◇6◇ 助け合い、だったら

 いやいや、さっきは偉そうにすみませんでした、ということで、せっかくだからとさっき買ってきた和三盆と醤油の羊羹を皆で食べている。なぜか端切れを買いに来た常連さん(山崎さんというらしい)も一緒にだ。


「アラッ、お醤油っていうから、しょっぱいのかと思ったけど、全然そんなことないのねぇ。美味しいわぁ」


 そして、何か一番楽しそうに食べてるのはその山崎さんだったりする。


「ですよね。でも、ふんわりと香ばしい感じが醤油ですよね」

「そうそう、かすかに? あっ、お醤油、いるわぁ~、って感じでね。ちょっとこれ、良いわぁ。ねぇ、どこで買ったって言ったっけ?」

「これは、『創作菓子庵 和楽わらく』っていうところで、ああ、ほら、これリーフレット入ってました。差し上げますから」

「アラッ、電話注文も出来るのね? 助かるぅ~」

「ですよねぇ~」


 と、私と山崎さんが意気投合(?)している中、その反対側に座っている田中家の空気はやっぱりまだちょっと重い。


「ちょっと、ねぇ、田中さん? 今度ここ行きましょ? 見て~、素敵な喫茶スペースもあるみたいなの! ね、連絡するから!」


 しかし、山崎さんはそんなこともお構いなしに、りぃちゃんのおばあさん(どうやらお姑さんらしい)にリーフレットを見せている。そりゃあ一番の部外者にも関わらずこの場に残るくらいの人であるわけだから、たぶんちょっと空気が読めないタイプの人なのだろう。いや、もしかしたらわざとそうしているのかもしれないけど。だっていまは、この能天気な明るさがちょっと有難い。お姑さんも、まんざらでもないような顔で「ええ、良いわね」なんて返して。ええと、数分前まで別にお知り合いではなかったんですよね? いつの間に番号交換したんですか?


 ――ふと、ちょうど真ん中に座っている然太郎をちらりと見る。

 何やらさっきから考え事でもしているのか、一言もしゃべらずに黙々と羊羹を食べているのだ。


 もしかして。


 もしかしてさっきの私に引いたのでは。

 だよねだよね、絶対そうだわ。何偉そうに説教かましてんだよって思ったに違いない。だってさぁ、何かもうイラっとしちゃったっていうか。打ち合わせがうまくいったからってちょっと調子乗っちゃったのかも。ああ、どうしよう。


「……マリーさん」

「は、はいっ」


 銀縁の丸メガネの奥にある青い瞳がまっすぐ私をとらえる。もしかして、別れ話?! ええ、こんなところで?!


「ちょっと僕も頑張る」

「へ? 何が?」


 ええ? 何を頑張るの? 頑張って別れ話をします、的な? うわーん、そんなの頑張らなくて良いよぉ。


「田中さ――、ああすみません、こちらの、はい。ええと、莉奈さんの方です。ちょっとよろしいでしょうか」


 え? 何? 私との関係をはっきりさせないまま次の女に?! 見損なったよ然太郎! しかも彼女、既婚者じゃないのさ!


「何でしょうか」


 ああもう、莉奈さんとやらもまんざらでもない顔してる! ちょっと、あなた、既婚者なんでしょうよ! 何でそんなぽーっとしてるのよ! あれか? 然太郎がイケメンだからか?! そうなのか?! その点については異論はございませんけども!


「さっきのマリーさんとのお話で、僕、考えてみたんですけど」


 え? 何で私の名前出てくるの? 


「助け合い、っておっしゃってたじゃないですか」

「え、ええ。まぁ」

「助けてほしいことが、あります」


 うわぁ、来た。

 ここか。これか。

 もしかしてあれかな。「いますぐこのマリーさんとお別れしたいので、助けてください」とかそういうやつ? そういうこと? そういうことなんでしょうかぁ?!


「実は、先日ご注文いただいた入園セットなんですけど、ここのところものですから、気になって製作にあたれておりません。他の方の注文もございまして、正直あっぷあっぷです」

「ええと、その点については本当に……」


 ――うん? 入園セット? 別れ話云々じゃないの? 

 そうだ、入園セットで思い出した! この莉奈さんって人、こないだカウンターで何か書いてた美人さんだ! そうだそうだ。後姿と横顔しか見てなかったから気付かなかった。


「とはいえ、残っているのはあと一つだけなんです。上履き入れ」

「あ、あの、それでしたら、それはキャンセルでも……」

「そんなわけにはいきません。もう布は裁断してしまっているんです」

「そうなんですね。あの、それじゃあどうしたら」

「なので、それだけは、作っていただけませんか? どうか、僕を助けると思って」

「え? 私が?」


 その言葉に莉競ちゃんがぴくりと反応した。そして、期待に満ちた目でママをじぃっと見つめる。


「ママが作ってくれるの? りぃの?」

「ま、待って。ママはミシンとか苦手で……。ていうか、そもそもウチにミシンなんて……」

「あーら、ミシンくらい、ありますよ」


 なぜかちょっと勝ち誇ったように返したのはそのお姑さんだ。何だかちょっといまの状況を楽しんでいるようにも見える。


「で、でも私、ミシンなんて……」

「大丈夫です、ミシンがなくたって」

「いえ、私、手縫いの方もさっぱりで……」

「いえいえ、針も糸もいりません」

「……はい?」


 え? 針も糸もなしに上履き入れって作れるの?! と、思わず山崎さんを見る。すると、なぜか彼女は得意気にうんうんと頷いているのだ。何、山崎さんも知ってるの?! 


「これです。じゃじゃーんっ、布用接着剤!」

「接着剤? そんなので?」

「すぐ剥がれちゃうんじゃないの?」


 思わず私も口が出る。だって、接着剤って、あなた。接着剤よ?


「ところが、これがなかなか侮れないんだよ、マリーさん。これはアイロンで仕上げをするタイプなんだけど、2㎏くらいまで耐えられるんだ。子どもの靴だからね、全然楽勝だよ」

「確かに2㎏イケるんなら、楽勝かも」


 えぇ、でも、こんなので? 本当にぃ? とテーブルの上に置かれた布用接着剤をまじまじと見つめる。


「これだったら、莉競ちゃんと一緒に作れますよ。どうだろう、莉競ちゃん。ママと一緒に作ってみたくない?」

「やりたい!!」


 そりゃそうだよ。

 大好きなママと一緒に作れるとか絶対最高のやつだし。


「もちろん、この分についてはいただくのは生地代のみです。ああ、もしこちらもお買い上げでしたら、それも上乗せになりますけど」

「も、もし失敗したら……」

「ご相談に乗りましょう」

「それなら……やってみます」

「やったね、莉競ちゃん。保育園に行ったらさ、これ、ママと一緒に作ったんだよって、お友達に自慢出来ちゃうね」

「うん!」


 いえーい、なんて言って、然太郎はりぃちゃんとハイタッチしている。成る程、りぃちゃんって『リゼルちゃん』って言うんだ、なんていまさら思いつつ。


「それと……、莉奈さん、手芸って案外そんな難しいものじゃないんですよ。だから、もし良ければ、その上履きがうまく出来たら、今度は色んなものに挑戦してみてくださいね」

「……はい」


 りぃちゃんに不評だったらしい布も、きっと『大好きなママと作る』という体験があれば、お気に入りになるだろう。だけど、もしこれがきっかけで小さな手提げとかでも好きな布で作れたら、もっともっとりぃちゃんは嬉しいだろう。何よ、然太郎のやつ、なかなかうまいこと収めやがって。


 ――と。とりあえず別れ話ではなかったことに安堵した私だった。


 

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