第19話 魅了魔術と啓発

 翌日。

 女子更衣室での事件発生のため、魔術学院は1日間の休校措置を取っている。

 そのため生徒はいないが、教職員はいつもどおり事務作業を行っていた。



◇ ◇ ◇



 そして今は昼休み。

 エドガーはさっさと昼食を取った後、とある教室の扉を開けた。


「やあ、ルイーズ」

「エドガー先生、こんにちは」


 ルイーズは真剣な表情で、エドガーに挨拶をした。

 彼女はこれから特別授業の名目で、エドガーによる《異端魔術》の講義を受けることとなるのだ。


 《正統》から《異端》の道へ向かうことは、すなわち自滅の道を歩むことと同義だ。

 いくら「魔術で人々を救いたい」という信念があったとしても、緊張しない人間などいないだろう。


 だがエドガーはルイーズの覚悟を問うたりはしない。

 それは昨日の夕方に行われた問答で、はっきりしている。


 エドガーは教室のドア・窓をロックし、カーテンを閉め切る。

 そして外部に音がもれないように、防音結界を展開させる。


「早速だが今日は、ある意味最も恐ろしい魔術に触れてもらう」

「最も恐ろしい……?」

「無属性魔術の一つ、《魅了魔術》だ」


 魅了魔術は、他者の心に働きかけて性欲・恋愛感情を増幅させるものだ。

 表向きには、そのような魔術は神話・伝承の世界にしか存在しないことになっている。


 しかし実際は違う。

 魅了魔術は教会によって《異端魔術》として認定され、世の中に出てこなくなっただけである。

 探せば伝承者はいくらでも見つかる。


「──っとまあ、概要はこんな感じだな」


 エドガーが一通り説明を終えると、ルイーズは彼の両手を取って睨んできた。


「ち、ちょっと待って! あんた、もしかして私に使ってないでしょうね!?」

「使ってない! あんなのをみんながいるところで使ったら、教会から狙われる!」


 当初、ルイーズはエドガーに対して敵意を剥き出しにしていた。

 しかし今はむしろ、彼を好意的に見ている節がある。


 確かに、魅了魔術を調整して用いれば、対象者の好感度を「大嫌い」から「ちょっと好き」くらいに変化させることは、一応可能ではある。

 だがエドガーは、そんな風に人の心を操ることを嫌っている。

 なぜなら、魔女による魅了魔術のせいで破滅した人々を、何人も見てきているからだ。


 エドガーはルイーズに掴まれている両手を強引に引き剥がし、深呼吸して続ける。


「この魔術はある意味、他人に直接害を与える黒魔術より危険だ。恋愛感情などを利用して依存させ、自分の意のままに他者を操る。そんなものは犯罪者への尋問とか、極限られた用途でしか使ってはならないと俺は思う」

「よくわからないわね……じゃあなんで、そんな魔術を私に教えるの?」

「『何がどう危険か』『なぜ使ってはならないのか』をきちんと認識するためには、正しい知識が必要だからだ」


 魅了魔術の性質を「他者の性欲・恋愛感情を操作する」と定義する。

 そこで出てくる危険性や問題点は、「被害者の意思とは無関係に、術者に依存してしまう可能性が出てくる」ということになる。


 否、「被害者の意思が捻じ曲げられる」と言ったほうが正しいかもしれない。

 被害者本人は、魅了魔術によって作り出された感情を「本物」だと思い込んでしまうのだから。


 被害者が「本物」の感情に身を任せて行動することで、その社会的地位が脅かされる危険性がある。

 不倫・寝取り・婚約破棄・犯罪行為などといった形で、被害者は術者に利用されてしまうのだ。


 その術者は自らの手を一切汚すことなく──


「──『魅了魔術は危険だから使っちゃダメ!』などといってロクに教えもせず、ましてや存在の秘匿さえ行う。そんな現状だから、とりわけ危険な魅了魔術に対する法規制は皆無なんだ。ただ、教会が異端狩りするだけ。そもそも一般人は存在さえ知らない。無知であること、その無知に無自覚なこと、それが一番危険なことなんだ」

「確かにそのとおりかも……そういえば私、小さい頃は両親に色々禁止されてたけど、なんでやっちゃダメなのかが分からなかったから、納得出来なかったのよね」

「そういうことだ」


 ルイーズは自身の経験から、エドガーの授業内容を理解しようとしていた。

 理解が早くて助かると、エドガーは感心する。


 エドガーはルイーズに1冊の本を渡し、文節を指差す。


「じゃあ今から、君には魅了魔術を使ってもらう。詠唱はこの本に書いてあるから、それを読み上げるんだ」

「え……せ、先生に使っていいの!? っていうかあんた、性欲に身を任せて私を襲ったりとかしないわよね!? 変態にも程があるわ!」

「いくら変態の俺でも、そんなことはしない!」

「変態なのは認めるのね……」

「──ま、まあ……実際に使ってみないと分からないこともある。俺の無様な姿を目に焼き付け、魔術の恐ろしさを思い知ってくれ」


 ルイーズは「わ、分かったわよ……」と、力なく呟く。

 覚悟を決めるためか、大きく息を吸って吐いた。


「《我は彼の者を蠱惑こわくする者なり。彼の者の情動を征服する者なり。彼の者は我が虜囚りょしゅうなり》」


 ルイーズは詠唱を省略せずに、フルパワーで魔術を行使する。


 その瞬間、エドガーの心と身体には変化が起こった。

 教え子であり王女であるルイーズを、性的な目で見てしまうようなったのだ。


 綺麗な銀髪は腰まで伸ばされており、顔をうずめて香りを嗅ぎたい気分になる。

 顔はとても可憐で、赤眼がとても映えており、ずっと眺めていたくなるほどだ。

 艶のあるピンク色の唇を見ていると、キスしたくなる。

 背は高くスタイル抜群で、小さすぎず大きすぎない胸に目が行き、抱きしめたくなる。


 やばい、ルイーズめちゃくちゃエロい!


 エドガーがそれを自覚した途端、鼓動が激しくなり血の流れが速くなるのを感じた。

 それがさらなる性的興奮を招き、脈が激しくなるというスパライルを生み出す。


 エドガーは必死に歯ぎしりして耐え抜く。


「くっ……マズい……効き目が強すぎる……俺の魔術耐性を貫通しやがった……」

「だ、大丈夫!? 顔、すごく赤いわよ!?」

「ああ……──何でも一つだけ命令してくれ。魅了魔術がどれだけ人の心を捻じ曲げ踏みにじるか、実感できるから」

「えっと……そうねえ……」


 ルイーズは申し訳無さそうにしつつも、命令を考える素振りを見せる。

 彼女の悩ましそうな表情は、エドガーにとってはまさに目の毒だった。


「うーん……あっ、じゃあしばらくお嬢さま言葉で話してみて?」

「えっ」


 ルイーズの命令は、普段のエドガーにとっては到底従えるものではない。

 しかしながら魅了魔術を受けているエドガーは、術者であるルイーズの命令に強制力を感じてしまう。


 命令に従えばさらなる寵愛を得られる。

 あるいは、命令に逆らえば失望される。


 これこそが魅了魔術の危険性である。

 恋愛感情や性欲が、人から理性と正常な思考力を奪うのだ。


「よろしくてよ。他でもないルイーズの頼みですものね。わたくし、がんばりますわ」

「プッ……あはははははっ!」

「わ、笑わないでくださいまし! 貴方が命令したのではなくって!?」

「まさか本当にやっちゃうなんてね! あははははっ!」


 ルイーズは口元を押さえながら哄笑する。

 笑い声を心地よく感じつつも、エドガーは唇を勢いよく噛む。


 口の中には血の味が広がっていき、とても不快である。

 しかし、こうでもしなければ取り返しのつかない事になると、エドガーは警戒しているのだ。


「こ、これでお分かりになって? 先程のご命令は大したものではありませんでした。が、これが犯罪行為に悪用されたらどうなるか、想像できるかしら?」

「あはは……はあはあ……確かにそのとおりね。いつものあなたなら、絶対にこんな事やらないでしょうし──っていうか、唇から血が出てるじゃない!」

「大丈夫ですわ、これくらい……もうそろそろ、魔術を解除してくださいな」


 ルイーズは「わ、分かったわ」と言うと、魔術を霧散させた。

 それと同時にエドガーの性欲や動悸が治まっていく。


 ルイーズの綺麗な赤眼を見つめるが、水準以上に可愛いと思うだけで、「独占したい」などとは思わない。

 エドガーは彼女に対し、「大切な教え子」という感情しか思い浮かばなくなった。


「そ、そんなにじっと見つめないで……」

「よし、後遺症はない──今ので使い方は大体分かったな? 実際に使用したことで、君は魅了魔術に対する耐性を得た。もし魔術をかけられても抵抗は出来るだろう」

「そうなのね……そ、それで……あなた、私に魅了魔術を使うの?」

「いや、使わない」

「使いなさいよ! あんたが今まで本当に私に魔術を使ってなかったのか、確認してあげるわ!」

「ええっ……」


 何故かルイーズは顔を赤らめさせながら、食い気味にツッコんできた。

 どうやら彼女は、エドガーがソフトな魅了魔術を使っていると本気で思っているらしい。


 エドガーはなるべく効力を減衰させるため、無詠唱で魅了魔術を用いた。

 ルイーズは目を潤ませ、身体をよじらせる。


「せ、先生……なんか、熱いわ……」

「あれ? だいぶ弱めたんだけど、魔術耐性があまりないのか? ──まあいい……じゃあ可愛い妹キャラを演じてくれ」


 エドガーはルイーズの様子を不審に思いつつも、魔術の恐ろしさを教えるために命令する。

 ルイーズは突如として泣きそうな顔になり、彼に抱きついてきた。


「ちょっ──エッッッッッ!」

「わたし……怖かった……! みんなもアリスもわたしも、死んじゃうかと思ったよ!」

「そうか……怖かったな……よく頑張ったな……」

「お兄ちゃんが助けてくれたから、生きて帰ってこれたんだよ……ありがとう……!」

「えと……は、離れてくれないか……? この状況は流石にマズいと思うんだが……」

「アリスに抱きつかれたときはなにも言わなかったくせに、わたしじゃダメなの!? お兄ちゃんのいじわる! 変態! ロリコン!」

「ええ……」


 ルイーズは目に涙を溜めながら、膨れっ面で文句をつける。


 確かに昨日女子更衣室でアリスに抱きつかれたとき、エドガーは何も言わなかったし感じなかった。

 だがあのときは人を殺した直後だったため、「女の子に抱きつかれて興奮する」などという発想を持ちえなかったのだ。


 しかし、今は違う。

 危機はすでに去り、感情は弛緩しきっている。

 ルイーズの身体の柔らかさ・体温・香り・声のすべてに対して感じてしまう。


 ルイーズは甘えた声で囁く。


「これからはずっと一緒だよ……おにいちゃん……」


 ──このあと滅茶苦茶授業した。

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