◇2◇ 小さなお客様

『マリーさん、たすけて』


 昼休み、『休憩~』とメッセージを送ると、そんな返事が来た。


 その文面にぎょっとしていると、その直後に例のウルウル涙目のナマケモノスタンプが送られてきて、とりあえずは安堵する。ガチのピンチだったらこんなスタンプを押したりはしないはずだ、うん。


『どうしたの?』と『マァ落ち着けや』という台詞付きの土佐犬スタンプを送ってやる。何だ何だ、珍しくスミスミシン繁盛してるのかな、などと失礼なことを考えつつ。


 ほどなくして送られてきたのは、


『顧客の選んだ生地を、使用者がお気に召さない』


 という文章。そして相変わらず涙目のナマケモノだ。


 あぁー、わかるわかる。厄介なやつだ。

 そういうのはこっちでもよくある。金を出す人(親)と、住む人(子)が違う、というやつである。こちらとしては、出来れば親子間でしっかりと意見を擦り合わせてから来ていただきたいところなのだが、そういう客に限って、どちらもこちらにそれを丸投げしてくるのだ。


 親は親で「金を払うのはこっちだ」だし、子の方でも「住むのは俺らだ」と譲らない。どうにか時間をかけてお互いを歩み寄らせるか、あるいは、どちらにも納得してもらえるようなすんばらしい案を――なんてそうそうないんだけど、とにかくまぁ、考え付く限りの案を出して話し合いを重ねるしかない。


 しかし、一生ものの買い物である家などと違い、所詮は――というのも失礼だけど、布小物でしょ? だったら、その使用者が気に入った生地でももう一パターン作っておけば良いんじゃなかろうか。


 と思うわけだけど。

 恐らく、そんな簡単な問題ではないのだろう。

 だって、然太郎だってその道で長いことやっているのだ。それくらいのトラブルは経験済みだろう。わざわざ私に助けを求めるなんて。


 ぺらり、と手帳をめくる。

 今日の仕事はあと、午後の打ち合わせ一件のみだ。これが長引くかはわからないが、もし早めに終わることがあれば、そのまま直帰してしまおうかな。ウチの仕事は基本的にフレックスなので、それについては何の問題もないのだ。


『力になれるかはわかんないけど、後で店に行くよ。時間は約束できないけど』


 そう返して、味噌汁を啜った。

 

 手土産はアレだ、こないだの和三盆と醤油の羊羹にしよう。



 予想外に打ち合わせは早く終わった。何度か一緒に仕事をさせてもらっている工務店さんだったので、「矢作やはぎさんのことは信頼してますから」なんて嬉しい言葉もいただいちゃったりして。ああ、これまで真面目に頑張って来て良かった。


 よし、羊羹、ハーフにしようと思ったけど、これは一本丸々買ってやれ。


 上機嫌にふんふふんふと鼻歌まで歌いながら、『創作菓子庵 和楽わらく』の暖簾をめくった。



 スミスミシンに到着したのは16時を少し過ぎたくらいだった。これは普通に客として入店すべきだろう、と、ついうっかり「然太郎、来たよ」なんて言わないようにと自身に言い聞かせながら、ドアノブを握る。


 カラン、というドアベルの音が聞こえる。が、然太郎の「いらっしゃいませ」がない。あれ? と思いながら店内を見ると、ずっと奥のボタン売り場の前で女性が2人、向かい合って睨み合っている。一人は若い女性、もう一人はかなり年配の方だ。えっ、何これ。もしかして、2人して然太郎を取り合って……とか?


 と、その間に立っていた然太郎が「ああ、マリーさん!」とホッとしたような顔をして、こちらに向かってくる。


「何これ。どういう状況? ていうか、あの2人誰? もしかして然太郎の浮気相手? って冗談言いたいところだけど、そんな状況じゃなさそうだよね」

「うん、そんな状況じゃないんだ。僕もどうしたら良いか……。とりあえず、座って」

「あ、うん、ありがと。ていうか、何でテーブルまで出してんの? うわぁ、このお嬢ちゃんも誰? とりあえず、これ、お土産ね」

「え、お土産買ってきてくれたの? ありがとう。わぁ、これもしかしてあの?」

「そ、和三盆と醤油の羊羹。ちょっと良いことがあって一本買っちゃったからさ、あそこが上手いことおさまるんなら、皆で食べても良いんだけど」


 そんなことを言いながら袋を渡す。

 テーブルの端っこに座っているこの女の子は、たぶんあの若い女性の娘さんだろう。まさか全く無関係ということもあるまい。

 鞄の中を漁り、さっきの店でついでに買った飴の袋を取り出す。桜餅味とかしわ餅味なんだけど、食べるかな。女の子だから、やっぱりここは桜餅味の方が良いだろうか。


「お嬢ちゃん、飴っこ食べる?」


 そう言って、差し出してみる。しまった、動揺のあまりについ方言が出た。飴のことを『飴っこ』と言うのは秋田の方言なのだ。

 するとその子は「おじょうちゃんじゃなくて、りぃ!」と言いながら、その飴を受け取った。はいはい、成る程りぃちゃんね。良かった、飴っ部分は突っ込まれなかった。


「りぃちゃん、あそこにいるのは、お母さんかな?」

「おかあさんじゃなくて、ママ!」

「し、失礼しました。成る程、ママなのね」

「そう!」


 とりあえず、1人はわかった。やっぱりこの子のママだ。ということは、例えば、お姑さん、とかかなぁ。あるいはお母さん、とか……?


「謝りなさい!」


 突然、その『お姑さんかお母さんかわからない人』が怒鳴った。あっぶな、あまりにびっくりして声が出るところだった。

 ちらりとりぃちゃんを見ると、何やら泣きそうな顔をしている。もしかしてこのりぃちゃんがここで何か悪さをして、親が謝罪に来たとか、そんな話だったりするんだろうか。

 だとしたら、自分のせいで親が怒られているとか、絶対に気分の良いものじゃないだろう。まぁ、真偽のほどはわからないけど。私に出来るのは、この子に追加の飴を渡すくらいなものだ。


 ええと、渡しといてあれだけど、親の許可なしに飴とかあげても良かったのかな?

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