第34話 なんか回転だって

「さあフミツキ様、いざ、参りましょう」

「う、うん」


 気合十分のリグロル。

 一方、文月は気もそぞろだった。

 なにせ昨日キスした相手とこれから顔を合わすのだ。緊張するなという方が無理な話。

 姿見の前で自分と見つめ合い、にこっと笑ってみたりする。一歩下がるとくるりくるりとドレスを翻して全身をチェック。

 おかしな箇所は無いかな?

 いやいや落ち着け落ち着くんだ。

 すーっ、はー。よし、深呼吸した。

 そもそも僕は、うん、そもそもだよ。

 うん、落ち着いて考えよう。

 お化粧もドレスの事も詳しく知らないからおかしな箇所があっても分かんないよ。


「ねえ、リグロル?おかしな所は無い?」

「ご安心下さいフミツキ様、とても可愛らしく仕上がっておりますとも」

「そ、そうかな」

「はい」


 文月の可愛らしさに自信満々で太鼓判を押すリグロル。

 よしっ、さあ食堂へ行くぞと部屋の外に出て、廊下の冷えた空気を吸った瞬間、はたと気がついた。

 僕、何を、気に、してんの?


「むー……」

「フミツキ様、どうかされましたか?」

「うー、いや、僕は何を気にしてたんだろう?って思ってね」

「タルドレム様の事を気になされていたのでは?」

「ぴゃいっ、そ、そうだけど」

「昨日私の唇を強引に奪って行った愛しの殿方との一晩置いての会遇……。あぁ!どんな顔してお会いすれば良いの?!あの方も同じ気持ちで夜を過ごされたのかしらっ、今日はさらに進展があるかもしれない、さらに進展っていったいどんな事をされるの?!期待しちゃう緊張しちゃう胸が高鳴るわっ、あんなに強引に迫られたら私断りきれないっ。昨日の事だって思い出すたびに恥ずかしくなるのにそれ以上の事をされたら私どうなっちゃうの?!今日の下着はどんなものをつけてたかしら、あの方の好みに合えば良いのだけど。はっ、私ったらもう肌を見せる事を考えてる、とても恥ずかしいわ。けどいずれはきっとそうなるの、なんてなんて素敵な事なのかしらっ!あぁん!」

「ありがとね?!下着のくだりの辺りから逆に冷静になっちゃったよ!」

「まあフミツキ様、興奮されて」

「してないっ」


 ぷくー、と文月はふくれながらリグロルの腕にしがみつき下から睨む。全然怖くない。むしろぷりちぃ。


「リグロルってば時々いたずらしてくるよね」

「あらフミツキ様、いたずらなんてとんでもない」

「とんでもなくないよっ」

「とんでもなくなくないですよ?」

「とんでもなくなくなくないだよっ」

「さて何回言えば良いんでしたっけ?」

「しらないっ」


 文月とリグロルは腕を組み、ころころ笑い合い、じゃれ合いながら食堂に向かった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「タルドレム王子がお見えになりました」


 ドアの前に立つ侍女の声に文月はびくっと体を硬らせた。

 食堂に着いたのは文月が一番最初で他の王族を待っていたのだが、待っている間に再び徐々に緊張してきたのだ。

 扉が侍女達によって開けられ、タルドレムが入室してきた。

 文月の緊張は最高潮……だったのだが室内に一歩踏み入れたタルドレムを見た途端、駆け寄った。


「どした?具合悪いの?」


 タルドレムの内心は驚きと喜びと情けなさが入り混じっていた。

 自身の不調はフミツキにだけは知らせまいと思ってかなりの虚勢を張っていたつもりだったのだが一目で見抜かれたのだ。

 誤魔化すわけにはいかないな。タルドレムは正直に話す事にした。


「昨日の一件があったろう?」


 意味は通じた。ぽんっと文月の顔が赤くなる。


「そのせいでニムテクに散々尻を引っ叩かれてな……」

「あー」

「いまだにちょっと痛い」


 タルドレムは苦笑いする。そんなタルドレムを見て文月は頬を染めながらもくすくす笑ってしまう。


「もうあんな事しちゃダメだよ?」

「ああ、今度からはちゃんとフミツキの許可を得てからか、誰にも見られない場所でする」

「許可は出ないっ、2人っきりにもならないからね」


 文月は微笑みながら艶やかな唇の前に指でバッテンを作る。


「難攻不落だな」

「そうだよ、口説き落とすんでしょ?頑張ってね」

「ああ、勿論だ」

「お尻に薬塗ってあげようか?」

「いや、遠慮しよう」


 文月はくすくす笑いながらタルドレムの後ろに回ろうとする。

 タルドレムも笑いながら文月を背後に回らせないように動く。


「フミツキ?何をするつもりだ?」

「んー?なんだと思う?」

「さーて、予想はつくが、そうはさせん」

「んふふ、どんな予想をしたのかなー?」


 笑いながら二人はお互いを正面にし、ゆっくりと回り合う。


「よっ、捕まえた」

「にゃー」


 タルドレムが文月を抱きしめてヒョイっと持ち上げる。

 そのままくるくる回ってそっと文月をおろした。文月の頭越しに声をだす。


「父上、母上、おはようございます」

「にょっ!?お、おはようございますっ」


 腕の中でクルリと回り背中をタルドレムに押し付けながら文月も慌てて挨拶をした。両手はタルドレムの袖を掴んでいる。


「あらあらー、仲良しさんねー」

「うむ、良い傾向だな」


 マドリニア王とジクドリア王妃はニコニコと二人のじゃれあいを見ていた。


「おい、タルドレム」

「はい、何でしょうか」

「尻の具合はどうだ?」

「聞いた聞いたー、まだ痛いー?」


 王と王妃がめっちゃ笑顔で聞いてくる。聞かれたタルドレムは苦虫を噛み潰した様な顔になり、それを隠そうともしなかった。


「……まだ、本調子ではありません」

「ぷっ!わっはっはっはっ!」

「まぁまぁあなた、そんなに笑ったらぁ、私も笑っちゃうー、うふふふ」


 腕の中で文月が振り返り、心配そうに見上げながらこっそりと提案してくる。


「んー、やっぱり薬塗ってあげようか?」


 だがタルドレムだって意地がある。


「大丈夫だ、今日中に治してみせる」

「え、出来るの?」

「勿論だ」

「無理しないでね?」

「ああ、分かった」


 こそこそ話をする二人は側から見たらとっても仲良しさん。


「ねえ、リグロル」

「はい、フミツキ様」

「柔らかいクッションを用意して」

「かしこまりました」


 すぐに柔らかいクッションが持ってこられる。


「せめてこれの上に座ってね?」

「ああ、ありがとう」


 タルドレムは文月からクッションを受け取り自分の席に置きその上に座った。

 うん、痛くなさそう。

 タルドレムの表情を確認してから文月も席につく。

 そんな二人のやりとりを先に席に着いた王と王妃は眩しいものを見るかのように目を細めて見ていた。

 その後はタルドレムをからかう事もなく、朝食の時間は穏やかに過ぎていった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「フミツキ様、本日はこれから魔法制御の授業がございます」


 朝食を終え、自室に戻ってくるとリグロルが文月に告げた。


「あ、うん、分かった」

「私が担当させて頂く事も考慮されたのですが残念ながら別の者が教鞭を取らせて頂きます」

「僕の知ってる人?」

「いいえ、まだお会いになられた事は無いはずですよ」

「うっ、ちょっと緊張する」

「その点は大丈夫です。非常に穏やかな性格の人物ですので……えぇ非常に……」

「ん?そうなの?だったら安心かな?」


 リグロルのもにょっとした物言いにちょっと小首をかしげた文月だったがリグロルを信用することにする。


「フミツキ様の授業を担当する栄誉を手にしたのは六番隊の隊長、アガサです」

「アガサ……さん」

「はい、ポポラの所属している隊の隊長ですね。攻撃魔法を得意としています」

「おぉ!攻撃魔法!」


 文月の中の男の子が燃え上がる。

 当然だ、魔法で攻撃、心躍る言葉ではないか!


「僕も炎とか氷とか撃てるようになるかな?!」

「勿論フミツキ様でしたら出来るようになりますとも。けれどその前に……」

「あ……、うん、はい、調子に乗りました」


 タルドレムの部屋の惨状を思い出した文月は途端にしゅんとなる。

 授業を受ける事になった原因はそもそも魔力の制御が出来ないからなのだ。その経緯を思い出し、文月は調子に乗った自身を戒める。


「まずは制御だね、うん」

「ご立派です」


 コンコン。

 文月の部屋の扉がノックされた。

 リグロルが扉の前まで進み少し開けて外の人物と一言会話して閉じる。


「フミツキ様、アガサが来ました」

「うん、入ってもらって」

「かしこまりました。フミツキ様はお掛けになったままで結構ですよ。相手の挨拶はそのままお受け下さい」

「うん、分かった」


 ガチャリと扉を開けると訪問者が入室してきた。

 金髪の長い髪と整った柔和な顔つきにスラリとした体型。ゆったりとした灰色のローブを身に付けているが胸があるので女性と分かる。ただ大きさは文月よりもワンサイズ下だ。一見してモデルの様な印象の女性だった。


「お初にお目にかかります、フミツキ様。アガサと申します。本日よりフミツキ様へ魔法を御教授させて頂く栄誉を賜りました。至らぬところも多々あると思いますが、何卒宜しくお願い致します」


 口元に微笑を浮かべながらアガサは深々と頭を下げる。癖のない金髪がサラサラと流れる様に顔の横に下がった。


「あ、こ、此方こそ、よろしくお願いします」


 文月もぎこちないながらも頭を下げた。


「ご丁寧にありがとうございます。始める前に簡単な自己紹介をさせて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」

「あ、はいお願いします」

「ありがとうございます。僭越ながら少しだけお時間を頂きます。それではまず、私の生まれはゴルゴンゾラ領の片田舎でございます。森と大きな湖がある、小さな町で育ちました。私の先祖にどうやら妖精と契りを結んだ者がいたようで、先祖返りと言いますか、家族の中で私だけその色が強く出ました。私、こう見えても80を超えております」


 文月は目をパチクリさせてきょとんとする。

 僕よりバスト大きくないけど?


「80?」

「年齢です」

「え?!」


 文月の反応にアガサはにっこりする。

 金色の長髪に整った容姿、そして線の細い印象。

 あっそうか、この人エルフみたいなんだ。

 思わず文月はアガサの耳に目が行ってしまう。


「ご先祖から受け継いだのは魔力と長寿だけでして、容姿は他の方と変わりませんよ」


 文月の視線に気がついたアガサは髪をかき上げ片耳を文月に見せてくれた。青いピアスがついた耳は長くもなく尖っても無かった。


「あう、ごめんなさい。ありがとう」


 他人の容姿を指摘する様な目線を送ってしまった事を文月は素直に謝罪する。


「どうぞお気になさらず。初めて会った方は大抵お気になされますから。けれどその事を謝罪して頂けたのは私も初めての経験です。フミツキ様、ありがとうございます」


 リグロルの溺愛っぷりはうわさ程度には耳にしていたが、成る程、この素直さと純真さは愛でたくもなる。タルドレム王子がしまったのも納得だ。


「あう、いえそんな」


 失礼な事をした相手に感謝をされて文月は小さく身を捩る。

 自分の感情が素直に表に出てしまうその態度は王族としては不適切かもしれないが、このままでいて欲しいという周囲の思いも理解できる。ニムテクが文月の王族教育の開始に逡巡するわけだ。

 文月の性格をおおよそ把握したアガサも御多分に漏れず保護欲を大いに刺激された。


「それではフミツキ様、簡単ではありますが自己紹介はこれで終わらせて頂いて、授業に入ろうと思うのですが宜しいですか?」

「はい、よろしくお願いします」

「分からないところは訊いて下さい。同じ質問を何度して頂いて構いませんから」

「はい、ありがとうございます」

「フミツキ様」

「はい?」

「私に対するお言葉遣いもリグロルと同じにして下さいね」

「あ、はい、いや、うん」


 それでも文月は背筋を伸ばし授業を受ける頭に切り替える。

 そんな文月を見てアガサの微笑みが更にちょっとだけ深くなった。

 窓から入り込む光は午前の室内をゆっくりと温め始めていた。

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