第10話 夏の風と入道雲と その2

「風が気持ちいい」

「それも信号待ちの時の気分は焼き魚だけどな」


 これから水族館に行こうというのにこんな気の利かないセリフもない。それでも真衣奈は俺のたいして面白くない冗談を「そうかも」と笑っていた。


 国道8号線から水族館を目指して走っていく。道路にゆらめく陽炎が夏の暑さを物語っていた。


 すぐ横を白いミニバンが追い越していく。家族連れなのか、後部座席に座っている子供が俺たちに向かって無邪気に手を振っていた。


 滑川なめりかわを超えて魚津うおづのほうへと近づいて来ると、海沿いに観覧車が見えてきた。遠くから見ると海の上に観覧車が浮いているように見える。澄み切った青空を背景に、観覧車の赤が一際映えていた。


 早月川を渡り終えると目的地のミラージュランドだ。


 バイクを適当なところに停めると、潮風が頬を撫でた。真衣奈の髪が風に揺れる。


「運転お疲れ様。どうしたの先輩? わたしの顔になにかついてる?」

「あ、いや。風が気持ちいいなって思って」


 返事を返すのにわずかの間があった。けれど真衣奈に見とれていたことを悟られたくなかった俺は、曖昧に答えて濁した。


「今日晴れて良かったよね。わたし雨女だから雨降るんじゃないかって心配だったんだ」

「そういやお前が遠足に行くと大体雨降ってたよな」

「そうなんだよね。前日まで晴れマークだったのが急に大雨になって。一時期、妖怪アメフラシなんてあだ名ついてたし。誰だっけそんなあだ名つけたの?」

「……悪かったよ」


 俺が居心地悪そうに言うと、真衣奈は満足したのかそれ以上なにも言ってこなかった。


 それにしても、と思う。


 日曜日だからということもあってか、駐車場は色とりどりの車でいっぱいだった。その中に先ほど見かけた白いミニバンの姿もあった。どうやら考えることはみんな一緒みたいだった。


 列が出来ている窓口に並んで順番を待つ。あのチラシの効果があったのか、予想以上に人が多い。しばらくして窓口に立つと、係の人は俺たちの姿を見るなり、なにも言わずに半額にしてくれた。


「わたしたちカップルに見えたのかな」

「実は兄妹に見えたけど半額にしてくれたんだろう」


 幻想じゃなくて現実を見せてやると真衣奈は、


「先輩のバカ」


 と言い残してさっさと行ってしまった。


 ……なにか悪いことでも言ったか俺。


 ともあれ俺も真衣奈のあとを追った。


 入場口を抜けて中に入ると、薄暗い館内の中に様々な種類の魚が泳いでいた。水槽の中だけ時間がゆっくり流れているみたいで、水の中の魚は慌ただしく動き回ることもなく、ひらりひらりと尾びれをなびかせていた。


「懐かしいな」


 俺の口から自然とそんな言葉が漏れた。横で水槽を見ていた真衣奈も俺と同じことを思ったのか、外ではあまり見せない呆けた顔をしていた。


 しばらく歩くと、トンネル状の通路に差し掛かった。


「あ、ここ覚えてる」


 真衣奈が弾んだ声を上げた。


 トンネルのようになった水槽はまるで、自分たちが海の中に飛び込んだように見えて、本当にそうなったわけじゃないが、魚のような気分になった。


 変わってない。


 俺がこの水族館で覚えてるものといえば、このトンネル状になった水槽ぐらいなものだった。どの水槽にどんな魚がいたかなんて覚えていない。あとはせいぜいタイル張りの通路にくすんだ壁ぐらいなものか。


 いままでどれだけの人たちがここを訪れ、ここを通っていったのだろう。


 ただ、この場所のこの雰囲気が、幼い頃に訪れた時の空気を残していた。


「すごーい! お魚がいっぱい!」


 すぐ側を小さな男の子が無邪気に走っていった。あとからもう一人小さな女の子が「待ってよ! お兄ちゃん!」と、そのあとを追いかけていった。


「兄妹かな?」

「かもな。そういや前にもお前と一緒に来たよな。ここ」

「覚えてる覚えてる! あの時、先輩が迷子になってさ」

「逆だ逆。あの時はお前が迷子になったんだろ。今の子達みたいにお前がはしゃぎまわったせいで、俺とはぐれたんだろうが。んで、俺が見つけた時もお兄ちゃんお兄ちゃんってずっと俺にくっついて泣いてたし。今度ははしゃぎまわって迷子になんかなるなよ」

「こ、子供じゃないんだから迷子になるわけないでしょ!」

「はは、冗談だ」


 走馬灯のように流れていく思い出に浸りながら、水槽のトンネルをくぐっていく。


「見て見て! 魚に餌あげてる」


 真衣奈が魚に餌をあげているダイバーに手を振った。すると向こうも気づいて手を振りかえしてくれた。


「いいなぁ、わたしも魚に餌あげてみたい」

「それでまるまると太った魚を今度はお前が食べると」

「そんなことないよ。……いやあるかも?」 

「どっちだよ」

「いやないよ! ……やっぱりあるかも」


 本気で悩み始める真衣奈。この年になってもやっぱり真衣奈は花よりだんごみたいだ。


 トンネルを抜けると、この水族館の目玉であるペンギンが俺たちを迎えてくれた。氷山をかたどったオブジェを背に、数羽のペンギンが夏の暑さの中ぐったりとしていた。


「暑いからかな。ペンギンたちもグッタリしてるね。休日のお父さんみたい」

「もともと寒いところの生き物だからな。仕方ないだろ」


 それでもなんとか自分たちに会いに来てくれたお客に応えようと、羽をパタパタさせている姿はなんとも愛嬌があった。頑張れペンギン。


 ペンギンコーナーを過ぎると、館内を一周してしまった。子供の頃にはそれほど感じなかったが、意外と短い。


「あっという間だったね」

「あっという間だったな」

「でも、楽しかったよ。先輩は?」

「まぁ、楽しかったかな」

「ならよかった」


 真衣奈が嬉しそうに頬をほころばせる。


「よし、それじゃあ第二ラウンド。次はあそこに行ってみよ!」


 真衣奈が指さしたのは水族館の前にある遊園地だった。


「ほらほら、楽しみはここからだよ」


 走り出す真衣奈。俺はやれやれと頭をかきながら空を仰いだ。日が沈むにはまだまだ早いみたいだった。


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