反撃を始めたのだ。邪魔者をどかした彼女が正面の机によじのぼり、彼氏の襟首を掴んで揺らす。

「私という人がいながら、どうして浮気なんかするの!?しかもよりによって何で相手がディオンヌなのよ!」

「知らないよそんなこと!」

「とぼけないでちょうだい。もう怒った。アンタにもお仕置きするから」

「何だって!?」

 怒り狂った姉ちゃんは杖を光らせ、魔法の弾をちらつかせる。放ったタイミングでジョセフは机から逃げ、彼女の攻撃をかわした。至近距離の標的を逃した弾が、向こう側の壁に激突し、ちょっとしたクレーターのような穴が空く。教室の一部が壊れたことに僕は戦慄を覚えた。

 すかさず姉ちゃんの脇腹のあたりを、先ほどより一回り大きなエネルギーがぶち当たる。ぶっ飛んだ姉ちゃんが黒板に激突し、その辺りが煙に包まれた。僕は腕を目元にかざし、壮絶な光景から目を背けた。腕をどかすと、黒板に細かくヒビが入り、姉ちゃんの姿は消えていた。ディオンヌが、倒れていた場所の近くにある机に立ち、そこから強烈な一撃を見舞っていたのだ。

「ちょうどいいわ。ここでアンタにとどめを刺して、ウィザード生命を奪ってあげる。そうすれば私とジョセフの関係を邪魔する人間は、この魔法学園には一人もいなくなるんだもんね」

 ディオンヌの姉ちゃんをあざ笑うような口調を聞いて、僕の体が震えた。何かに操られるように階段を駆け下りる。教壇の前に立ち、両手を広げた。

「何があったか知らないけど、僕のお姉ちゃんに危害を加えないでもらえますか!」

 僕は無我夢中でディオンヌの前に立ち、強い口調でとがめた。

「どちら様?」

「僕は弟です!クリスティの弟……」

 と言い終わる前にディオンヌの強烈な魔法の弾を喰らった。僕の体がふわりと宙を舞ったかと思えば、後ろ側にある黒板に激しく背中を叩きつけられた。堕ちた先はクリスティの上だった。倒れていた女子に覆いかぶさる形になり、気まずくてすぐにどいた。血のつながった人が相手だからなおさら恥ずかしかった。

「アンタ、一体何してるのよ」

「僕は、ただ姉ちゃんを助けようとしただけだよ」

「そんなことしなくていいの。これは私の問題だから、私に決着をつけさせて」

「でも、姉ちゃん、今のスキルじゃ」

「うるさいわね、黙ってなさいよ!」

 姉ちゃんが僕にイラ立ちながらも教壇の机によじ登った。生徒側の机に立っているディオンヌと対峙した状態だが、姉ちゃんはダメージで立っているのが辛そうだった。肩で息をしているのが、僕の見上げた目にも映っていた。

 僕は姉ちゃんがやられるのに巻き込まれまいと、座ったまま体を滑らせ、安全な場所へ下がった。


「これでも喰らいなさい!」

 姉ちゃんの杖の先から、怨念が具現化したような緑色のエネルギーが現れた。ソイツはケルベロスのような形になり、獰猛な歯をむき出しにしてディオンヌに噛みつこうとした。

 しかしケルベロスに分厚い雲のような陰鬱な色をしたエネルギーの弾がいくつも当たる。ケルベロスは懸命に耐えたが、ついに叫びを上げながら杖の奥へと引っ込んでしまった。姉ちゃんはそれを見て呆然とした。

「喰らうのはアンタよ!」

 ディオンヌは満を持して姉ちゃんにエネルギーの弾をぶつけた。ボディにめり込んだ攻撃魔法が、彼女を一気に黒板へ押しやる。ついに黒板が押しつぶされ姉ちゃんの体がめり込んだ。エネルギーが弾け飛ぶなり、姉ちゃんは力なく教壇に墜落した。

「姉ちゃん!」

「くっ……」

 悔しそうな荒い息づかいをしながら、姉ちゃんは立ち上がろうとしていた。しかし体に力が入らないようで、すぐに地面に伏してしまう。

「ハッハッハッハッ!どうやら限界みたいね。というわけでこの勝負は私のもの。ジョセフも私のものよ!」

 ディオンヌが憎らしい態度で勝ち誇る。僕はここまで打ちのめされた姉ちゃんの姿を見て、衝撃を受けていた。こんな形で、エヴァーグリーン家は不名誉な敗北を迎えてしまうのか……。

 僕が現実から目を背けるようにうつむくと、手首に巻いた時計が見えた。その時計は、午後4時を指していた。確かあのマズいジュースを彼女に届けたのが午後10時ごろだったはず。僕が姉ちゃんのために作った魔法のジュース「ヴローム」は18時間後に目覚めるはず。

 そんなことを考えていると、目の前で姉ちゃんが両手を拳にして、床に突き立てていた。全身から力が抜けたようなその姿勢は、何かに取り憑かれたようだった。

「ディオンヌの勝ちって?それはどうかしら?」

 姉ちゃんはそう呟くと、今までのダメージが嘘みたいに一気に立ち上がった。そしてヒョイとジャンプするアクションを見せただけで、教団の机にひとっ飛びで着地した。僕は思わず教壇を降り、傍らから姉ちゃんの表情をうかがう。その顔は今までのツンとしたキビシー姉ちゃんとは違った、龍のように勇ましく、キリッと引き締まっていた。

「何よその顔、この期に及んでまだやる気?」

「だったら何?悪いの?」

 姉ちゃんは何食わぬ顔でディオンヌに言い返した。

「こうなったら、また打ちのめしてやるわ」

 ディオンヌが怒りに身を任せ、再び魔法の弾を放った。姉ちゃんは杖をかざし、正面にきらめく茂みのようなバリアを張る。これがジュースにこめられた自然の力か。バリアにぶつかった魔法の弾が簡単に砕け散っていく。これが2個、3個、4個目と続いた。ディオンヌの攻撃が全然効いていないようだ。

「何これ……」

 うろたえたディオンヌに、ツタのような物体が巻きついた。姉ちゃんの杖から放たれたそのエネルギーは、憎き相手の動きを完全に封じた。両腕ごと完全に縛られたディオンヌは抵抗すらできなかった。

「私、彼氏泥棒は嫌いなの。こんなカオスな魔法が飛び交う社会だからこそ、決して乱してはいけない秩序がある。アンタはそれを乱した。私にとって一番の不快分子、排除します!」

 そう宣言した姉ちゃんは、杖からつながったツタを僕の方向に振ってきた。ディオンヌの体が僕に当たりそうになったので、思わず身を伏せた。僕の真上で彼女の体が浮いた状態になったのも束の間、姉ちゃんは反対方向へひと思いに杖を振るうと、ディオンヌはツタから放たれ、窓を突き破った。声にならないディオンヌの悲鳴が外で響きわたった。

 魔法調合室が静けさを取り戻す。中にいるのは僕と姉ちゃん、そして彼女を裏切った男子だった。

 その男子、ジョセフは、クリスティ・エヴァーグリーンの強烈なパワーを目の当たりにして、ただただビビっている様子だった。彼は何もすることなく、魔法調合室の階段を駆け上り、扉から飛び出していった。

「ということは、僕のジュース」

「効果てきめんね。とりあえずそこだけありがとう」

 姉ちゃんはそれだけ告げると、ひらりと華麗に教壇から舞い降り、堂々と階段を上ってこの場を後にする。一人取り残された僕だが、その気持ちは嬉しさに満ちていた。

 やっと僕、姉ちゃんのお役に立てたんだ。そんな思いを噛みしめながら、僕は後ろから5列目の真ん中あたりの席を眺めていた。前日の夜、そこで僕はあのジュースを一生懸命に作っていたのだ。


(完)

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