八、屋敷妖精

 再び訪れた夜の静寂。天井の燭台の光のみが、ゆらゆらと広間を照らして揺れる。

ドルジ「良い“お片付け”じゃったの」

 ドルジは、数多の骸と化した人形から比較的状態の良いものを拾い上げて鞄に仕舞いつつ、緊張を解いてほっと溜め息をついた。

 その時、階段の上の二階から、かすかなオルゴールの音色が聞こえてきた。

パンドラ「やれやれ、まだ遊び足りないって言うのかい?」

 少し気怠そうに剣を握るパンドラ。が、

クルト「ううん、さっきと違ってマナの気配はもうない……この気配は……ブラウニー?」

 クルトの小さな指が、階上を指した。

ドルジ「ノエル嬢もおるやも知れん。行ってみるとするかの」

カテナ「グルッ……!!」

 二階へと至る障害がなくなると同時に、狼は一目散に階段に向かって疾っていた。

 スピードを殺さず段を器用に駆け登りながら、暗視・音・匂い等、研ぎ澄ました五感を頼りに、友達を、仮初の伴侶を必死に探した。

カテナ「グルルゥ! ガルルゥ!!」

パンドラ「よーし! 待ってなノエルちゃん!」

 パンドラは二階へ向かう階段をわずか三足で駆け上がり、二階に先に登ったカテナの背後に立った。

パンドラ「(私の耳には何も視えない……)カテナくん、ノエルちゃんの匂いは感じる?」

 狼は軽く振り返り、キリッと整った眼で背後に立ったパンドラを見た後、

カテナ「ガルゥ!」

 パンドラの問に答えるように、くいっと鼻先を前方へ向け、再び動き出した。

 前方からは、か細くオルゴールの音が流れてきており、近付くにつれ徐々に音量を増していった。

カテナ「ガゥ! ガルゥ!」

 どうやら、オルゴールの音とかすかなノエルの匂いは、二階の左奥の部屋から漂っているようだ。

パンドラ「この部屋かい?」

カテナ「グルルゥ……」

 今にも突入しそうなカテナを制動し、扉の前で聞き耳を立てるパンドラ。

パンドラ「寝息を立てているようね。心拍にも不穏な気配は無く、落ち着いているようだわ」

クルト「ブラウニーさんの強い気配がする……敵意は無さそう。ていうか、こんなに強くブラウニーの気配が伝わってくるのは初めて……わたしたちに心を開いてる……?」

 クルトも、少し珍しい事態に目を丸くしつつ部屋の様子を探った。

「皆さんご無事ですね」

 不意に後ろからアイシャの声がした。

 アイシャは黒猫のMr.トンベリを抱き上げ、皆の列に加わった。

アイシャ「そのままの格好では、ノエルちゃんを驚かせてしまうんじゃないかしら? カテナ」

 狼カテナの背中を撫でつつ、アイシャは言った。

カテナ「ガルッ……!」

 ノエルを見つけることで頭がいっぱいだったカテナは、アイシャに言われて自分が狼の姿のままであることに気付く。

 狼は両前脚を前方に伸ばして全身に力を込めると、身体を覆っていた蒼白の獣毛はみるみるうちに短くなっていき、やがて消え、人の肌が露わとなった。

 四つ足から軽く跳ねて宙返りをし、既に人の子の姿へと化したカテナは、二本足でしっかりとその地に降り立った。

カテナ「ふぅっ! ありがとっ、アイシャ!」

 カテナはニッと、キバを見せながらアイシャに笑顔を向けた。

クルト「それじゃぁ、行くよ……」

 クルトは小声でそう言って、ドアノブにそっと手をかけた。

 扉は軋み音を立てて開き――

 蝋燭一本が揺れるばかりの部屋の中には、揺り籠状のベッドの上で丸まって寝息を立てる少女と、その傍らには、茶色い肌の小人のような生き物がいた。

カテナ「ノエっっ……!」

クルト「しっ――!」

 一目それを見るや飛んで行きそうになったカテナをクルトは押さえて、人差し指を口の前に立てた。

 同様に、小人のような生き物も、こちらを振り向くと、人差し指を口の前に立てた。

 ノスタルジックなオルゴールの音色が静かに響き、少女ノエルの頭上には月や星を象ったオーナメントがゆっくりと回る。それらに包まれて、ノエルは心から安らいだ表情で寝息を立てていた。

クルト「ブラウニー……さん?」

 クルトが小声で訊ねると、小人はこくりと頷いた。

クルト「みんなにも見えてる……?」

 クルトは振り返って一同に訊ねた。黙って頷くドルジやアイシャ達。

クルト「精霊さんが自ら姿を顕すなんて……」

 クルトは驚きに目を丸くして、独り言のように呟いた。

ブラウニー「悪イ奴ラガ子供襲オウトシタ……ダカラ此処ニ匿ッタ……オ前達、下ノ悪イ奴ラ倒シテクレタ……イイ奴ラダト見ナシタ」

 ブラウニーは、ベッドをゆっくりと揺り動かしながら、小声で言った。その言葉は、精霊使いシャーマンであるクルト以外の者の耳にも届いた。

カテナ「……ッ! ……ッ!!」

 目の前に探し求めていたノエルがいる。今すぐにでも駆け出そうと、何度も本能で足裏に力を入れては理性で踏み止め、を繰り返す。

 カテナは左右傍にいるクルトとアイシャの服の裾を、それぞれの手で思い切り握りしめていた。そうでもして理性を保ちつつ自らを繫ぎ止めておかなければ、本能が暴れてしまいそうだった。

カテナ「ノっ、ノエルはッ……! ノエルはだいじょーぶなのっ……!? なにもされてない……!? ただねてるだけっ……!?」

 叫びたい衝動を抑え、カテナは必死に声を潜めてブラウニーに言った。

ブラウニー「心配ナイ、寝テイルダケ……」

 ブラウニーはベッドを揺するのを止めて、ゆっくり立ち上がり、

ブラウニー「ソロソロクラウスノ処ヘ還ソウ。鏡ニ手ヲ当テテ」

 そう言うと、部屋の隅にかかった大きな姿見鏡が淡く白い光を放ち――

クルト「そいえばノエルちゃんのお部屋にも大きな鏡あった……ここが繫がってたんだね」

 クルトは鏡に近寄ってまじまじと見て、手をかざしつつ独り言のように呟いた。

ブラウニー「オ前達、コノ屋敷ヲ守ロウト頑張ッテクレタ。感謝スル。私ハじきニ消エルカモ知レナイガ、オ前達ノコト忘レナイ……」

 ブラウニーは少し侘しげに手を振った。

クルト「あなたを消えさせたりなんてしないよ! わたしたちがこの孤児院を守ってみせるから……!」

 クルトは少し力強く微笑んでブラウニーに応え、

クルト「みんな手を繫いで! カテナは最後尾でノエルちゃんの手を握ってて……そっとね!」

 そう言うと、一呼吸をして、そっと、しかし思いきったように、鏡に手のひらを当てた。

 鏡が少しずつ光を強めていった。

パンドラ「誰かを犠牲にした上で成り立つ幸せなんてごめんだね! 全員救う! それが私たちのやり方さ♪」

 パンドラは笑みを浮かべながらブラウニーにウインクをした。

 仲間たちと繫ぐパンドラの手は力強く、そして母が我が子を慈しむような優しさがあった。

 ノエルが眠る揺り籠に近付き、カテナは傍で寂しげに立つブラウニーに小声で話しかけた。

カテナ「ノエルをまもってくれて、ほんとにありがとっ! こんどはオイラたちがキミをまもるばん! このままここをなくしたりなんて、キミをきえさせたりなんてしないからッ!」

 そう言って、カテナは力強い笑顔をブラウニーへ向けた。

 ノエルへと目を移すと、すやすやと寝息を立てるノエルの顔を間近で見て、カテナはようやく緊張の糸が切れてふにゃりと表情を崩した。

 そして片手で仲間の手を繫ぎ、空いたもう片方の手を眠ったままのノエルの手と繫いだ。

 そう、クルトに言われた通り力を入れすぎないように、でも離れないように、そっと、そっと。

 少し前まで密室から忽然と姿を消していたノエルが、今は温もりが掌から直に伝わって来て、カテナは思わず涙が溢れそうになった。

 誤魔化そうと軽く頭を振り、眠っていて聞こえないと分かっていながらノエルに向かって話しかけた。

カテナ「おそくなってごめんね、ノエル。もうだいじょーぶだよっ。いなくなっちゃってオイラびっくりしたけど、でも、ぜったいみつけるんだって、ぜったいたすけるんだっておもってた。だって、オイラは――」

 ふいに、体が、視界が、景色が眩い光に覆われて、水の中にいるような、浮いているような、不思議な感覚に襲われていた。

 まどろみの中で、カテナは最後まで言葉を口にした。

 だって、オイラは、ノエルをすてないんだから――。


 鏡がひときわ強い光を放ち、手を繫いだ冒険者達は一瞬視界が真っ白になった。

 そして、皆の脳裏に浮かんだ情景――

 大勢の子供達が、まばゆい笑顔を浮かべて、二棟の洋館に挟まれた中庭で遊んでいる。

 そして、オルゴールが静かに響き、月や星のオーナメントがゆっくりと回る小部屋。

 揺り籠に眠る幼少のノエルとおぼしき女児。

 慈しみに満ちた微笑で揺り籠を揺する若い女性。

 姿見鏡の中から半透明の姿でそれを見守る小人――


 光が薄らいで、次第に視界が開けてゆく。

 気が付くと、冒険者達はノエルの部屋に立っており、ノエルはカテナの手を握ったまま、自分のベッドの上に横たわって寝息を立てていた。

クラウス「おぉ、皆さん! それにノエル……!」

クルト「しーっ……」

 部屋の椅子に座っていたクラウスは、はっとした様子で立ち上がり、ノエルのもとに駆けつけようとした。クルトはそれを遮り、口元に人差し指を立てた。

クラウス「おっと、失礼……皆さんご無事で何よりです。ノエルは……」

クルト「大丈夫、ぐっすり眠ってます」

 少しおろおろとしつつ、小声で訊ねるクラウス。クルトも小声でそれに答えた。

ドルジ「――と、そんなことがあっての」

 ドルジは、斯々然々と事の顚末を話した。

クラウス「そうでしたか。本当に、何とお礼を申し上げたら良いのやら……」

ドルジ「いや、まだ終わっていませぬぞ」

 心底恐縮そうに頭を掻くクラウスに、ドルジは続けた。

ドルジ「鹵獲した魔法人形の体内に、こんなものが入っておった」

 ドルジは、懐から一枚の紙切れを取り出して見せた。

クルト「あっ、この紋章……!」

 そこに描かれた紋章に、クルト達は見覚えがあった。

アイシャ「例の魔法屋の看板と同じですね」

クルト「ていうことは、やっぱり……」

ドルジ「うむ。一連の人形事件の真犯人は、市庁のあの連中で間違いないじゃろう」

 ドルジは一計を案じたように囁き、紙切れを懐に仕舞った。

クラウス「つ、つまり市庁の方々が人形事件の黒幕だということを告発すれば……」

ドルジ「うむ。この孤児院の命運を好転できるやも知れんというわけじゃ」

 少しせっつくように言うクラウスに、ドルジは深く頷いて言った。

アイシャ「市庁の方々の皆が皆、例の方々のように陰湿とは思えません。恐らく、水面下で事態の火消しを望まれるでしょう。正面切って告発するより、まずは魔法屋から証言を引き出し、それをてこにして例の市庁の方々に揺さぶりをかけて、先の通告を撤回に持っていければいいですね」

 アイシャも、僅かに鋭さを秘めた微笑を浮かべつつ、付け加えて言った。

カテナ「……???」

 話が(少なくともカテナの頭の中では)難しくてついて行けず、真面目な顔つきのまま、聴いたままに己の頭の中で情報を整理し始める。

カテナ(えーっと……まほーやとしちょーのひとたちがわるいヤツで……。しちょーのひとたちはみんなわるくなくて……? えっ、どっち? んと、みずのなか、かな? みずのなかで、ひをけしたくて? えぇ?? えっと……まえをきるんじゃなくて、まほーやのひきだしでテコってゆーのをつくって、しちょーのひとたちをガクガクゆらして?? サキノツーコクってゆーのを、てっかいってところへもっていけばいい……んだね!)

 整理(?)が終わったカテナは、自信に満ちた顔で、一言こう叫ぶのだった。

カテナ「ナルホドっ! よくわかったゾ!」

アイシャ(分かってない……この子、絶対分かっていないわ……)

 カテナの反応を見て、アイシャは心の中で呟き、膝をかがめてカテナに説明した。

アイシャ「つまりね、人形事件の実行犯は昨日の魔法屋さんで、それを依頼した真犯人は昨日やってきた市庁のおじさんだということがほぼ分かったの。でも、警察に訴えたりするより、市庁のちょっと偉い人くらいにこっそりチクって、相手の弱みを利用して交渉すれば、この孤児院が続くようにしてもらえそう……っていう計画よ」

ドルジ「うむ。その作戦が良いじゃろうな」

 ドルジも続けて言った。

カテナ「が、がぅっ?」

 なかなか要領を得ない野生児は、アイシャの根気良い説明により、ようやく納得したようだった。

カテナ「そーゆーことかっ! ……うがっ! やっ、わかってたよ? わかってたケドね!」

 冷汗を流し、目線を逸らしながらも、野生児はドヤ顔をキメていた。

パンドラ「本当なら市庁舎に殴り込みに行きたいけど……皆の帰る場所を守るためだ。私にできることなら何でも言っておくれ!」

 パンドラは力強く自分の胸に拳を当てた。

ドルジ「その為には、まずは魔法屋に詰め寄って証拠を引き出すことじゃな。しかし、人形が倒されて危機感を覚えて夜逃げするようなことは無いじゃろうか?」

アイシャ「それは恐らく大丈夫です。魔法屋店主に“ロケーション”の魔法を掛けておいたのですが、今のところ動きがありません。恐らく、自分の仕業だとばれたことにまでは考えが及んでいないのでしょう。もう夜更けですし、戦闘で魔力も体力も消耗しています。私達は休んで、明日朝一で詰問にまいりましょう。万一逃亡しても魔法で位置特定できますし」

 いささか心配そうに言うドルジに、アイシャはウインクを投げて答えた。

ノエル「う~ん……ママ……」

 ベッドの上で眠っているノエルは、軽く寝返りを打って寝言を呟いた。

アイシャ「きっと、いい夢を見ているのね。起こしてしまったら悪いですから、私達は別室にまいりましょうか」

クルト「ん。ノエルちゃん、おやすみ……」

 アイシャとクルトは再び声を潜めて囁いて、一同そっとノエルの部屋をあとにした。

カテナ「えっ……あ…う…がぅ……」

 目を離した隙に、またノエルが何処かへいなくなるんじゃないかと不安になり、離れるのを拒もうとしたカテナだったが、皆が部屋から出て行くのを見ると口に出せず、おとなしく皆に続いて部屋を出る。

 何度も振り向いてノエルの部屋のドアを見ながら、カテナは部屋から離れて行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る