第21話 紗季の秘密 その1

「先輩、明日って何時に来るの?」


 真衣奈がいつものように夕飯の準備をしながら言った。付き合い始めてから一週間たったが、真衣奈は相変わらず俺を先輩と呼んでいた。それを言うと、すぐに呼び方を変えられないということだった。無理して変えるようなことでもなかったからそのままにしているが、そのうち違う呼び方で呼ばれるのかと思うと、少し照れくさくなった。


「昼ぐらいになると思う。なにかあったか?」

「もし来るんだったらお弁当作っていこうかなってさ」

「じゃあ必ず昼には行くようにする。楽しみだな」

「そう言われちゃ手を抜くわけにいかないね。頑張らなくちゃ」


 真衣奈が料理を運んできた。今日のメニューは念願の肉じゃがだった。


 テレビでは天気予報が流れていて、明日は全国的に晴れだと伝えていた。


「明日晴れるって。今日より暑くなりそうだな」

「ちゃんと日焼け止め塗らないとね」


 他愛もない感想を述べながら、出来たばかりの肉じゃがに箸を伸ばす。うん、美味い。


「……紗季さんどこ行ったのかな」


 真衣奈がポツリと呟いた。俺は肉じゃがに夢中になっていて、聞こえていないフリをした。


 紗季が再び俺たちの前から姿を消した。あの時と同じように別れの言葉もなく。


「なにか事情があるんだよね……」


 真衣奈が不安そうに視線を落とす。俺は「さぁな」としか言えなかった。


 紗季がいなくなったのは、俺が告白の返事をした次の日だった。いつまでたっても仕事に来ない紗季を心配した千枝さんが、住んでいるアパートに行くと、紗季の姿はおろか、荷物も最低限のものだけ持っていなくなっていたらしい。事件性なども疑われたが、部屋が荒らされた形跡がなかったことと、部屋にあったキャリーバッグがなくなっていたことから、その可能性はないと判断された。


 千枝さんは「昔っからどこでもふらふらとどこかへ行っちゃう子だったからねぇ。そのうちひょっこり帰ってくるよきっと」などと、大して心配していなさそうな素振りだったが、あれは明らかに動揺していた。


 なにかある。俺がそう思うのに時間はかからなかった。


 紗季、お前どこに行った──?



 約束通り昼前に学校へ行くと、俺が来るのを見越していたように吉仲が校門の前にいた。


「先輩! お疲れっす」


 満面の笑みを浮かべる吉仲に「おう」と軽く手をあげた。


「なんだ、出迎えはお前だけか?」

「俺だけじゃ不満ですか?」


 吉仲が瞳を潤ませて耳元で囁いてくる。それ、気持ち悪いからやめてくれ。


 俺は吉仲を押しのけながら言う。


「他の部員は?」

「部長なら部室にいるはずっす」


 吉仲がなぜか質問とは違う答えを返してきた。きっとわかってやってるに違いない。


「それで首尾は」

「んー、半々ってところっすね」


 現状は半々、夏休みも終わりに近づいてきて学園祭までほとんど時間がない。もう少しペースを上げる必要があるかもしれない。


「なら今日はビシビシいくか」

「うげー……お手柔らかに頼むっすよ」


 日差しを避けるように校内へと入る。ここしばらく学園祭の手伝いで学校に通っていた。部室へ向かう道すがら、吉仲がずっと喋っていた。適当な相槌をうちながら校内を見渡す。卒業して二年が経っていても、校舎は思い出の中のままで安心した。


 階段を上がって廊下の突き当たり、天文部と書かれた見慣れたプレートが見えてきた。


 吉仲が先に入る。俺もあとに続いて中に入った。


「あ、先輩。早かったね」


 吉仲が一緒にいるからか、真衣奈が少しそっけなく言う。衣装のチェックをしていたようだ。


「腹が減ってたからな。急いできた」


 冗談半分、本音半分を織り交ぜながら、近くに空いてたイスに座った。


「もうちょっと待ってて。あとちょっとで終わるから」

「慌てなくていいぞ」

「わかってるって」

「それじゃ俺はこのへんで」

「お前もどこか行くのか?」

「こう見えても監督兼舞台演出っすから、演者がちゃんと仕事してるか見に行かないと。あ、ふたりの邪魔になるからとかそんな下世話なこと考えてないっすからね」


 ウインクしながら言われても説得力がない。ちなみにこんな口調から軽そうに見えるが、こう見えて責任感は誰よりも強く、成績は学年で五本の指に入るそうだ。人は見かけによらない。


 バタンとドアが閉まる。彼の背中を見送りながら真衣奈が「それが余計なお世話よ」と苦笑混じりに悪態をついていた。


 騒がしいのがいなくなると、途端に静かになる。話すことがないからじゃない。吉仲にあんなことを言われたから妙に意識してしまっているだけだ。


「俺も手伝おうか」

「じゃあこっちお願い」


 真衣奈から衣装の一つを受け取ると、汚れやほころびがないか入念にチェックしていく。渡された衣装はレッドマーズ、かつて俺が着ていた衣装だった。


「懐かしい?」


 声に振り向くと真衣奈が笑っていた。


「二年ぶりの対面だね」

「そんな感動的なものか?」

「思い出には残ってるでしょ」


 真衣奈は衣装のチェックを終えたらしく、それを丁寧にたたんでいた。


「今回は誰がやるんだマーズ」

「今年はコバがマーズ役だよ。一年のころから憧れてたから念願叶ったって喜んでた」

「意外だな。俺は吉仲がやるもんだと思ってた」


 俺のイメージではコバこと小林はブラックサターン役でリーダー的存在のレッドマーズは吉仲だと思っていた。それがどういうわけか、違ったらしい。


「わたしも今回のキャスト決めるときに同じこと思ったよ。もちろん、部員のみんなも。それなのに雄一が辞退したの」

「なんでまた」

「理由は教えてくれなかったけど、一言だけ『俺には荷が重い』って言ってた」

「荷が重いねぇ」


 レッドをやりたいやつがいるかと思えば、それを断るやつもいる。そしてその重い荷を平気な顔をしてぶん投げてくるやつもまた、決して広くないこの世の中にいることを十分理解してほしいものだ。


「もしかして紗季さんのこと考えてる?」


 反射的だったのだろうが、ぎょっとしていたのかもしれない。その証拠に真衣奈が心配そうに見つめていた。


「違うよ。そんなんじゃない」


 俺は思ったことを振り払うように手元の衣装に目を落とした。


 一時間もあれば衣装のチェックは終わってしまった。真衣奈特製のお弁当に舌鼓を打ったあとは現役部員の演技指導をしなくてはならない。というより、俺の本来の仕事はこっちのほうだ。体育館にいく道すがら、真衣奈から預かった台本に目を通していた。


 俺たちが作り、演じたプラネタリアは、レッドマーズ率いる惑星戦隊が、力を合わせて悪役の冥王星を倒すという話だったが、今回のプラネタリアは敵だった冥王星が仲間になり、他の銀河の星と戦ったり、ヒロイン役の地球とレッドマーズとの恋物語があるとかなんとか。俺たちと同じことをやるよりは新鮮味があって面白いとは思う。なのに自分たちが作り上げたものだからか、変わっていくのはどことなく寂しいとも感じていた。


 にしても恋物語とは、紗季が聞いたらなんていうかな。


 そう思ったところで、また紗季のことを考えている自分に気づいた。


 職員室の前をとおりかかったところで祐介さんに会った。


「翔吾来てたのか。ならちょうどよかった。ちょっといいか?」


 そう言われたが、部員の演技指導を行わないといけないから断ろうと思った。しかし祐介さん特有のいつもの飄々とした様子はなく、代わりに備わっていたのはめったに見せない厳しい表情だった。結局、有無を言わせない雰囲気に負け、少しだけならと応じることにした。


 職員室の中は、さっきまでいた部室や廊下と違ってエアコンが利いていた。汗がすっとひいていった。何人かの教師と視線があった。名前を覚えている教師もいれば、顔すら覚えていない教師もいた。それは向こうも同じらしく、知っている教師は視線だけで迎えてくれたが、名前も知らない教師はすぐに興味を失ったように机の上の資料を眺めていた。


 椅子と机が立ち並ぶジャングルを抜けると会議室に通された。三年間学校に通っていたとはいえ、決して立ち入ることのない場所は必ず一つや二つある。その一つがここだろう。よほどのことがない限り入ることはないだろう。在学中に入るとすれば……うん、考えるのはやめよう。


 会議室の中に先客がいた。それも生徒ではない。俺よりずっと年上の女性だった。その女性のことを見たことがないはずなのに、どこかで会ったようなそんな不思議な感覚にとらわれていた。


 俺と視線が合うと女性は静かに立ち上がり頭を下げた。つられて俺も頭を下げる。

「お前は初めて会うかもしれないから紹介しておく。この方は長谷川佳史乃さん、紗季のお母さんだ」


 俺はなんて言っていいか分からず言葉を詰まらせた。


 紗季の母親か。どうりで見たことがあるように感じるわけだ。

「初めまして、長谷川紗季の母親、佳史乃と申します。あなたが翔吾さんですね。娘から話は聞いております」


 佳史乃さんは外見は紗季に似ていたが、礼儀正しく、それでいてやんわりとした声色をしていた。いつも元気でハツラツとしていて、ゲラゲラ笑う娘さんとは大違いだ。にしても、俺のことを知っていると言ってたけどどういう風に伝わってるんだろう。それが気にかかった。


「宮野翔吾です。紗季……さんにはいつもお世話になってます」


 改めてもう一度頭を下げる。普段、年上の人と関わることがそんなにないからか、どうにも要領がつかめない。もちろん、祐介さんと千枝さんは除外だ。


「ま、立ち話もなんだから座って話そうや」


 祐介さんに促されてようやく座ることができた。


「実はお前をここに呼んだのは、長谷川のことについて話したいことがあったからなんだ」


 口火を切ったのは祐介さんだった。祐介さんの口からでた紗季の名前。佳史乃さんの存在からなんとなく予想はついていた。俺は身構えた。


「翔吾、お前長谷川と今でも連絡とってるか?」

「いや、ここ一週間ほど連絡はとってない。メール送っても返ってこないから、読んでるのかどうかすらわからない」

「そうか」


 祐介さんが口元に手を当てて考え込む仕草をとった。昔から考え事をするときは決まってこのポーズだ。癖なのかもしれない。


「それじゃあ長谷川と連絡が取れなくなる前、変なところとかなかったか? 例えばどこかへ行くとかそんなことを話したりとか」

「なんにも聞いてない。いつもどおりの話をしてって感じだけど。なんだか取り調べみたいだな」


 意識して言ったわけじゃなかったが、思わず出た言葉が失言だったと後悔した。それを俺が不満に思っていると感じたらしく、佳史乃さんが「ごめんなさい」と頭を下げたことで俺も慌てて頭を下げた。


「ということは、お前は長谷川からなにも聞かされてないってことだな」

「聞くもなにも話した通りだ。……なにも聞かされてない?」


 祐介さんの言葉にひっかかりを感じた。それを指摘するも祐介さんはたじろぐことなく「それが本題だ」と切り返した。


「翔吾さんに大事なお話があります。いまから話すことは娘のことですが、もしかしたらあなたにとってとても不快な話に思われるかもしれません。紗季が転校した理由はご存知ですか?」

「いえ、本人からはなにも」

「そうですか。それでは紗季がを患っているという話もご存知ではないようですね」

「は?」


 思わず出た声は上ずっていた。


 紗季が心臓を患っている……?


 そんな……。俺の知っている紗季はいつも元気で、底抜けに明るくて、人の迷惑も考えないで周囲を引っ掻き回す、そんなやつだ。しかし、もたらされた言葉はそんな印象とは正反対、信じられるわけない。けれどそんな反応すら予想してたように佳史乃さんは話を続ける。


「今からお話することは、できれば他言無用でお願いします。ほかの方にまで余計な心配をかけたくないので」

「どういう……ことですか」


 不穏な空気が立ち込める。その先を聞いてはいけないとどこかで誰かが叫んだ気がした。ゆっくりと重い扉が開くように真実が明らかになる。


「娘は……紗季は……あとひと月しか生きられません」


 俺にはその言葉が遠い異国の言葉のように聞こえた。


「そんなの……」

「信じられないという顔をしていますね。でも本当の話です」


 佳史乃さんが目を伏せた。俺は所在なさげに視線をさまよわせる。近くにいた祐介さんと目があった。祐介さんが視線を外す。それが真実だと物語っていた。


「どうして」

「はい」

「どうして俺にそんな話を」

「以前、実家に残っていた紗季の日記を読んだことがあります。そこには高校に入学してから今までのことが詳細に書かれていました。あの子が日記を書いてるなんて夢にも思っていなかったので意外でしたが、あの子のことを知るいい機会だと思い、悪いことだと気づいていましたが目を通しました。意外にも書かれていた内容はそんな体に生んでしまったわたしへの恨みなんかではなく、普通の少女が普通に学校生活を満喫しているようなそんな内容でした。その中にあなたの名前が多く出てきていたので、あの子にとってあなたはとても大切な人だと思ったのです。こんなときになって初めて娘の気持ちを知るなんて母親失格ですね」


 佳史乃さんが表情を崩すことなく、けれど肩を落としていた。祐介さんが「そんなことはありません。わたしもそうですから」と、恥ずかしそう頭をかいていた。


「だからというわけではありませんが、どうしてもあなたには知っておいてほしいのです。このことを話すことでわたしはあなたに恨まれるかもしれません。もしかしたらあの子を傷つけてしまうかもしれません。それでも……それでもあなたに聞いていただきたいのです。娘がちゃんとここにいたということを」


 佳史乃さんが力強く言う。瞳は震えていた。


 きっと彼女にとっても娘のことを話すのは辛いはずだ。それでも紗季が存在したことを残そうとしている。現実ではない、人の心の中に。


「翔吾、俺からも頼む。佳史乃さんの話を聞いてあげて欲しい」


 祐介さんが俺の肩に手を置いた。同じ娘を持つ立場として考えたのだろう。もし自分の娘が同じ境遇にあったら、と。


「わかりました。聞かせてください」


 俺はただ静かにその言葉を受け入れた。


 佳史乃さんは紗季のいろんな話を聞かせてくれた。小さなころから心臓が弱く、まともに学校に通えていなかったこと。そのくせ少しでも元気になると無理をして心配ばかりかけたこと。中学に上がると体が良くなってきたのかソフトボールを始めたこと。けれど高校に入って大好きだったソフトボールを諦めなければいけなかったこと。天文部に入って星のことを好きになったこと。体調が悪化したせいで転校しないといけなかったこと。しばらく佳史乃さんの実家の福岡県で療養してたこと。一年休学して大学を受験したこと。最後の時だけは生まれ育ったこの富山で過ごしたいと願い、無理をしてでも戻ってきたこと。


 ……そして初めて誰かに恋をしたことを。

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