第12話 侵入者

「白饅頭が二つ、白饅頭が四つ」呪文のように同じことばを唱えながら、虫丸は天守の壁から壁をやもりのように張り付いて移動していた。

 長年酷使してきた四肢には、連夜の忍び込みによってかなりの負担がかかっており、ときおり関節が痛んだりする。

 それでも、

(あの刀を持って帰れば大枚が貰える。そしたら、他人に仕えるのはやめて、気候のいい所に引っ越して、居抜きで宿屋を買ってもいいかな)

 そう考えれば、このぐらいなんでもなかった。昨晩は慎重を期して手ぶらで帰ったが、探し当てた刀のありかを雇い主に報告したところ、

「太刀を持ち帰れば百、いや二百両」

「げっ、二百両」

「もし小刀も取ってくることができればさらに百。そして、わしの言う通りに処分できればもう百両を渡そう」と、驚くべき褒美を提示された。

「しめて、よ、四百」

 雇い主は無表情にうなずいた。

「むろん、この仕事だけの金だ。お前にも手伝わせてきた我があるじの宿願は、まもなく一段落を迎える。その折には特にはからい、あらためてお前にまとまった礼を渡そう。このたびの金と礼金を合わせれば、余生を楽に過ごせよう。どうだ」


 この怖い顔をした僧について、お天道様には無縁な裏側の世界にいる割には、珍しく金や色に執着の薄い男だとは知っていた。

 だが、今回の提案の気前よさにはおもわず、「へへっ、お任せください」と頭を下げてしまった。妙に律儀なところのある円津なら嘘もつかず、間違いなく金をくれるだろう。

 ただし、虫丸本人は金と色に執着がありありである。

 地面にすれるほど頭を下げつつ、十五万石の城持ち大名がわざわざ天守に安置するほどの宝刀なら、

「いくらでも買い手はいる。他に高値で売れたらもっともっと儲かる」との考えが頭をかすめる。

 円津からは、「刀を盗み出したらまず指示する場所に埋めよ。そのあと時をおいてから別の場所に運んでまた埋め、最後は破却する」とのおかしな注文がついている。

 埋め直すのは他の国の領内を予定しているようである。これを利用すれば逃げる時間ぐらい稼げそうだ、と欲が湧いて、さまざまな奪取計画が脳裏に浮かぶ。

 しかし、僧の陰気な顔と底の知れない不気味な雰囲気は、裏をかく気力が吸い取られるほど怖い。そんなことをやらかしたら、地獄まで追いかけてきそうだ。

(だから、今回は素直に止めにしとこう)と、自分に言い聞かせた。


 いま仕えている円津は –––– 彼にも「あるじ」がいるとたびたび聞くが会わせてもらったことはない ––––– 気味の悪さはとびっきりの一方、これまで仕えたどの親方より気前が良かった。

 専属になってもう三、四年になるだろうか、真面目に命令をこなしてきたおかげでかなりの蓄えもできた。

 それに虫丸は、

(あのひとの言いつけも、決して……)腹の中で考え、にやりとした。

 雇い主は、僧形のくせにときどき人を殺した。武芸の心得があるらしく、人相に因縁をつけてきたやくざから二本差しまでためらいなく始末した。

 邪魔者を虫丸に始末させることも少なくなかった。

 以前、江戸にいた時分は、大名屋敷を夜な夜な巡ることを繰り返し、その結果十手持ちに目をつけられたことがあった。大名屋敷目当ての盗賊と間違えられたようだったが、その十手持ちを闇夜に襲うよう命じたりした。

 しかし虫丸は、命令によって人を殺すのは、嫌いではない。いや、命令がなくとも人殺しは嫌いではなかった。この気質のせいで昔の仲間やお頭には嫌われ、追い出されてしまったのだけど、いまの雇い主なら手際がよければ褒美さえくれた。

 実は気のあった主従なのかもしれない。

 ただ、虫丸と違いがあるとすれば、楽しむための殺しは円津の嫌うところだった。そして、目的にはずれた行為も激しく嫌った。


 ついこの間も、せっかく苦労して城に忍び込むのだからと、思いつきで、

「あの若造の命もついでになんとかしましょうか」と言ったのは蛇足だった。むろん虫丸にも一国のあるじを始末した経験などなく、ちょいとばかり格好つけをしただけだったのだが、

「なんだと」と、思わぬ不興をかってしまった。

 少年城主への仕打ちは、円津が仏道より上に置く「あけ」様の純粋な楽しみであり、そこには深い思想があるのだそうだった。

 城主の暗殺を断るどころか、もしも勝手な振る舞いをするつもりならば、

「お前も結縁させるぞ」と、夢に出そうな怖い顔でいわれてしまった。

「ひっ、出過ぎた冗談にございます」


 結縁と雇い主が呼ぶ行為だけは、虫丸も苦手だった。

 その中に、人を傀儡にする作業というのがあって、何度かつきあわされたりもしたが、どうも理屈がよくわからない。

 それに、対象によって合う合わないがあり、半分は死んでしまう。その場で泡を吹いて死んだのも見た。こっちが死にそうなほど恐ろしかった。

 まず、なぜそうなるのがさっぱりわからない。護摩を炊いて呪文を唱えたりするわけではなく、口を用いて相手を説得?する作業が大半で、あとは印みたいな浅い傷をつけるだけ、虫丸は対象者の腕や体をつかんでそれを手伝うわけだが、これがどうにも気味が悪くて仕方ない。

 なるべく他の用事を思い出すようにしていたのだが、この国にきた当座、雇い主とよく一緒にいた六兵衛という男の姿が見えなくなると、虫丸に声のかかることが増えた。

 裕福な商人風の六兵衛は、なかなか話上手なうえ円津のように武断的ではなく、「あけ」様からの命令も柔軟に実行している印象があった。どちらかといえば雇い主より好きだったぐらいなのだが、ある日からぱったり気配が消えた。末路はなんとなく想像がつくので、聞かないでいる。


 実際、百両相当の小刀は城主が身のそばに置いているらしいと聞き、天守からの帰途、

(ついでだし、たしかめよう)と、寝所に忍び込みを試みた。

 ところが、寝所と思われるあたりの床下も天井裏も、金具を使って封をしてあったりして、容易に他から入り込めないようになっている。

 仕方ない。そこでかなり離れた降りられそうな部屋を見つけ、足を踏み入れようとしたとたん、鈴の音が響いてどたどたとこっちに足音が向かってきた。

 虫丸はあわてて引き返した。

 どうやら、近習なのか護衛なのか、殿様に近い家臣の中にできる奴がいるらしい。ここで粘ったら、バッサリやられる可能性は高い。

(あぶない、あぶない)

 さすが、大名ともなると気の利く手下を飼っているものだと感心した。

 

 今宵の虫丸は、とにかく計画を単純化し、まちがいなく達成できるよう考えていた。

 まずとにかく、太刀をなんとかしよう。あとはそれからだ。

 虫丸は天井の段差を蜘蛛のように乗り越えつつ、じりじり太刀に近づいた。

 昨晩に続き、天気は良かったので、外壁から城の中への侵入は問題なかったし、今夜も見張りの体制は変わっていない。まあ、手指足指はつらいが、順調ではある。

 ようやく、太刀を見下ろせるところにきた。


(しかし、いい大人が、そろって刀に血道をあげるなんて、なんだかな)と、霊験なんて興味のない虫丸は、家伝の鎧と一緒に安置してある太刀を見下ろして、そう思う。

 せいぜい匕首しか使わない彼にとって、太刀なんて長く重いだけの「金目のもの」でしかない。金になると思えばこそ、ここまでやってきた。

 刀の由緒とか美しさなんて「ふーん、そう」としか思わず、見張りまで置いて飾っておくなんて、理解の外である。

 一緒に並べてある脇差しは刀工も由緒も違うようで、奪取は不要と言われた。

 しかし、城下の噂によると脇差だってびっくりするほど高価な品らしい。すごく偉い人からの頂き物らしいとも聞く。

 太刀は雇い主に差し出し、こっちだけを売っ払うという手もある。

 しばらく検討したが、正直なところ大小二刀をかついで逃げるのは大変だ。

 残念だが、次の機会にしよう。また潜り込めばいいさ。とにかく今夜は太刀を優先しよう。そう自分に言い聞かせた。

 とはいえ、百両もらえるあの小刀だって、あきらめたわけではない。

 殿様の文箱にあるはずのそれは、太刀の盗難が発見された際の混乱に紛れて持ち出せるかもしれないとは考えている。

 時間はまだある。

 侵入と脱出口、およびその手順は確認しても、時間だとか行動予定まで細かく決めると、かえってそれに囚われてしまうと、虫丸は過去の経験から考えていた。臨機応変こそが大切だ。


 音のしないよう体勢を整え直し、あらためて乏しい灯りに浮かび上がった太刀にじっと目を注く。手前に不寝番が二人。

(白饅頭、ふたつ、じゃまもの、ふたつ)

 太刀は、天守に毛氈をしいて飾るにしてはこころなしか短く思えるし、拵だってなんだか地味だった。高値には見えない。

(まあ、短いのは助かるや。でもあの殿さん、まだガキみたいな顔だけどゆうに六尺はあったな)

 成功を確信して、余裕が出てきた。そのうち、不寝番の一人が小用に行った。

 一人きりになったのを確かめると、壁際の暗闇にじっと潜んでいた虫丸は行動を起こした。

 天井のちょうどよい場所まで素早く動き、番人の背中めがけ飛び降りた。その時には片手に袋に包んだ鉛の塊を持っている。落下の勢いを利用して後頭部に叩き付ける。

 番人は無言で昏倒した。


 音を立てず、ふわりと床に降りた自分を、

(まだまだ捨てたもんじゃない。隠居は先へ延ばそうかな)

 虫丸は自分を誉めた。あとは戻ったもう一人を同様に処理するだけだ。

 しかし大事なのは、殺さないことだ。いくら楽しくとも、死人が出るとそのあとの捜索が一挙に厳しくなる。追手の血相が変わるし、万が一捕まったりしたら乱暴な家風だった場合、その場で手足ぐらい切り落とされるかもしれない。

(はやくもどってこいよ)そう思って物陰から番の消えた暗闇を見つめていると、ごとっと音がした。

「ぶはっ」と息を吐く声が続き、長持から手に得物を持った男たちが這い出てきた。

「こりゃまずい」虫丸が暗闇に移動しはじめると、下の階からも大勢があがってきた。


 思わず虫丸が身構えると、鎧を着装した者が前に出てきた。音がしないように布や紙縒りで固定してあり、槍ではなく刺又を持っている。

(おおっと、待ち伏せられた。無理して昨晩取っときゃよかったな)

 そう考えながら虫丸は素早く動く。

 指揮官らしいのを蹴倒して集団の動きを止め、取り出した礫を投げつけながら、反転して脱出口を目指した。悲鳴があがった。

 待ち伏せの動きから瞬間的に判断した虫丸は、とっさに男たちが出てきたあとの降り口に向かった。

(いったん降りて、それから……)

 頭に衝撃を受けて、虫丸の意識は失われた。

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